AⅢ中世(鎌倉・室町時代)(6)【室町時代b】『軍記物語・庶民文学』

それでは、ここで、歴史物語の最後の作品を見ておこうか。
室町時代に入ってしばらくしてから、出てきた作品が、
 
『増鏡(ますかがみ)』これだ。
 
平安期のものも含めてもう1度、書き出すと、
 
1.『栄花物語』
2.『大鏡』
3.『今鏡』
4.『水鏡』(鎌倉時代)
5.『増鏡』(南北朝時代)
 
ということになるね。前の記述のところでは、言っていなかったけれど、『大鏡、水鏡、増鏡』の3つの作品のことを《三鏡(さんきょう)》と呼ぶんだよ。そして、『大鏡、今鏡、水鏡、増鏡』、で《四鏡》と言うんだったねえ。
 
『増鏡』に書かれている時代は、後鳥羽天皇の誕生から、後醍醐天皇が隠岐島より帰京するまでの約150年間のことだ。『大鏡』、『今鏡』の後を書き継いだ歴史になっているねえ。
作者については、多くの学者が、多くの人物を挙げているけれど、どうやら、わが国初の連歌撰集である『菟玖波集』を作った二条良基さんが、最も有力のようだねぇ。
 
表記方法は、『大鏡』、『今鏡』が、項目別に書かれる紀伝体であるのに対して、『水鏡』、『増鏡』は、『栄花物語』と同じように、年月の順を追って記述する編年体で書かれているよ。
例によって面白いのは、その設定だ。

『増鏡』の筆者が、京の嵯峨野に建っているお寺に詣(もう)で、尼さんと出会った時から始まるよ。その尼さんは、100歳を超える老尼だ。長生きをしているから昔のことがよく分かるわけだね。
筆者がその老尼に質問して、昔物語をさせるという、問答形式で書かれているね。
 
文体は、擬古文の流麗(りゅうれい)なものだけれど、特に読んで面白いものではないよ。
さあこれで、歴史物語については終わりだ。

実際には、本稿で取り上げた5つの作品以外にも、それほど数は多くはないけれど、歴史物語は書かれているんだよ。だけど、内容的に優れているのはやはり、栄花物語+四鏡だね。それに、入試には、これらの作品以外はほとんど出ないので、5つの作品を覚えておけばバッチリ
 
さあ、それじゃ続いて軍記物語だ。
室町時代は、戦乱に明け暮れた時代であっただけに、やはり、軍記物は人気があったんだねぇ。
はい、それじゃ、復習です。
これまでに出てきた軍記物語は次のようなものだったねえ。
 
『保元(ほうげん)物語』
      内容は、保元の乱前後のことを書いている。
      中心人物は、源為朝(ためとも)。
『平治物語』
      内容は、平治の乱前後のことを書いている。
      中心人物は、悪源太義平(あくげんたよしひら)。
『平家物語』
      内容は、平氏の隆盛と滅亡。
      中心人物は、平清盛(きよもり)。
『源平盛衰記(げんぺいじょうすいき)』
      内容は、源氏と平氏の隆盛と滅亡。
      平家物語増補版とも言えるもの。
 
この4作品だったねえ。何度でも同じものを見ていこうね。それが、消えない記憶にするポイントだからねぇ。
「嘘でも100回言えば本当になる」
という諺(ことわざ)みたいなものがあるくらいだ。繰り返し頭に入れていくと自然に脳に定着してくるものなんだね。
 
室町時代に入って・・・
ああ、そうそう、言い忘れたような気がするけれど、南北朝時代は、室町時代前期に含めるということで話を進めているよ。また、同じように戦国時代なども室町時代後期に含めているので、よろしくね。
 
室町時代の最初に出てきた軍記物語は、
 
『太平記』これだ。作者は、
 
《小島法師(こじまほうし)》さん。この人だ。
 
作者は、小島法師さんとなっているけれど、他の軍記物語と同じように、多くの人達から、書き加えられながら完成しているんだね。
それが分かるのは通して読んでいくと、文体は同じように書かれていても、それまで書かれていた筆者の思想や感覚のようなものが、微妙に変わってきて、違和感のようなものを感じるんだよね。
 
ちょうど、『源氏物語』の最後の十巻である、いわゆる宇治十帖(うじじゅうじょう)に感じられるようなものだよ。
「なんか、どうも、違うなあ」という感じだね。
だから、宇治十帖は、昔から、紫式部さんではない別人が書き足したのではないかといわれているね。
 
『太平記』には、異なった伝本がたくさんあるけれど、まとまったものでは、全部で40巻もある大作なんだ。『平家物語』に次ぐ傑作だと言えるだろうね。
 
内容は、戦乱に明け暮れた南北朝の50数年間のことを中心に書いているね。だから、記述の多くの部分が、殺伐とした合戦の情景だね。所々には、恩愛や人情の機微(きび)なども、もちろん描かれているけれど、読んでいくと、戦闘場面中心の戦争映画を見ているような気持ちになってくるよ。
だから、『太平記』は、文学書として読まれる以外にも、兵書としても読まれたということだ。
 
こんな、戦乱を中心に描いた作品に、どうして、全く反対な『太平』という題名をつけたのかということだけどさあ。
いろいろな説があるけれど、結局、よく分からないというのが実情だね。
 
文体については、冒頭部分を書き写しておくので参考にしてね。
 
『爰(ここ)に本朝人皇(にんのう)の始め、神武天皇より九十五代の帝、後醍醐天皇の御宇(ぎょう)に当りて、武臣(ぶしん)相摸守平高時(たかとき)と云ふ者あり。
此時、上(かみ)君の徳にそむき、下(しも)臣の礼を失す。
これより四海大(おおき)に乱(みだれ)て、一日も未安(いまだやすからず)。狼煙(ろうえん)天を隠し、鯢波(げいは)地を動かすこと、今に至るまで四十余年。
一人として春秋に富めることを得ず』
 
「わが国が、神代の時代から天皇に引き継がれた最初である神武天皇から九十五代目の帝、後醍醐天皇の御代に相模守平高時といふ武士がいた。
この人の時代から、身分の高い者は天皇にそむき、身分の低い者は上のものに対して礼儀をわきまえなかった。
天下は乱れに乱れて、一日として安らかな日はなかった。戦を知らせるのろしの煙は、空一面に広がり、戦の叫び声は、大地を振るわせるほどだった。こうして、戦の続くこと四十年余りにもなった。
その間に一人として長生きをする者もいなかった」
 
というくらいの意味だ。
本文は、もっと漢語がたくさんあるんだけれど、読みづらいだろうと思って書き下し文風にしておいたよ。
これでも分かると思うけれど、『平家物語』と同じように和漢混交文ではあるけれど、漢文調の方が強められた文体だよね。
だから、少し、堅苦しい雰囲気になっているね。
 
太平記は、文学書や、歴史書や、兵書としての価値とともに、次の時代である近世文学への橋渡しのような役割も果たしているねえ。

近世文学というのは、何回か触れているように、文学が大衆化された時代だよね。
『平家物語』が平曲として琵琶法師によって語られて、享受(きょうじゅ)者のすそ野が広がったように、『太平記』も《語られる物語り》として、多くの聴衆を楽しませることになったんだ。
君の世代の若者は、あまり知らないと思うけれど、講談という演芸の元になったものなんだよ。

講談というのは、話される内容が、落語のように笑いを中心にしたものではなくて、筋道や人物の行動をしっかりと表現して、感動を誘うようになっているものだ。
 
『太平記』は講談に限らず、様々な形式の、多くの文芸や演芸に、たいへんな影響を与えたんだよ。それによって、文学の大衆化は大きく進んだといえるね。

やがて、軍記物語の流れから、注目すべきものが出てきたよ。
それは、これまでの軍記物語と大きく視点を変えた英雄伝と言えるような形式のものが出てきたことだ。
それまでの軍記物語は、多くの登場人物が、史実の流れに従って書かれていたけれど、英雄伝は一人か、数人の主人公が登場し、その人物の生涯を中心に描くというものだね。

これは、人々の人気を博することになったねえ。
その代表的な作品のひとつが、
 
『曾我(そが)物語』これだ。
 
作者は未詳だけれど、楽しく、面白く、読みやすく書かれているんだね。
内容は、曾我兄弟の復讐劇だ。

兄弟は幼いころ、父親が殺される。それ以来、兄弟が力を合わせて、18年間、貧乏に耐え、ついに敵討ちをする。目的を果たしたところで兄弟ともに捕らえられ、処刑をされる。という話だね。
これは大変な人気になったねえ。曾我兄弟に対する、人々の同情と称賛は、まるで英雄のような人物像としてもてはやされたんだ。

『曾我物語』は、その後の文学はもちろん、歌舞伎、浄瑠璃など、多くの芸能に多大な影響を与えたねえ。
君は知らないだろうけれど、今でも高齢者の人たちであれば、
「彼は曾我殿だ」
といえば意味が通じるんだよ。曾我兄弟が貧乏して苦労して耐えたことから、こう言えば、貧乏で苦労しているという意味になったんだね。
 
また、「曾我の雨」と言えば、曾我兄弟が敵討ちをした5月28日に降る雨のことを言うんだよ。
どれほど当時の人々が、また、後世の人々も『曾我物語』に感動していたかがよくわかるね。
この英雄物の流れをさらに盛り上げた作品が、
 
『義経記(ぎけいき)』これだ。
 
読み方はもちろん、「よしつねき」と読んでもいいけれど、例によって「ぎけいき」と覚えておこう。
内容は、言うまでもないかもしれないが、源義経が、牛若丸と呼ばれた幼少年期から平家追討後、頼朝に嫌われて、奥州で自刃(じじん)するまでのことが書いてあるねえ。
 
記述の力点が置かれているところは、平家討伐の景気のよいところではなくして、落胆して逃げて行く、哀れな姿が中心に描かれているねえ。
特にその中で、家来の弁慶の活躍が華々しいのが、逆に、落ちぶれていく主従の哀感を増幅しているねえ。
 
この『義経記』も、大変多くの人に好まれるところとなったねえ。
義経のことを九朗判官義経と官職を含めて呼ぶので、
《判官贔屓(ほうがんびいき)》というような言葉さえ生まれるほど、人気があったんだねぇ。判官贔屓というのは、《弱者に対して味方し、同情すること》というくらいの意味だ。
 
『曾我物語』、『義経記』は、厳密な意味での軍記物語とは少し違うね。軍記物語は、『太平記』などを読んでも分かることだけれど、実際の歴史の出来事をほぼ、忠実に記述しているんだよね。だから、歴史書としての評価もできるわけだ。
 
ところが、『曾我物語』、『義経記』は、歴史を忠実に記述するよりも、史実を改変したり、創作を加えたりして、読む人が感動することを中心の目標にして書かれているね。
だから、ジャンルからいえば、軍記物語というよりも、軍記小説といった方が適切だろうね。
 
どちらにしても、この2つの作品が、中世の終わりの文学状況を大きく変えたことは間違いないねえ。近世大衆文学へ向けて、重要な波動を広げていったんだよ。
 
これ以降も、室町時代には、多くの軍記物が書かれているねえ。
時代が戦乱の時代だから、それにふさわしい読み物が、流行するのは、当然と言えるだろうねえ。ただ、文学史で取り上げるほど、優れたものは少ないよ。

さてと、それではいよいよ、中世文学の最後の項目になったよ。終わりを飾るのは、
 
《御伽草子(おとぎぞうし)》これだ。
 
御伽というのは、暇なときに話し相手をすることで、草子というのは、『枕草子』と同じで、紙を何枚か重ねてとじた冊子のことだね。
簡単な話の内容の、薄い本、というくらいの意味だね。
 
中世の終わりの文学状況は、大衆化という方向に大きく動いていったね。その方向に、うまく合致したのが、御伽草子だったわけだ。

文体も内容も、通俗的で読みやすいものになっているねえ。それに、庶民が読者であることを考え、長編ものは無く、多くの人が、短時間で、気軽に読めるような形式になっているんだよ。
中には、文字があまりよく読めない読者のために、絵を入れたりしているものも出てきたんだ。
実に、御伽草子は、現代の漫画の発生源であったといえるね。
 
書かれている題材は、この時代までに出てきた、あらゆる作品を取り入れている感じがするほど、多岐多彩(たきたさい)に渡っているね。
『寸法師』など、現在でも誰もが知っているような物語がたくさんあるよ。
 
御伽草子は、この頃の時代の人々の好みに見事に合って、数百編が作られたといわれているね。
ますます、本格的な文学の大衆化に寄与したわけだね。
 
さあ、これで中世文学は終了だ。
 
次は、『日本文学史・古典文学編』としては、最後の時代区分である近世に入ってゆくよ。
元気を出して、頑張って行こう。
 
それでは、中世文学の代表的な作品名を、ジャンル別、年代別に書き出しておくので、どれだけ記憶に残っているか、確認してちょうだい。
 
和歌
 
1.『六百番歌合』
2.『新古今和歌集』
3.『金塊和歌集』
4.『玉葉和歌集』
5.『風雅和歌集』
6.『菟玖波集』(連歌)
7.『新撰菟玖波集』(連歌)
8.『水無瀬三吟百韻』(連歌)
9.『新撰犬菟玖波集』(俳諧連歌)
 
評論
 
1.『古来風体抄』(歌論)
2.『無名草子』(物語評論)
3.『無名抄』(評論)
4.『毎月抄』(歌論)
5.『筑波問答』(連歌論)
6.『ささめごと』(連歌論)
 
日記
 
1.『海道記』
2.『建礼門院右京大夫集』
3.『明月記』
4.『関東紀行』
5『弁内侍日記』
6.『十六夜日記』
7.『とはずがたり』
 
史論
 
1.『愚管抄』
2.『神皇正統記』
 
随筆
 
1.『方丈記』
2.『徒然草』
 
説話
 
1.『発心集』
2.『宇治拾遺物語』
3.『十訓抄』
4.『古今著聞集』
5.『沙石集』
 
物語
 
1.『松浦宮物語』
2.『住吉物語』
 
歴史物語
 
1.『水鏡』
2.『増鏡』
 
軍記物語
 
1.『保元物語』
2.『平治物語』
3.『平家物語』
4.『源平盛衰記』
5.『太平記』
6.『曾我物語』
7.『義経記』