AⅢ中世(鎌倉・室町時代)(1)【末法思想】

暑いねえ、アツイ!何回言ってもアツイ。
オリンピックの方も熱いねえ。

今朝の午前1時からは、なでしこジャパンが、フランスとの準決勝の試合だったね。
始めから、ハラハラ、ドキドキの緊張感のある試合で、結局、午前3時ごろまで見てしまったよ。

それから寝たんだけれどさあ、今日は特に用事があるわけでもないから、ゆっくり眠ればいいのに、決まった時間に早く目が覚めてしまうんだよね。年を取るとこうなるんだ。

君は、眠りたいだけ眠る、というのは若者の特権であるということを知っているかい?。
だから、今朝は朝食の時から寝不足で体がシャキッとしないんだ。

「ああ、今日は体がだるい」
と僕が言うと、
「なに言ってんのよ。自業自得(じごうじとく)よ。かんけいないワ」
と娘と母は、冷たく言う。そして、娘はプイッと顔をそむけて、出勤する。妻は、窓辺のポトスに大事そうに水をやっているよ。

「・・・コラッ、いったい誰のおかげで、これまで飯を食えたと思っているんだ!」
と言ってやりたかったけれど、その声も気力も出なかったねえ。
やれやれ、今日は、立秋の日だ。少しでも涼しくなってくれることを祈っているよ。
 
さてと、中世だね。
とりあえず、中世の期間を確認しておこうか。
始まりは、君もきっと「いい国」1192年と覚えただろう。今からおよそ800年前に源頼朝(みなもとのよりとも)さんが、鎌倉幕府を開いた時だ。そして終わりは、約400年前(1603年)、徳川家康さんが江戸幕府を開く時までの、約400年間を指しているよ。

この期間を大きく分ければ、
前半、鎌倉時代の約140年間。
後半、室町時代ほかの270年間。
に区切ることができるだろうね。
 
中世という名前から出てくるイメージは、ヨーロッパ中世暗黒時代といわれるように、悲惨な時代であるように思われるよね。残念ながら日本においてもそれは当たっているね。
日本の中世も、殺し合いに明け暮れた時代といえるだろうね。
まず、源頼朝さんの後を受けて、第2代将軍になった源頼家(よりいえ)さんも、第3代将軍、源実朝(さねとも)さんも、2人とも暗殺をされているね。

その後も、承久の乱により、後鳥羽院が島流しになる。

さらに、室町幕府が開かれたといっても、南北の朝廷に分かれて争いは絶えない。
やがて、応仁の乱が起こり、東軍西軍に分かれて京都を中心に大乱になる。京都は戦乱の主戦場となって、破壊されてしまう。

幕府の権威も失われて、全国規模で、群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)、下克上の戦国時代に入ってゆくことになるね。
この期間の「○○の乱・○○の戦い」というのは、山ほどあるよ。
 
さらに、国内だけの内紛ではなくして、本格的に外国から攻められた時代でもあるね。
蒙古襲来だ。文永の役、弘安の役、と中国の元の国から、2度にわたって大人数の兵が押し寄せて来たね。
どちらの国にも多くの死者が出たよ。
 
ところで、どうして、こうも、人間というのは殺し合いをするものなのかねえ。地球上の動物の中で、同類を最も多く殺した動物は、人間にほかならないよね。
なぜ、そんなに殺すのか。理由は簡単だよ。愚かだからさ。

今も地球上では、戦国時代のように、世界のあちらこちらで悲惨な殺し合いがなされているね。それを、誰も止めることができないよね。
 
世界中には、優れた政治家や学者など、賢い人がたくさんいるように思うかもしれないけれど、人間の最低限のあり方としての、殺し合いを止めさせる知識も知恵もないんだよね。テレビなどに賢こそうな顔をして出てきて、分別くさいことを言っても、いっこうに戦争を止めさせられない。そんな人は、愚者の代表だね。

人間の知識や知恵なんて、この程度のものなんだよ。
君よ、恐れるな!と言いたいねえ。君が今、勉強している知識というのは、自らの暴走を止めることさえできない愚かな人間の作り上げた、レベルの低いものだ。
そんなもの、君が少し本気になれば、すぐに自分のものにできるよ。君にはその上に、新たな知識と知恵を創造して、愚かな殺し合いを止めさせる力を身につけてほしいねえ。
 
いずれにしても、中世、鎌倉室町時代の人々は、人為的な殺し合いの渦の中で、塗炭(とたん)の苦しみを受けていたことは間違いないねえ。
このころの、世相を表したものとしてよく教科書にも出てくるものに『二条河原落書』というのがある。
 
『この頃、都にはやるもの。夜討、強盗、謀綸旨(ぼうりんじ)。召人、早馬、虚騒動(そらそうどう)。生頸(なまくび)、還俗(げんぞく)、自由出家。俄大名(にわかだいみょう)、迷者(まよいもの)。安堵、恩賞、虚軍(そらいくさ)』
 
「このごろ、都でよく起こっているのは、こんなことだ。夜中に相手を襲う殺人事件、強盗、偽物の天皇の命令書。
武士たちの緊急な集合命令、急いで飛ばす騎馬、飛び交うデマからいたるところで起こる騒動や争い。
生首はあちらこちらで見られ、僧侶が簡単に信仰を止めて俗人になる、逆に俗人が勝手に出家したといって僧侶になる。
このどさくさをうまく利用して大金持ちになる者、逆に路頭(ろとう)に迷うように落ちぶれてしまう者。
土地の所有権や支配権をもらう為や褒美(ほうび)をもらう為に、嘘の戦いの成果を作り上げること」
 
これを読むと、当時の世の中の様子がよくわかるね。一般庶民は、治安も悪いし、騒乱状態で、無秩序な社会の中で、不安におののきながら、日々を送っていたんだろうねえ。
国の舵を取るべき指導者、政治家が、自分の欲のために無責任なことをして、社会を混乱させてしまうと、一般庶民の日々の生活までもグチャグチャに潰してしまうことになるんだよね。
 
いつの時代も、争いによって最も悲惨な被害を受けるのは、立場の弱い人々であるのは共通した原理だね。
 
さらに、中世の時代は、人為的な戦(いくさ)だけではなくして、自然現象にも甚だしい異変があったよ。
当時の記録を読むと次のようなものがあるね。
 
【寛喜4年】
飢饉のため麦を牛馬の飼料に使用することを禁ず。
6月、京都長雨洪水。
【天福元年】
京都に疫病を流行。
5月、京都鴨川氾濫。
【寛元2年】
10月、鎌倉に黒雲長蛇のごとく天を渡る。
11月、鎌倉洪水。
【寛元3年】
日光変色す。白虹(はっこう)あらわる。
7月、京都に両日、東西に見ゆ。京都大地震。
【宝治元年】
3月、鎌倉中いたるところに黄蝶群飛す。
9月、鎌倉大風。
11月、鎌倉大地震。
 
本当に書き出すと切りが無いほどあるので、わずかしか書かないけれど、異常気象、自然災害が非常に多く発生しているね。おそらく、平安時代の400年と中世の400年の気象データがあったとしたら、それを比較すると、中世の方が圧倒的に被害が大きいのが分かるに違いないよ。
 
こんな状況の中で人々の被災状況はどんなものだったのか。これもまた一端だけれど、見てみよう。まずは京都の町の状態で、『方丈記』の一文。
 
『ついひぢのつら、路のほとりに飢ゑ死ぬる者のたぐひは、数も知らず。取り捨つるわざもなければ、臭き香、世界にみちみちて、変り行くかたちありさま、目もあてられぬこと多かり。いはんや、河原などには、馬・車の行きちがふ道だにもなし』
 
「土壁の前や道端に、飢え死にした人が多数あり、多すぎて数えようもない。死体を片付けたりすることもないので、死臭が周囲、一面に充満している。死体が腐敗し、形が崩れていくありさまは、あまりにも悲惨で、まともに目を向けることもできないことが多い。狭い所にさえ、これほど多くの死体が放置されているのだから、まして広い河原などでは、死体でいっぱいになり、馬や車が行き来する隙間さえもない」
 
こんな悲惨な状況が、あちらにもこちらにも、あったわけだ。
今度は鎌倉の町の状態で、『立正安国論』には次のようにある。
 
『旅客来りて嘆いて曰く。近年より近日に至るまで天変地夭(てんぺんちよう)・飢饉疫癘(ききんえきれい)、遍(あまね)く天下に満ち、広く地上に迸(はびこ)る。牛馬、巷(ちまた)に斃(たお)れ、骸骨、路(みち)に充てり。死を招くの輩(ともがら)既に大半に超え、悲まざるの族(やから)敢(あえ)て一人も無し』
 
「旅人がやって来て、嘆き悲しんで言う。
近年から最近に至るまで、異常気象や自然の異変が続き、天候不順による飢饉が起こり、疫病も広く世の中に広がって、生活する場所はどこも災害に疲弊(ひへい)しきっている。人間は言うまでもなく、生命力の強い牛や馬さえも、いたるところで死んでしまい、その死骸や骸骨が道路いっぱいにあふれている。今はすでに人々の半数は死んでしまい、この悲惨な状態を悲しまない人は、ただの1人もいない」
 
当時の人々は、人災に天災が積み重なるように膨れ上がって、いつ自分が死んでしまうか分からず、日々、生きた心地がしないような生活を強いられていたんだ。
こんな地獄絵図のような生活場所から天空高く逃れたいとも思うけれど、
「羽なければ空をも飛ぶべからず」(方丈記)とあるのは、人々の切実な気持ちをよく表しているねえ。
 
こんな、未来に対して何の希望もない、暗黒のような時代状況の中から、
『末法(まっぽう)思想』が出て来たんだよ。
 
末法思想というのは、末世(まっせ)思想ともいわれるね。
どんな考え方なのかというと、文字の通りで、世の中が、時代そのものが、末の世の中、すなわちこの世の終わりになるという考え方だ。

何をどのように対策しようが、結局、世の中が破滅してしまって終わりになる。それは、人為的に努力して良くなるとかいうものではなく、運命的なものだ、と考えることだね。
 
ハルマゲドンの終末思想が、日本の中世の時代にすでにあったんだね。
 
ところで、この末法思想の由来は、今から2500年ほど前にインドに生まれたお釈迦さんから来ているんだ。
仏教の開祖、お釈迦さんは、自分が死んだ後の世の中が、どのようになるのかを予測したんだね。彼の歴史観だ。

お釈迦さんは、時代を500年ごとに区切って、それぞれどういう社会状況になるかを述べているね。さらに広い時代区分として、お釈迦さんの死後を1000年間単位で時代区分している。それによると、
 
最初の1000年は、正法(しょうほう)時代といって、人々が誠実な生き方を身につけていて、十分に幸福を感じられる時代だ。

第二の1000年は、像法(ぞうほう)時代といって、人々はまだ、誠実な生き方を求めて、ほぼ、幸福を感じられる時代だ。

第三の1000年が、末法時代だ。どういう時代状況かというと、次のようにお釈迦さんが言っているよ。
 
闘諍言訟(とうじょうごんしょう)
白法隠没(びゃくほうおんもつ)
 
世の中の多くの人間が、いつも、武器をもって戦争したり、争いごとを繰り返している。
人間が人間らしく生きるための教えが、人々の間から忘れ去られて、人間が動物のように弱肉強食の殺し合いの生き方になる。
 
お釈迦さんは末法の人間の生き方をこんなふうに予測しているんだよ。要するに、救いようのない時代というわけだ。

こういう末法に、年代を計算すると、ちょうど、中世の期間に突入することになった訳だ。

この思想は、当時の世の中の状況から考えて、身分の高い低いにかかわらず、広く一般的に広まった考え方だった。別の言い方をすれば、それだけ、当時の人々の心に共感を呼ぶ歴史観だったわけだね。
だから、中世文学には、末法思想を色濃く反映したものが多くあるね。その一つが、
『平家物語』だね。とりあえず、冒頭だけ見てみよう。
 
『祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声
諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり
沙羅双樹(しゃらそうじゅ)の花の色
盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理(ことわり)をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
たけき者もついには滅びぬ
偏(ひとえ)に風の前の塵(ちり)に同じ』
 
「お釈迦さんが、説法をよくしていた祇園精舎というお寺の鐘の音には、この世のすべてのものは必ずいつかは滅んでしまう、という教えを唱えているような響きがある。
また、お釈迦さんが死んだ時に、咲いていた花がしぼんだという沙羅双樹の木の花は、調子が良くて大成功したような人間であっても必ず衰える時が来る、という原理を教えているようだ。
調子のいい者もそれほど長く続くものではない。
例えば、短い春の夜の夢のようなものだ。
勢いがよくて、強そうな者も、結局は滅んでしまう。
まったく、風の前でチリが吹き飛ばされるような様子と同じだ」
 
という事だ。諸行無常という、人為的に何をしても結局は、いつかは滅びてしまうという無常感は、末法思想の底流に流れる感情なんだね。
次の作品、方丈記の冒頭も見てみよう。
 
『行く川のながれは絶えずして、しかも本(もと)の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまりたる例(ためし)なし。世の中にある人と住家(すみか)と、またかくの如し』
 
「流れてゆく川の水は、いつも変わらずに、常に流れているように見えるけれども、考えればその水は、もとの水ではなく、常に入れ替わって新しい水が流れている。
川の流れがゆったりとしているようなところには、そばの強い水流からできた水の泡が、消えたかと思うとまたでき、できたかと思うとまた消えたりして、長い間、同じ状態でとどまっていることはない。
世の中に生きている人々や住んでいる家々もまた同じだ。人が生まれたかと思えば死んでゆき、新しい家が建ったかと思えば、古い家は壊れてゆく、そんな変転を繰り返して、いつまでも同じ状態でいることができないのが世の常なのだ」
 
両者は、まさに中世文学の象徴のような作品だね。
前にも言ったけれど、社会の状況が、そのまま文学にも反映されて、中世の文学というのは、無常感漂うものが好まれたと言えるね。
 
だから、中古の文学最盛期のころに出てきた、「をかし」の文学『枕草子』のようなものは、
「をかし、だなんて、そんな情趣を味わう気持ちなんかに、なれる訳ないだろう。そんなこと、どうでもいいことで、そんな些細な感情にこだわることこそ、いとをかし、だよ」
というわけだ。

さらに、「もののあはれ」の文学『源氏物語』のようなものは、
「そんな、だらだらと長い少女漫画のような恋愛の話なんか、読んでいる暇なんかないよ。読み終わらないうちに、恋愛中の、どちらかが殺されるか、飢え死にするか分からない世の中だよ。あの世にでも行って、暇ができたら読むさ」
というくらいの雰囲気の時代だ。
 
だから、中世文学には、長編の物語などは出てこない代わりに、短詩形の和歌が再び、息を吹き返して、歌集が多く作られたね。
また、世の中が戦乱に明け暮れているところから、源氏物語などよりも身近に感じられる戦乱を描いたものが出てきたよ。それは、平安末期の歴史物語をさらに発展させた、『軍記物語』として花開いた。軍記物語は、中世文学の大きな柱になるものだ。
 
中世の文学を総覧してみると、人々は動乱の時代に文学に対して、大きく3つの態度を取ったことが分かるね。
 
1つ目は、平安末期の幽玄の文学理念の流れを発展させて、戦乱の中であったとしても、深い文学理念を確立して、時代の中に生きてゆける文学を目指したものだ。
 
2つ目は、社会に新たな勢力を築いた武士階級が、戦乱という現実を肯定的にとらえて文学に表現しようとしたものだ。
 
3つ目は、無常な現実社会から逃れて、出家なり隠遁(いんとん)して、内省的に思索を深めて、文学作品に仕上げようとしたものだ。
 
このように中世文学は、時代に翻弄(ほんろう)されながらも、多種多彩な文学者によって築き上げられたものなんだよ。
 
以上が入試用の説明でした。
 
これ以下は、まったく入試とは関係ないので気軽に読んでちょうだい。
ごく簡単に、本当のことを書いておくよ。
 
実は、お釈迦さんは、末法という時を暗黒時代とは説いていないんだ。逆に、末法とは、新しい太陽の昇る時であり、希望の時代であると説いているんだよ。
「エーッ?」と思うかもしれないが、これが事実なんだ。
お釈迦さん自身が説いた法華経(ほけきょう)という経文には次のように言っているよ。
 
『我が滅度の後、後の五百歳の中に、広宣流布(こうせんるふ)して、閻浮提(えんぶだい)に於いて、断絶せしむること無けん』
 
お釈迦さんは、「自分が死んだ後にやってくる、後の五百歳すなわち末法という時代に、全世界に新しい幸福への流れができて、絶えることなく永遠に続くだろう」と言っているんだ。

さらに、中国で最も人気のあった坊さんである天台大師も、法華文句という書物に次のように書いているよ。
 
『後の五百歳、遠く妙道に沾(うるお)わん』
 
「末法では、未来永遠に幸福への道で満たされるだろう」
という意味だ。さらに、次のように書いている仏教書もあるよ。
 
『道心あらん人々は、此を見聞きて、悦(よろこ)ばせ給え。正像二千年の大王よりも、後世を思わん人々は、末法の今の民にてこそあるべけれ』
 
「末法に真に幸福への道があるということを知ったならば、道を求める心がある人は大いに喜びなさい。正法時代、像法時代の2000年の間に生まれて、王様となって名誉も地位も財産も余りあるほど持っている人になるよりも、人間としての最高の幸せを願うのであれば、末法の今の時にこそ生まれた庶民の方が、はるかに幸福者なんだ」
 
というふうに書いているんだねぇ。ずいぶん末法についての解釈が違うものだよね。
お釈迦さんの真意は、末法は、闘諍言訟・白法隠没の最悪の状態になるけれども、それを乗り越えれば、最善の状態になる、ということを言いたかったんだよ。

闘諍言訟・白法隠没は、最善になるための前兆であり、むしろ、人々が最高の幸せを手に入れるための歴史的な必須条件だと言っているんだね。
 
と言うわけで、ほんとうの末法時代とは、一般に言われているような暗い時代ではなく、お釈迦さんは、最高に輝かしい幸せな時代であると言っているんだね。
 
また、『諸行無常』の解釈にしても、お釈迦さんが言ってるのとは違ったものになってしまっているんだよ。
もともと、この諸行無常という経文は、お釈迦さんの説いた、涅槃経(ねはんぎょう)というお経の中にあるんだ。
 
『諸行無常(しょぎょうむじょう)
是生滅法(ぜしょうめっぽう)
生滅滅已(しょうめつめっち)
寂滅為楽(じゃくめついらく)』
 
というふうに書かれているんだ。この形式は1偈(げ)と言って、これだけでまとまった意味を持っているんだよ。
簡単に意味を説明しておくよ。
 
「宇宙森羅万象、すべての存在は、永遠に変化しない絶対的な存在ではなく、常に変化の連続の上に成り立っているものだ。
それはすべて、生と死、生と滅を絶え間なく繰り返す法則の上に成り立っている。形有るものは必ず滅ぶ。また逆に、無限にあらゆるものが新しく生成されている。この生じたり、滅したりしながら続いているのが、すべての存在のあり方だ。

幸福境涯を得るためには、そんな生滅を繰り返すような相対的な世界に執着することを止めることだ。惑わされないことだ。相対的な世界を超越することこそ最も大切なことだ。
物事の表層のあり方にとらわれない、超越した境涯こそ最高の楽しみの世界なのだ。これこそ、人生の求むべき目的であり、もっとも幸福な境涯だ。その境涯は、どのような世俗的、相対的な世界にも壊されることはない、絶対的な幸福境涯なのだ」
 
まあまあ、この程度の意味かなぁ。これで分かることは、諸行無常という言葉には、侘(わび)しさ、哀(かな)しさ、虚(むな)しさ、というような主観的な感情は含まれていないということだね。
この感情は、人々が、お釈迦さんの真意が分からずに、自分たちの気に入った情感を感情移入したんだね。
 
諸行無常というのは、絶対的な幸福境涯になるための、現実の認識論だったんだ。
 
いつかは無くなってしまったり、壊れてしまうような、そんなものに人生を賭(か)けたのでは、真実の幸福にはなれない。賭けていたものが、消滅すれば、たちまちに人生の意味を見失って不幸になるよね。

そんな生き方をするのではなくして、僕たちが生きている現実というのは諸行無常なんだから、その奥に存在する絶対的なものに向かって生きていくことが崩れることのない幸せな人生だ。
とお釈迦さんは教えているんだよね。
 
実に面白いことだね。諸行無常という言葉ひとつを取ってみても、こんなにいろんなことがあるんだなぁ。

以上、入試には関係ないから、忘れ去ってね。間違っても、
「末法とは、新たな太陽の昇る希望の世紀であり、諸行無常とは、崩れざる幸福境涯を築くための現実認識論である」
などという解答を書いてはだめだよ。
無学か、浅学な採点官が、君の模範解答に×をつけるからさあ。