AⅡ中古(平安時代)(4)【第2の100年b】『竹取物語・伊勢物語』

平安文学が、日本文学史上、最も文学的な深まりを達成することができた理由として、社会が《平安》であったことは、前に言ったよね。
ここでもうひとつ、その理由を付け加えておくよ。
それは単純な理由だ。要するに、離れた人とのコミニュケーションには、文しかなかったということだ。そのうえ、直接、顔を合わす人であったとしても、心の中にある気持ちを文として書いて渡す習慣もできた。

現在のような音声や映像による通信手段は当然なく、また当時の文は、今のEメールのような、会話に近い働きをする文とは全く違っていたねえ。書き言葉と話し言葉は、完全に独立していたのだよ。
だから、文を書ける人々は、言葉を最大限に効果的に使って、より優れた、より豊かな表現内容を書こうと非常な努力をしたんだね。
 
特に、和歌という、わずか三十一(みそひと)文字の言葉で、どれだけ深い内容を表現できるか、悪戦苦闘をしたわけだ。明けても暮れても、文の書き方を考え、練習したんだ。
その結果、日本の言葉の持っている表現能力の限界にまで達したといえるねえ。

人間というのは、こういう規制の枠(わく)をはめられた方が、物事の発展につながる場合があるね。
君かて、入試に挑戦できるのは今年のみだ、と言われたら、さらに勉強に力がはいるだろう。
 
この時代は、できるだけ短い文に、できるだけ深く優れた内容を表現しようとして、さまざまな技巧を考え出していった。
掛け言葉、縁語、係り結び、枕詞、体言止、倒置法、省略法などのような修辞法から、五七調《万葉調》、七五調《古今調》などのリズムに至るまで、言葉の働き、文章の働きを磨きに磨き抜いたわけだ。
 
こういうわけで、結局、平安文学の文章表現が、最高レベルにまで達したわけだね。
こんな優れた日本文を使って、和歌ではなくて、物語や日記という日本文学史上にそれまで無かった新しいジャンルを切り開いたのも、第二の100年の大きな特徴だよ。
 
このころ、わが国で初めて、物語という文学意識が出てきたねえ。
物語とは何か。これまでも古事記や日本書紀に伝説や説話が取り入れられているけれど、それらと物語とは違うんだよね。

物語とは、小説のことだ。始めから終わりまで、しっかりとした構成を立てて、主人公も明確に、登場人物も、それぞれの人物の働きが筋書きに合わせて統一されているものだよね。
こういう小説の要素を満たす文学作品が出てきたというのは、文学意識の面からみると、革命的な変化とさえ言えるよ。
 
ここで、しっかりと押さえておこう。
わが国の物語の出発には2つの流れがあったということを。
ひとつは、
 
『竹取物語』この流れだ。

これは、君も知っているように、主人公がエイリアンというSF小説だ。このごろ、SF映画などと言って、いかにも時代の先端をいくような宣伝をするものがあるが、冗談ではない。今から1100年前に、なんと、日本では宇宙人の出てくる竹取物語という非常に完成されたSF小説があったのだ。
 
ET(地球外生命体)と地球の子供たちが心を通わせるという映画もあったね。ETであるかぐや姫が、地球人の仮の父と母と心を通わせる、なんて、まともにアメリカのSF映画と同じ構成じゃないか。しつこく言うけれど、今から1100年前だよ。
 
また、人間と異次元の生命体とが、本来当然、結び合うことはできないのだが、心を通じ合わせようとする。そして、いいところまで仲良くなるんだが、所詮は、人間と異星人、結果的に別れることになってしまう。

この二者の間にある、乗り越えることのできない宿命的な壁、この場面に読者は接することによって、感動を覚え、愛の永遠性をロマンチックに感じることができるんだ。そして満足する。
このパターンは、現在でもいくらでも使われている構成だ。それが竹取物語には見事に取り入れられていることは、本当に驚きとしか言いようがないよね。
 
竹取物語の作者は不詳だ。だけど、これだけの効果的な構成と、さらに、途中で読者を笑わせるようなユーモアを取り入れたり、最後の感動的な演出など、プロ作家といえる人物だねえ。
当時、文字を読み書きできた人は、一部の僧侶や宮廷人に限られていたけれど、その中でも、特に文才の優れた人物であったに違いない。
 
もう分かったと思うけれど、竹取物語は、現実には有り得ない空想的な話だね。これを、
 
《伝奇(でんき)的作り物語》と表現される。
 
伝奇というのは、普通では考えられない超現実的なこと、という意味だ。
また、よく知られていることだけれど、竹取物語のことを源氏物語で、紫式部(むらさきしきぶ)さんは次のように書いているよ。
 
『物語の出(い)できはじめの祖(おや)なる竹取の翁(おきな)』
 
竹取物語のことを「物語の開祖」といっているね。紫式部さん自身も読み、源氏物語に、少なからず影響を受けたことをうかがわせるね。
ここで再度、明確に頭の中に入れておこう。竹取物語は、わが国初の、
 
《伝奇(でんき)的作り物語》これだ。
 
せっかくだから、ここで、竹取物語の冒頭の部分だけ一緒に読んでおこうよ。
 
『今は昔、竹取の翁(おきな)といふ者ありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろづのことに 使ひけり。名をば、さぬきの造(みやつこ)となむいひける。
その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。怪しがりて、寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり。翁、言ふやう、
「我、朝ごと夕ごとに見る竹の中におはするにて、知りぬ。子となり給ふべき人なめり。」
とて、手にうち入れて、家へ持ちて来(き)ぬ。妻の嫗(おうな)に預けて養はす。うつくしきこと限りなし。いと幼ければ籠(かご)に入れて養ふ』
 
なんと、簡潔で無駄のない文章であることか。感心するねぇ。
「小説の神様」といわれた志賀直哉(しがなおや)さんの小説に『城の崎(きのさき)にて』というのがあるけれど、文章に対する基本精神が非常によく似ていると思うね。
また、書き出しの「今は昔、○○といふ者ありけり」という表現は、この後の昔話の定型句になったよ。
 
さあそれじゃ、続いて、もうひとつの物語の流れにいこう。
それは、
 
『伊勢物語』これだ。

伊勢物語も作者は不詳だね。
主人公は、わが国初の勅撰和歌集、古今集の六歌仙時代の歌人である、プレイボーイ在原業平さんだ。
全部で125個の短編小説から成り立っているねえ。中には、わずか50字以下という超短編のものもあるよ。
多くの作品の書き出しが、「昔、男ありけり」で書かれているよ。この主人公の男というのが、在原業平さんだ。

一つひとつの作品が独立したもののようになっているけれど、一貫して、在原業平さんの出来事が中心に書かれているのだよ。
最初の、書き出しの作品は、主人公が成人式を上げたときの出来事が書いている。次のようなものだ。
 
むかし、男、初冠(ういこうぶり)して、奈良の京、春日(かすが)の里に、しるよしして、狩りに往(い)にけり。 その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。
 
「初冠」というのは、今でいえば成人式のことだ。「しるよし」というのは、領地を持っていたので、ということだね。
奈良の都の春日の里で、非常に美しい姉妹が住んでいて、この男がそれを見て、恋の歌を送る、という内容だ。
 
そして最後の125番目の作品は次のようなものだ。
 
むかし、男、わづらひて、心地(ここち)死ぬべくおぼえければ
 
つひに行く 道とはかねて聞きしかど 
        きのふけふとは 思はざりしを
 
昔、男が、重い病気になって、たいへん気分が悪くなり、死んでしまいそうな気持ちになったので、次のような歌を、この世の最後のものとして詠んだ。

誰でも最後に必ず行き着くのは死出の道と、以前から聞いて知ってはいたけれど、まさか、自分がその道を行くの時が、昨日今日というほど切羽詰まっていようとは思っていなかったのに。
 
というくらいの意味だ。
だから、伊勢物語は、在原業平さんが成人式を迎えてから死ぬまでの間の、男の一代記といえるものだよ。内容はほとんどが、恋愛ものだ。
たいへん、微妙な恋愛の情感を、文学性豊かに表現されているね。
最近のベストセラーになったような恋愛小説と読み比べれば、どちらが素晴らしいか、だれでも分かるよ。

ぜひとも君も、入試が終われば、つれづれに伊勢物語を読んでみてはどうだろうね。感動すること間違いなしだよ。
 
まあ、いずれにしても、1100年も前に、今でいえばミュージカルの脚本のようなものが、完成していたというのは驚き以外の何物でもないね。
それも、「男の一生」と言えるような壮大なスケールで書かれているのだから、素晴らしいとしか言いようがないよ。
 
伊勢物語は、ミュージカル、と言ったけれど、その通りで、和歌が中心なんだ。地の文(和歌以外の説明文)は、歌の効果をより高めるための説明文なんだ。最後の125番目の作品を読んでも、それがよく分かるだろう。
だから、和歌の詞書(ことばがき)が少々、長くなったものだとも言われているよ。詞書というのは、「春に旅をしたとき、山桜に出合って作った歌」などと、歌が作られたときの、簡単な説明書きことを言うんだよ。
 
さあ、ここで、しっかりと押さえておくことがあるよ。
それは竹取物語と伊勢物語の比較だ。

竹取物語は、伝奇的な、不思議な話であったのに対して、伊勢物語は実在する在原業平という人物の現実の話だね。
竹取物語は、今の小説のように説明文や会話文を中心に書かれているのに対して、伊勢物語は和歌を中心に据(す)えて書かれているね。
だから、次のように覚えよう。記憶に残るようにするために、何度でも同じことを書くので、頭のどこかに入れてね。
 
竹取物語は、わが国初の《伝奇(でんき)的作り物語》

伊勢物語は、わが国初の《現実的歌物語》
 
これで、バッチリだ。
さあそれでは次に、日記文学に進もう。