AⅣ近世(江戸時代)(6)【後半期】国学
朝晩、ずいぶん寒くなったねえ。
立冬も過ぎたし、もう冬なんだねぇ。
僕は心臓が悪くてねえ、普通の人の3分の1しか動いていないんだよ。だから、血のめぐりが悪くてねえ、非常に寒さを感じやすいんだ。
それで、早めに、こたつなんかも出すんだよ。そうすると、例の母と娘がさあ、
「このくらいの寒さで、こたつを出すなんて。真冬になったらどうするのよ」
とブツクサ言うんだよ。
そのくせ、今、見ると、テレビの見やすい位置に2人でドッカリとお尻を下ろして、こたつに足を入れているよ。そしてまた例のごとく、クチャクチャとお菓子を食べながら、低俗なドラマを見ている。時々、下品な笑い声をあげているよ。
「知識レベルの低い者ほど、テレビを見る時間が多いものだぞ」
と言ってやろうと思ったけれど、以前に、
「偉そうなことを言う人の介護なんかしないからね」
と言われていたので、やっぱり、やめたよ。
あぁ、そうそう、京大の山中教授がiPS細胞の研究で、ノーベル賞の受賞が決まったねえ。この研究の成果は、僕の壊死(えし)してしまった心筋の再生に、つながっていくものなんだよ。
すごいねえ。少し前までは、絶対に不可能だ、と言われたことが、可能になるんだからさあ。
山中教授は会見で、
「9回失敗しないと1回の成功はやってこない。日常のストレスが大きく、何十回トライしても失敗ばかりで、泣きたくなる20数年だった」
と言っていたねえ。受験生の君にとって、大きな励ましの言葉になるのではないかなぁ。
ところでもし、僕の心臓が元に戻ったなら、僕は、新しい人生を歩むだろうね。
でも、臨床試験が始まるのが5年ほど先らしい。さらに、実際に一般的な手術として行われるようになるには、まだ、10年近くかかりそうだね。
それまで、生きていられることやら。やれやれ・・・
さあ、それじゃ最後の項目をやっていこう。それは、
《国学》これだ。
国学という、言葉も、概念も、学問も、近世の時代に発生したものなんだ。だから、江戸時代は、国学という新しい学問を生み出した時代であると言える訳だね。
国学とはどういう学問なのか、というと、外来文化を一切取り除いた、純粋な日本の精神を明らかにしようというものだね。
外来文化の中には、仏教や漢文化も入っているんだよ。
どうして、国学が、近世に出てきたのかという背景には、大陸から輸入される外来文化によって、日本古来の優れた精神文化が崩されてしまうのではないか、という危機感があったんだねえ。
特に、幕府は朱子学を官学と定めて奨励したものだから、中国文化は優れていて、日本文化は劣っているというような風潮が広まっていたことも大きな背景だね。
だけど、ふと考えると、こんな国学と文学とは直接的にはあまり関係ないような気がするけどねぇ。
そうだね、実はその接点は、日本古来の純粋な精神を明らかにするためには、日本古来の古典を研究する以外にない、という国学の研究方法にあったんだね。
国学の研究者はまず、古典を客観的に正確に解釈することに大変な労力を注いだんだ。
当時の古典の解釈は、特定の師匠から特定の弟子へ神秘的に伝授されるというような風潮があったね。それは、自分の文学流派に権威を持たせたかったからだねよ。
また、仏教や漢文化に影響された価値観や道徳観によって古典を解釈し評価しようという風潮もあったんだね。その一例は、源氏物語は不倫の書であり、風俗小説であるというような見方がなされたことなどがあげられるねえ。
こんな風潮に対抗して、国学者は古典の研究方法として、だれでも客観的に正確に解釈できる方法の1つとして、古典文法を確立したんだねえ。
これは日本文学史上、絶賛すべき素晴らしい業績となった。
とは言っても、ひょっとしたら君にとっては、
「そのおかげで、古典文法の授業は面白くなくて、泣かされているよ」
なんて言うかもしれないねえ。
まあまあ、そう言わずに、先人の努力に感謝しながら勉強していこうよ。
それじゃあ、まず、国学の初期に中心となった人物は、
《僧契沖(そうけいちゅう)》さん。この人だ。代表作品は、
『万葉代匠記(まんようだいしょうき)』これだ。
この万葉代匠記は、古典研究に対する考えを大変革させたよ。古典を学問の対象として、客観的実証的に、だれでも正確に解釈することができることを証明したんだねえ。
それで、古典を研究する人は皆、まず、契沖さんの万葉代匠記をしっかりと勉強することから出発したんだね。何せ、古典研究の元祖なんだから。
現在でも、研究者には、契沖さんを宗教の教祖様のように尊敬している人がたくさんいるよ。
国学は契沖さんによって生まれ出たわけだ。続いて、さらに発展をさせてた人が、
《賀茂真淵(かものまぶち)》さん。この人だ。代表作は、
『万葉考(まんようこう)』これだ。
万葉考は、万葉代匠記によって開拓された古典研究の方法を継承して深化させ、純粋な大和心(やまとごころ)を表出させようとした力作だね。
賀茂真淵さんは、国学の研究者であると同時に歌人としても有名だったね。彼を慕って入門した弟子も多くて、人材がたくさん出たね。
歌風は、万葉語を使った《丈夫(ますらお)ぶり》といわれる力強いものだったよ。
それは、後世、明治の《アララギ派》といわれる歌人たちにまで受け継がれていくほど影響力の有ったものなんだよ。
賀茂真淵さんの後を受けて、実質的に国学を完成させた人は、よく知られている、
《本居宣長(もとおりのりなが)》さん。この人だ。代表作は、
『源氏物語玉の小櫛(たまのおぐし)』これだ。さらに、
『古事記伝』これもだ。
本居宣長さんは、信念と努力の塊のような国学者だったねぇ。業績を多く残しているよ。
古事記伝は、48巻にものぼる研究書で、書き始めたのは35歳の頃なんだ。それから完成したのは69歳のころ、35年間もの間、研究し抜いて書き上げられたものなんだよ。すごいねえ。
また、『源氏物語玉の小櫛』は、たいへん有名で、現在でもよく出てくるね。
当時、源氏物語に対する評価には、厳しいものがあったんだ。それもそのはずで、幕府の基本思潮である儒教的道徳観から見れば、源氏物語は、不倫・不道徳極まりない小説であるということが言えるよね。
また、仏教的立場から見ても、仏が禁止した行為である戒律を破った、破戒小説があるということが言えるよね。
こういう当時の評価に対して、本居宣長さんは『源氏物語玉の小櫛』の中で、それらの評価は、全く、日本の純粋な古典である源氏物語を理解していない、中国からの外国文化の影響を受けた、的外れな批判であると反撃しているんだねぇ。
そして、源氏物語の本質は、《もののあはれ》を表現することにあったと主張しているよ。
「源氏物語は、もののあはれの文学である」という評価は、本居宣長さんが言ったことだったんだ。しっかり、押さえておこう。
それでは、『源氏物語玉の小櫛』の1部を書き出しておくよ。
『かくてこの物語は、世の中のもののあはれの限りを書き集めて、読む人を深く感ぜしめむと作れるものなるに、この恋の筋ならでは、人の情のさまざまと細かなるありさま、もののあはれのすぐれて深きところの味はひは、表し難きゆゑに、ことにこの筋を、むねと多くものして、恋する人の、さまざまにつけて、なすわざ思ふ心の、とりどりにあはれなる趣を、いともいともこまやかに書き表して、もののあはれを尽くして見せたり』
「このようにして、源氏物語は《もののあはれ》のありとあらゆる形を書き集めて、読者を深く感動させようとして作られたものだ。
このような恋の種々相を描かなければ、人の感情のさまざまな細かな様子などや、もののあはれの深い味わいは表現できないのだ。
そして、恋のいきさつを中心にして多く表現し、恋に関係する人々が、さまざまな出来事を通して、行う行為や感じる情感を、それぞれに趣の違うところを大変に詳しく細く表現して、《もののあはれ》の極地を表現してくれている」
というくらいの意味だね。たいへん読みやすく明快な文章になっているよね。
今も昔も、恋の中に、人々の心情を動かし、《もののあはれ》に感動する要因があることは変わらないんだねえ。だからこそ、現在でもすべての文芸において、恋を描いたものが大変に多いんだね。
この《不道徳と、もののあはれ》の関係については、よく、ハスの花と泥沼との関係に例えて説明されるね。
ハスの花は、汚い泥沼に根を張って花を咲かせるね。泥沼が汚く深ければ深いほど、より美しい花を咲かせるんだよ。泥沼は花を咲かせるためには、必要不可欠なものだ。花と泥沼は一体なんだね。
美しいハスの花は、《もののあはれ》を例えているんだねえ。そして、泥沼は、不倫、不道徳、破戒なんだよ。
紫式部さんは、源氏物語を通して、頽廃(たいはい)したデカダンの陶酔を描こうとしたのだろうか。そうではなくて、《もののあはれ》を描くためには、何を素材にするのが最適かと考えたときに、恋愛以外にはなかったわけだね。
その恋愛も、《もののあはれ》を最大に表現できるのは、不道徳な状況の中における恋愛だったわけだね。
おそらく、紫式部さんはあの世で、800年も後に出できた、本居宣長さんの『源氏物語玉の小櫛』に、勝ち気な顔をにっこりとさせていることだろうねえ。
本居宣長さんによって完成された国学は、やがて、勤王の志士の思想的柱ともなって、明治維新という激動の時代を切り開いていくエネルギーになっていくんだねえ。
さてと、これで国学についてはおしまいだ。
と同時に、『日本文学史・古典文学編』も、これで、すべての項目が終わったことになるよ。
けっこう、長かったね。
本稿の始めのところを読み直してみると、「我が家の鉢植えの桜が咲いた」と言っているねえ。
結局、途中で入院したこともあったけれど、8カ月もかかってしまったよ。
当初の僕の予定では、この時期に、古典文学編も近現代文学編も両方とも話し終えるつもりだったんだよ。
予定の半分しか進まなかったねえ。
『日本文学史・近現代文学編』は別冊にしているので、よろしくね。
なによりも、君の進路に幸あれと、祈っているよ。
ここまで付き合ってくれて本当にありがとう。君に心より感謝しているよ。
最後に、近世時代の作品を並べておくから、どの程度、記憶に残っているか、確認してね。
仮名草子
1.『二人比丘尼』
2.『東海道名所記』
3.『伽婢子』
俳諧
1.『犬子集』
2.『新増犬筑波集』
3.『虚栗』
4.『冬の日』
5.『春の日』
6.『ひさご』
7.『笈の小文』
8.『野ざらし紀行』
9.『猿蓑』
10.『炭俵』
11.『奥の細道』
12.『去来抄』
13.『鶉衣』
14.『父の終焉日記』
15.『おらが春』
浮世草子
1.『好色一代男』
2.『西鶴諸国ばなし』
3.『好色五人女』
4.『好色一代女』
5.『武道伝来記』
6.『日本永代蔵』
7.『武家義理物語』
8.『世間胸算用』
9.『世間息子気質』
国学
1.『万葉代匠記』
2.『万葉考』
3.『源氏物語玉の小櫛』
4.『古事記伝』
浄瑠璃
1.『出世景清』
2.『曽根崎心中』
3.『国性爺合戦』
4.『心中天の網島』
5.『女殺油地獄』
6.『義経千本桜』
7.『仮名手本忠臣蔵』
歌舞伎
1.『東海道四谷怪談』
草双紙
1.『金々先生栄花夢』
2.『江戸生艶気樺焼』
読本
1.『雨月物語』
2.『椿説弓張月』
3.『春雨物語』
4.『南総里見八犬伝』
滑稽本
1.『東海道中膝栗毛』
2.『浮世風呂』
(『古典文学編』終了)