AⅣ近世(江戸時代)(5)【後半期】浄瑠璃・読本

松尾芭蕉さんが亡くなった後、蕉風俳諧はどうなったのか。
答えは、さらに多くの人に親しまれて、広がっていくことになったねえ。その理由は、芭蕉さんが、非常に優れた教育者だったからにほかならないよ。
 
芭蕉さんは、生涯、結婚もせずに、旅を続けながら弟子の育成に全力を尽くされたねえ。温かい人間性に溢(あふ)れた性格だったので、多くの弟子たちに慕われていたよ。
その中から、次代の俳諧を担って立つ人材が多く育ったんだ。
 
仏教を説いたお釈迦さんは、後世に教えを広めるための、最も優れた人材として10人の弟子を育てていたんだ。この弟子のことを《釈迦10大弟子》と呼んだんだ。
それに関連付けて、芭蕉さんも最も優れた10人の弟子を育てていたねえ。この弟子たちのことを、《蕉門10哲(てつ)》と呼んだんだ。
その中で特に有名な4人だけ名前を書き出しておくよ。
 
《榎本其角(えのもときかく)》さん。
(『虚栗』を編集)
 
《向井去来(むかいきょらい)》さん。
(『去来抄』を執筆)
 
《森川許六(もりかわきょろく)》さん。
 
《杉山杉風(すぎやまさんぷう)》さん。
 
これらの優れた弟子たちによって、蕉門俳諧は大いに興隆したんだねえ。
ただ、江戸時代の半ばになると、俳諧はまたしても遊びの文芸となって堕落していくんだねえ。
 
時は流れて、江戸時代も後半になると、再び、蕉風復帰の運動が起こり、

《横井也有(よこいやゆう)》さんが出て、
 
『鶉衣(うずらごろも)』という優れた俳文を出したねえ。また、
 
《与謝蕪村(よさぶそん)》さんなんかも出てきて活躍しているね。
 
さらに江戸の終わりには、かの有名な、

《小林一茶(こばやしいっさ)》さんが出てきたよ。代表作は、
 
『おらが春』

『父の終焉(しゅうえん)日記』などがあるね。
 
小林一茶さんの有名な句を1つ。
 
『鳴く猫に 赤ん目をして 手鞠(てまり)かな』    
    (一茶)
面白いねえ、楽しいねえ。本当に文学っていいねぇ。
まあ、こんな調子で俳諧の流れは、次の時代の近代へと流れ通っていったんだよ。
これで、俳諧については終わりにしよう。

さて次は、浄瑠璃・歌舞伎だ。
 
ところで、浄瑠璃も歌舞伎も、舞台で行う演劇だよね。浄瑠璃は、初めは、平家物語の語り口であった平曲と同じよう、語りが中心であったけれど、やがて、三味線が加わり、人形も使われるようになって、人形劇になったわけだね。
 
歌舞伎は、一時は女性も舞台に立つ女歌舞伎もあったのだけれど、その後、幕府が世の中の風紀を乱すということで禁止令を出し、大人の男性だけが舞台に上がることができる野郎歌舞伎になったねえ。
この伝統は、今でも守られていて、歌舞伎に登場する女性は皆、男性が女形として演じているよね。
 
どちらも、伝統芸能として現在にまで続いている、舞台芸術だねえ。
そうすると、浄瑠璃や歌舞伎を論じるのは、演劇論であって文学論ではないよね。

それなのに、文学史としての入試に、たまに顔を出すのは、人形遣いや歌舞伎俳優が問題になるのではなくて、それぞれの演目の台本の中に、文学性に優れたものがあるからなんだよ。
なかでも特に、浄瑠璃には、注目すべきものが出て来たんだ。最も有名な作者は、
 
《近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)》さん。この人だ。
 
当時は人形浄瑠璃が大衆演芸として、非常に人気があって、劇団も形作られるようになっていたねえ。
大阪では竹本義太夫(たけもとぎだゆう)さんという、今でいえば声優が出て、たいへん人気を得たんだね。それで、竹本座という劇団を大阪道頓堀に開いて、盛んに興行して繁盛(はんじょう)したんだ。
 
竹本義太夫さんの人気が、素晴らしいものだったので、浄瑠璃のことを《義太夫》と一般名詞のように使われるようにさえなったんだ。この言い方は現在までも続いているねえ。
その竹本座の専属シナリオライターとして近松門左衛門さんが雇われたんだ。そして、次々とベストセラーの物語を書いていったんだねえ。代表作を挙げておくよ。
 
『出世景清(しゅっせかげきよ)』

『国性爺合戦(こくせんやかっせん)』
 
『曽根崎心中(そねざきしんじゅう)』

『心中天の網島(しんじゅうてんのあみじま)』
 『女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)』
 
始めの2つの作品は、《時代物》といわれるジャンルに属するもので、英雄の伝説や、歴史上の実話をもとに、聞く者をワクワクさせるように書いたものだよ。
あとの3つは、《世話物(せわもの)》といわれるジャンルで、当時の生態、風俗を描いたものだけれど、いずれも、近松門左衛門さんの得意とする《心中物》だねぇ。

これは、超がつくほど人気が出たねえ。竹本座は、心中物のおかげで、莫大な興行利益をあげることができたんだよ。
現在でも、人形浄瑠璃が公演されるというと、たいてい近松門左衛門さんの心中物だよね。それほど、近松門左衛門さんの、浄瑠璃に与えた影響と功績は、大きかったんだね。
 
確かに、読んでみると、語ることを前提に書いている文章だから、名調子であり、内容も読者をぐいぐいと引き付ける力を持っている名作だというのが分かるね。

近松門左衛門さんが亡くなった後の浄瑠璃としては、
 
《竹田出雲(たけだいずも)》さんが活躍したねえ。代表作品には、
 
『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)』

『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』
 
など、歴史上の実話に基づいて書かれたものが人気を博したね。
だけど、江戸期の後半(1760年頃)を過ぎると、人形浄瑠璃は人々の娯楽の対象からはずれてゆき、衰退することになるね。
そして、浄瑠璃に代わって庶民の心を引き付けたのは、人形が出演するのではなくして、人間そのものが舞台に立って演じる歌舞伎へと変わっていったんだね。
その代表作が、

『東海道四谷怪談(よつやかいだん)』これだ。作者は、
 
《鶴屋南北(つるやなんぼく)》さん。この人だ。
 
こんな怪談話の演目が出てきたりして、歌舞伎は大変な人気のある庶民芸能になったんだ。ただ、舞台の上で人が演じることが中心になったので、文学史的には、注目すべきものはあまり出てこなかったね。だから、本稿では、省略しておくよ。
 
アー、そうそう。ここで一言。
 
このあたりの時代では、多くの作品名を、タラタラと並べて書いてしまったねえ。
「『賢い文学史の覚え方は、できるだけ覚える作品の数を減らすことだ』なんて言ったくせに、見たことも聞いたこともないような作品名を並べ立てているじゃないの。どうなってんのよッ?」
と思っているかもしれないねえ。
まあまあ、そんなに怒らないでよ。
 
心配しなくても、入試で、このあたりの時代の作品名を書かせるというようなことは、ほとんど無いよ。だから、丸暗記する必要なんかないね。例えば、『義経千本桜』『仮名手本忠臣蔵』なんかにしても、
「ずいぶん、古めかしい題名だなあ。だけど、平安時代や中世の時代とは名前の付け方が違うね。やっぱり、武士の物語で、江戸時代だなあ。それに作者が竹田出雲さんなんて、おもろい名前だなぁ」
というくらいに頭のどこかに残っておればいいんだよ。
 
そうすれば、試験問題に出たときには、フッと思い出すもんなんだよ。
だから、たくさん、丸暗記しなければならないなどと、負担に思う必要など全くないねえ。オモロク読んで、ちょっと記憶に残しておけばいいんだよ。
 
さあ、それじゃ、続いて、
《読本(よみほん)》をやろう。
読本というのは、上方で流行した、井原西鶴さんを中心にした浮世草子の後を継いで、江戸で発展した小説だよ。

しっかりと、読むのに耐えられるような内容になっているところから、《よみほん》と名前がついたんだ。

浮世草子が出てくる前に、まず、レベルが低く、読みやすい本として仮名草子が、人々の人気を博(はく)したんだったね。

同じように、江戸でも、本格的な読み物である読本が出てくる前に、
《草双紙(くさぞうし)》という読みやす種類の本が出てきたんだ。
草双紙という名称は、総称なんだよ。どんなものが含まれるかというと、
 
《赤本》
《黒本》
《青本》
《黄表紙》
《合巻(ごうかん)》
 
といったような種類の本があったんだ。それぞれ表紙の色でこんな名前がついたんだね。合巻というのは、何冊かを合わせて1冊の分厚い本にしたものだよ。

これらは、たいていは、子供たちを読者の対象にした簡単な読み物だったんだよ。
それでも、黄表紙本になってからは、少しずつ大人も読めるようなものが発刊されていったんだね。その代表作品が、
 
『金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)』
  《恋川春町(こいかはるまち)》さん。
 
『江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)』
  《山東京伝(さんとうきょうでん)》さん。
 
というような作品があるんだよ。
やがて、黄表紙本や合巻本が発展して、大人がしっかりと読むことのできる小説が発刊されるようになるんだ。それが、
 
《読本》これだったんだ。
 
最も代表的な作者は、上方を中心にして活躍した、
 
《上田秋成(あきなり)》さん。この人だ。代表作は、
 
『雨月(うげつ)物語』さらに、

『春雨(はるさめ)物語』これだ。

特に雨月物語は9編の短編小説からなっていて、どの作品も、ずいぶん面白い怪異(かいい)小説だよ。
それじゃあ、その中の1編である『蛇性の淫(じゃせいのいん)』という作品を一部分だけ紹介しておくよ。
 
『外の方に麗(うるわ)しき声して、
「この軒(のき)しばし、惠ませたまへ」
といひつゝ、入り来るを奇(あや)しと見るに、年は、はたちにたらぬ女の、顏容(かほかたち)、髪のかゝりいと艶(にほ)ひやかに、遠山ずりの色よき衣着て、わらはの十四五ばかりの清げなるに、包みし物もたせ、しとゞに濡(ぬれ)てわびしげなるが、豊雄(とよお)を見て、面(おもて)さと打ち赤めて、恥かしげなる形の貴(あて)やかなるに、すゞろに心動きて(後略)』
                                          
「いつごろのことだったか、和歌山に、豊雄という若い男がいた。独身のイケメンだった。
ある日、豊雄は、習い事の帰り道、急にひどい雨に降りこめられた。それで、近くの家の軒先で雨止みをした。傘は借りたが、雨脚が強かったので、しばらくそのまま、雨が弱まるのを待っていた。
 
すると、雨の中をこちらに急ぎ足でやって来る者がいた。
「この軒先で、しばらく雨宿りをさせてください」
若々しい声を出しながら、軒下に入ってくる者を不思議に思って見ると、年のころは、20歳になるか、ならないくらいの女であった。
 
顔の表情や髪型の様子など、たいへん魅力的で、遠くの山の姿などを描いている美しい着物を着て、十四五歳くらいの、かわいらしい召使いに、包みを持たせていた。

びっしょりと濡れて、困った様子をしていたのだが、ふと、豊雄の方を見て、頬をほの紅く染めて恥ずかしそうな表情をした。
豊雄は、その姿のあでやかな美しさに、魅入られるように引き付けられていった(後略)」
 
これが出会いとなって、やがて、2人は結婚をした。
実はこの女の正体は、年老いたメスの大蛇であった。非常に淫乱な性質で、牛と交わっては、恐ろしい龍を生み、馬と交わっては、龍のような馬を生んでいたのだった。
 
この後、物語は邪悪な大蛇と、豊雄を代表とする人間、そして霊験の優れた坊さんとのすさまじい戦いが描かれていくねえ。
緊張感のある書き方で、全く退屈することはないよ。構成もうまいし、文章も簡潔で読みやすいねえ。
 
そして、単なる恐怖心をあおるだけではなくて、哀愁とロマンをひしひしと感じさせるように、人間と異界の魔物との交流が書かれているねえ。

このごろのホラー小説よりも、よほど現実味を帯びて読者に肉薄してくる迫力があるよ。それに、
「もし自分が、主人公の豊雄だったらどうするだろう?」
というロマン、あこがれを抱かせる力量は、ただ者ではないねえ。

江戸時代の上田秋成さんが、こんな素晴らしいホラー小説を書いたなんて、驚きだね。
 
雨月物語は、時代を超えて読み継がれている人気作品だよ。
昭和28年(1953年)には、大映が同名の映画を製作しているね。
『蛇性の淫』を脚色して作られた映画だよ。
今でもDVDが売られているので、進路が決まってからでも見てごらん。面白いよ。
 
読本作者は、上田秋成さん以外にも多くの人が出てきて活躍をしたねえ。
その中で、近世の終わりごろに、上方に代わって江戸で活躍した作家が、
 
《滝沢馬琴(たきざわばきん)》さん。この人だ。代表作には、
 
『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』や、

『南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)』などがあるね。
 
これらは、文体、構成、表現力など、非常に優れた小説になっているよ。
特に南総里見八犬伝は、98巻106冊もの長編小説で、当時はもちろん、わが国で最長の小説だったし、現在の作品に比べても最大級の長編小説だろうねえ。

僕の幼いころ、村に映画館というものはなかったよ。その代わり、夏、月が新月で月光のない日の夕方、広場に業者がやってきて、スクリーンと映写機を据え付けるんだ。それから、暗くなるのを見計らって、映画上映が始まったんだよ。
 
上映された映画の中に、シリーズものの南総里見八犬伝があったねえ。僕はじっとしていられないほど胸をときめかせて見たものだよ。そして、子供心にも、「正義は勝つ」とスカッとした記憶が今も残っているねえ。
父とともに浪曲を聴きに行った映画館は、それからしばらくしてから建てられたものだったんだ。
 
これで読本は、本格的な小説だというのが分かったよねぇ。
雨月物語の本文を少しだけ引用したけれど、かなりレベルの高い文章だというのが分かるだろう。それでも、引用した部分は、僕が、ずいぶん分かりやすく漢字や仮名などを書き換えているんだよ。
 
ということで、読本は、当時の人々にとっては、かなり教養の身についた、しっかりとした読み書きの教育を受けてきた人たちが中心になって楽しむことのできる書物だったわけだね。
 
子供たちを中心にした草双紙と教養の高い大人を対象にした読本とが人気を博(はく)していたわけだけれど、当然ながら、その中間に位置するような本も出てきたねえ。それが、
 
《洒落本(しゃれぼん)》
 遊里(歓楽街)の情報などを書いたもの。
 
《人情本》主に町人の恋愛を書いたもの。
 
《滑稽本(こっけいぼん)》
 低俗なおもしろい内容を書いたもの。
 
これらだ。
今でいえば、大衆週刊誌のようなものだよ。
代表的な作品と作者は、滑稽本に属する、
 
『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』《十返舎一九(じっぺんしゃいっく)》さん。
 
『浮世風呂(うきよぶろ)』《式亭三馬(しきていさんば)》さん。

これくらいのものだね。文章もずいぶん読みやすくなっていて、会話文も多く取り入れられたりして、大衆受けはしたんだけれど、文学的価値は、次第に下落していったねえ。まさに今の大衆週刊誌だ。
 
さてと、近世の読み物についての説明をしてきたけれど、ひとつ気になることがあるだろう。それは、《〇〇本・〇〇草子》という種類の書物が多いということだよねえ。
ここに目をつけた入試作成者がいて、作品と作者よりも《〇〇本・〇〇草子》の特徴についての問題を出していることが、時々あるので注意をしてね。もちろん、本稿を読んでおればバッチリだよ。
 
さあこれで、いよいよ次は、『日本文学史・古典文学編』としては最後の項目になるよ。
 
オモロク、楽しく勉強すること。これが第一だね。人間というのは、楽しくなると、暗記力など、能力が大幅にアップするからねぇ。
張り切って進もう。