AⅣ近世(江戸時代)AⅣ(2)町人文学

近世の文学の最大の特徴は、何度も言っているけれど、日本文学史上において、庶民にまで文学が飛躍的に広まった特筆すべき時代だよね。
それじゃ、どうしてそれほど、すそ野が広がったのか。
 
世の中が平和であったということ以外に、理由を3点、話しておくので、これはしっかりと頭の中に入れておいてね。
まず第一は、
 
〔1〕町人が経済的、社会的に勢力を延ばしたこと。
 
やはり、文学を楽しむためには、生活に余裕がなければならないのは、いつの世も同じだね。
確かに、今日の食べ物を確保するために、必死で動き回らなければならないような生活の中に、文学の入る余地はないよね。
 
江戸時代は、士農工商という身分制度はあったけれど、武士は、製造も商売もしない消費階層であるのに対して、商人は利潤追求の階層だよね。
 
武士は本来、戦をやって武功を挙げ、恩賞として領地を増やしていくものだよね。ところが、江戸時代にはその機会がほとんどなかった。多くの武士たちは、官僚機構の中で、質素な消費生活をするしかなかったんだね。
 
ところが商人を代表とする町人は、身分は低かったけれど、あらゆるチャンスを利用して、冨を蓄えることに成功していったんだね。
中には、町人請負新田(うけおいしんでん)などというものもあったよ。
これは、町人が資金を出して新しい田を開拓するんだ。それを農民に貸して小作料を取る。これによって、豪商といわれるような大金持ちの町人が出てくることにもなったんだ。
 
こうして、町人の生活が豊かになるにつれて、娯楽として書物を読む人が大変多くなっていったんだね。それまでは、書物は非常に貴重なもので、一部の特権階級の人たちだけのものであったのが、広く町人にも読まれるようになったわけだ。
次に第二の理由は、
 
〔2〕庶民教育が普及したこと。
 
いくら、文学が広く読まれるといっても、その前提に文字を読むことのできる人口が増えなければいけないよね。

江戸時代には、寺子屋という、画期的な庶民教育の機関が隆盛したんだよ。
寺子屋は、幕府が推進した公の教育機関ではなく、私設の塾のようなものだね。だから誰でも簡単に開けたことから、江戸期には時代が進むにつれ、非常に多く設けられたんだねえ。
そして子供たちも、そこへ通うのが、日常的な状態にまでなったようだね。
 
明治維新のころの、日本の国民の識字率(文字が分かる人の割合)は、世界でトップクラスだったという統計もあるくらいだ。

これで、経済的に余裕のできた多くの町人たちが、読書の楽しみを実感し、さまざまな書物を求めるようになった訳だね。
最後に第三の理由は、
 
〔3〕印刷術が発展し、出版が企業として成り立つようになったこと。
 
これまで書物は、原作者が手書きをして、それを誰かが書写する、という形で増部されていたねえ。それが、木版画の技術が進歩して、1枚の版木を作れば、何枚でも、書写するより、はるかに短い時間で、紙面を作ることができるようになったわけだ。
 
そして、書物を求める町人が多くなるにつれて、印刷業として商売が成り立つようになったわけだね。これによって書物は、一部の上流階級の人のみの占有物だったものから、庶民も手にすることができるものになっていったんだね。
 
以上の3点によって、文学は飛躍的な広がりを見せたんだよ。
さてここで、文学にとって、永遠の大きなテーマにぶち当たることになるよ。それは、
 
文学における《質と量》これだ。
 
ちょっと、ここで復習だけれどさあ。
中古の文学のところで、平安文学が最高の文学レベルまで高まった理由として、2つ挙げておいたよねぇ。
1つは、世の中が平和だったこと。2つは、文字しか通信手段が無かったこと。だったよね。
 
ここでもう1つ最後の理由を話しておくよ。
それは、平安時代は、文学的に優れた才能と知識を持った特権階級の人だけが、文学の享受者であったことだよ。
文学に造詣(ぞうけい)の深い少人数の人たちの中で、創作され、読まれ、批評されたからこそ、さらにレベルの高い文学作品が生まれたわけだね。
 
これは単純な原理原則だ。
例えば、授業において、学力レベルの高い小人数の生徒ばかりを集めたクラスでは、授業内容は、どんどんと高いレベルへ進めていくことができるよね。
それに対して、学力の高低の差のある多人数の生徒がいる教室では、レベルを落としてやらなければ全体としての授業が成り立たなくなるよね。これは実に当然のことだね。
 
この原理原則は、文学の量と質についての関係とぴったりと符合するんだ。
平安時代の文学が、ほんのわずかな一部の優れた人によって、文学レベルを最高点にまで高められたのに対して、江戸時代の文学は、大衆化が進む中で、平安時代とは比較にならないほどの多くの人々によって享受されたけれど、そのレベルは、著しく低くなったということだねえ。
 
この文学、広くは文化の、量と質の関係は、世界共通のテーマだから、頭のどこかに置いておいて、大学生になってからでも、深く考えてみてちょうだい。
 
というわけで、江戸時代の文学のことを、
 
《町人文学》と呼ぶんだねえ。
 
町人文学の特徴は、町人によって、町人の姿が、町人の興味を引くように描かれているということだよ。上流社会である宮廷生活を中心にして描いた平安文学とは、大きな違いがあるね。
だから、町人文学という言葉の響きの中には、「レベルが低い」という意味合いが含まれているわけだね。
 
実際に代表的な作品名を挙げみると、それが分かるような気がするねえ。もちろん、題名でレベルの高低が分かる訳はないけれどさあ、ちょっとした雰囲気くらいは分かるだろう。
それじゃ、年代順に作品名と作者名と挙げてみよう。
 
1.『好色(こうしょく)一代男』
 井原西鶴(いはらさいかく)さん
 
2.『好色五人女』
 井原西鶴さん
 
3.『曽根崎心中(そねざきしんじゅう)』
 近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)さん 
 
4.『女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)』
 近松門左衛門さん
 
5.『金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)』
 恋川春町(こいかはるまち)さん
 
6.『江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)』
 山東京伝(さんとうきょうでん)さん
 
7.『蛇性の淫(じゃせいのいん)』(雨月物語より)
 上田秋成(あきなり)さん
 
8.『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』
 十返舎一九(じっぺしゃいっく)さん
 
9.『南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)』
 滝沢馬琴(ばきん)さん
 
10.『東海道四谷怪談(よつやかいだん)』
 鶴屋南北(つるやなんぼく)さん
 
書き出すと切りがないので、このくらいにしておくよ。
これらの題名を読んだだけでも、あまり入試問題にふさわしいようなものではないのが分かるだろう。それでも時々は出るけれどね。
 
確かに、平安時代の、高い教養を持った人達だけで創造された文学とは、異質なものだろうねえ。
だけど、僕は、江戸文学を読むと、本当に楽しい気持ちになったり、感動を覚えるんだよ。
例えば、近松門左衛門さんの《心中もの》と言われる作品を読むと、作品世界の豊かさと深さに、平安時代の作品にはない新鮮な驚きを感じるねえ。
 
心中というのは、許されない恋に落ちた男女が、この世では結ばれないので、一緒に死んで、あの世で結ばれようとするものだねえ。
その逃げて行く途中(駆け落ち、道行〈みちゆき〉などと言うよ)の場面で、道端に生えている、なんでもない雑草にも、これがこの世での見納(みおさ)めか、と思うと、感慨がこみ上げてくるのを抑えられない、というような箇所などがあるんだよ。
 
そこで現出される文学世界は素晴らしいもので、このごろの、ちっぽけな恋愛小説の世界とは、天地の差があるよ。
君も、見事、入試の目標を達成したなら、心中ものを読んでごらん。町人文学はレベルが低いというのは、一概には言えないというのが分かると思うよ。
 
さてと、ここで、もう1つ大きな、文学の普遍的なテーマが出てくることになるねえ。
それは、文学は、読者が存在して初めて成り立つものだということだよ。
 
いくら世界最高の小説を書いたとしても、それを読む人がいなければ、無いと同じだね。読者あっての作品なんだ。その読者も、できるだけ多くの人がいればいるほど、作品の存在価値が増すことは言うまでもないよね。
 
中世の連歌では、文学的レベルを高めるために堅苦しい規則などを定めて、結果的に、人々からそっぽを向かれ、衰退してしまったねえ。その逆に自由な俳諧連歌が大流行したわけだ。
これなどは、文学の発展は読者に支えられているという典型だね。
 
イヤー、実に文学というのは面白いねえ。
文学における、量と質と読者、この関連について、君もじっくりと考えてみたらどうだろうかねぇ。もちろん、進路が決まってからだよ。
 
さてと、それじゃあ、次に、具体的な作品について見ていこう。