AⅡ中古(平安時代)(3)【第2の100年a】『古今和歌集』

かな文字が普及するにつれ、口承(こうしょう)文学時代から日本人の心に流れていた文学感情を表記するものとしては、漢文よりもはるかに、かな文字の方がしっくりとくることに気がついたんだね。

平安時代に入って100年もすると、次々とかな文学が出てきたんだ。
外国語の漢文を使って漢詩を作り、いい格好していた男性にも、かな文字を使って作品を書く人が多く出てきたねえ。
また、男尊女卑の社会の中にもかかわらず、優れた女性文学者が、皆こぞってかな文学で活躍することになるよ。
 
かな文学、といっても、すべての文字をかなで書くということではなくて、もちろん漢字も混じっているね。
ただ、漢文の訓読のように、かな文字を漢字を読むための助けとして使う、例えば助詞や助動詞にかなを使う、というのではなくて、かな文字を主流にして、漢字は読みやすくしたり、意味がわかりやすいようにするために、少しだけ使う、という使い方なんだ。
ということは、漢字をたくさん使った文章を書いて、自慢している人は、時代の流れに逆行していると言うことですかな?
 
このかな文学が、花を開いた場所は、漢詩文と同じようにやはり、天皇を中心にした、さまざまな行事の場だったんだよ。
今度は、漢詩文の代わりに、和歌を作りだしたんだ。それも、短歌形式に集中していったね。
 
万葉集には長歌(ちょうか)や短歌、その他さまざまな歌体があったけれど、このころには、短歌形式に特定されていったのだよ。
だから、和歌といえば短歌を意味するようにさえなったね。
この時代に、日本の短歌文学のすべての基礎ができあがったといってもいいくらい発展したんだねえ。
 
もっとも和歌がもてはやされたのは、当時流行した歌合(うたあわせ)という遊びの場だったよ。
歌合というのは、当時のゲームの一種さ。
その形は、才能自慢の歌人たちが、左右の二手に分かれる。そして、それぞれのグループから1人ずつが歌を披露する。判定する者がいて、どちらの歌が優れていたかを決めて、グループとしての得点を競う遊びだね。
 
この歌合は記録して残されたんだよ。
その中で、入試に出てくるものは、宇多(うだ)天皇の寛平(かんぴょう)年間に行われた、
 
『寛平御時后宮歌合(かんぴょうのおんとききさいのみやうたあわせ)』これだ。

なんと、長ったらしい作品名だけれど、珍しい名前だから覚えやすいだろう。
歌合は、ますます盛んとなって、漢詩文の流れを抑えて、宮廷人たちの文学行事の主流となったね。
こんな、和歌を取り巻く状況の中で、記念すべき歌集が編さんされた。それが、
 
『古今和歌集』これだ。

これまで、天皇の命令によって、国家事業としてなされた勅撰の漢詩集はあったね。凌雲集は、嵯峨(さが)天皇の命令によって制作されたわが国初の勅選漢詩集だったよね。

けれど、和歌集の制作はなかった。だから、古今和歌集は、わが国初の勅撰和歌集ということになるよね。
古今和歌集の名称は、「和歌」という言葉を省略して、古今集と書いてもOKだ。この文章でも「和歌」を抜いて書いたりするけど、同じだから、気にしないでね。
 
古今集は、今から約1100年前(905年)に制作されたね。
命令をしたのは、
 
《醍醐(だいご)天皇》だよ。
 
そして、たくさんある歌の中でどの歌を載せるかということを決める人のことを撰者というけれど、醍醐天皇がその撰者の勅命を与えたのは次の4人の人だ。
 
《紀友則(きのとものり)》さん。

《紀貫之(きのつらゆき)》さん。

《凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)》さん。

《壬生忠岑(みぶのただみね)》さん。
 
この4人は、この時代の超人気歌人なので、しっかりと覚えておこう。
古今集という題名の意味は、
『古』というのは万葉集以降の時代のこと。『今』というのは当時のこと。だから、万葉集以降から当時の現在に至るまでの間に作られた和歌の歌集ということになるね。

この間、約150年間だよ。歌数は1000首以上もあるよ。
作者は、男性86人、僧侶10人、女性25人、尼1人、合計122人だ。たいへん、スケールの大きい歌集であることがわかるねえ。
 
この古今集には特に注目すべきことがあるねえ。それは序文があるということだ。それも仮名で書かれた序文なんだ。書いたのは紀貫之(きのつらゆき)さんだ。紀貫之さんは、この当時の大活躍をした文学者だね。
《仮名序》の書き出し部分は次のようなものだ。
 
『やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。世中にある人、こと、わざ、しげきものなれば、心におもふことを、見るもの、きくものにつけて、いひいだせるなり。
花になくうぐひす、水にすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける。ちからをもいれずして、あめつちをうごかし、めに見えぬ、おに神をもあはれとおもはせ、をとこ、をむなのなかをもやはらげ、たけきもののふの心をもなぐさむるは、うたなり』
 
これは素晴らしいねえ。ここでしっかり次のことを覚えておこう。
紀貫之さんの古今集仮名序は、わが国で最初の《歌論》だということ。
歌論というのは、和歌をどのような観点から批評し、良し悪しを評価するのか、ということを書いたものなんだ。簡単に言えば、和歌の作り方と見方だね。
 
書き出しの、
「やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」
は、非常に有名だね。
「和歌は、日本人の心の中にある、さまざまな感情や感動を、それにふさわしい多種多様な言葉によって表現され、作り上げられたものだ」
とでもいう意味だね。
 
さらに、冒頭の「やまとうた」という言葉の中には、紀貫之さんの強い思いが込められているね。これまで、外来語である漢詩文に力を入れて創作してきたけれど、やはり、日本人の心をぴったりと表現できるものは、日本文字である、かな文字で書かれたものなんだ、という自負のようなものが感じられるね。
 
古今集は、内容的には、作者の分類によって次の三部に分けられるよ。

第1部 読み人知らずの時代
第2部 六歌仙時代
第3部 撰者時代

ここでまた感心することがあるよ。天皇中心に国家事業として行った歌集に、庶民である、読み人知らずの歌を掲載したことだ。しかも、この読み人知らずの歌が、全体の歌数の40%を占めているんだ。
 
庶民の歌といえば、万葉集の第四期には、素朴な庶民の人間性を歌った『防人(さきもり)の歌』があったね。
 
『父母が 頭(かしら)かきなで 幸(さ)くあれて 
言ひし言葉(けとば)ぜ  忘れかねつる』
 
という歌を例に挙げたね。
このことでもわかるけれど、当時の政治家、権力者というのは、民衆の心を大切にしていたんだね。
この、読み人知らずの時代の代表的な歌を1つだけ挙げておくよ。
 
『春日野は けふはな焼きそ 
若草の妻もこもれり 我もこもれり』
 
この歌なんか、実に素朴そのものだね。
「な~そ」というのは、「なんで~するんぞ。そんなことするな」という禁止の意味だね。
 
「春日野の野焼きを今日はしてはいけないよ。僕も彼女も、今、草むらの中にこもって、デートしているのだからさあ」
 
というくらいの意味だね。
この歌は、おおらかな万葉調の歌になっているね。まだ古今調を感じさせるものにはなっていないよ。
だから、第1部読み人知らずの時代というのは、万葉集から古今集への歌風の変化の橋渡しのような歌になっているんだね。
 
第2部六歌仙時代は、6人の『歌の仙人』といわれるほど優れた歌人のものが多く載っている時代だ。6人とも覚えたらいいのだけれど、特に入試によく出てくる3人に絞っておくよ。
 
《在原業平(ありわらのなりひら)》さん。

《僧正遍昭(そうじょうへんじょう)》さん。

《小野小町(おののこまち)》さん。
 
この3人を覚えておこう。もちろん女性は小野小町さんだね。
特に在原業平さんは、プレイボーイで文学面でも活躍する人だね。
それで、この六歌仙時代の歌として、在原業平さんのものを挙げておこう。
 
『月やあらぬ 春や昔の春ならぬ
我が身ひとつは もとの身にして』
 
これなんかは、ずいぶん、万葉調とは離れていっているねえ。
 
彼女にふられて、思い出の場所に来てみると、月も春も去年と同じく変わらないのに、また、僕自身も変わらないけれど、ただ、彼女と別れてしまった身の上になってしまったことだ。
 
というくらいの意味だ。万葉集にはないような、少々解釈しづらい複雑な、感慨無量の思いが表現されているね。
六歌仙時代になると歌風に古今集らしさが出てきたといえるねえ。
 
さあ、続いて、最後の『第3部撰者時代』にいこう。
この時代は文字通り、撰者の4人が活躍したところだ。撰者の歌の数は全体の20%もあるよ。その中でも特に紀貫之さんの歌が非常に多いね。
ここでは、撰者以外の歌を1つ挙げておくよ。
 
『秋来(き)ぬと 目にはさやかに
見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる』  
 
たいへん、意味も分かりやすく、リズムもよい優れた歌だね。
 
「さわやかな秋が来たと、はっきりとその変化は、目には見えないけれど、風の音が、秋らしくなっているのには驚く。やはり、秋は着実に来たのだなあ」
 
というくらいの意味だろう。
ここで、比較のために、万葉集第2期の持統天皇の有名な歌を再度、挙げておくよ。
 
『春過ぎて 夏きたるらし 白(しろ)たえの 
衣ほしたり 天(あま)の香具山(かぐやま)』
 
この2つの歌は、どちらも季節の変化に、何かをきっかけにして、すでに変わってしまったことに気がつくという歌だね。
両方の歌をよく読み比べると、万葉集と古今集の違いがよくわかるような気がするね。
 
ここで、古今調の特徴をしっかりと覚えておこう。
万葉集が五七調であったのに対して、古今集は、
 
《七五調》これだ。

もちろん、すべての歌が、この通りではないけれど、七五調の傾向があるということだね。
 
古今集の、
「目にはさやかに 見えねども」と七音から五音へと言葉が続くね。
それに対して、万葉集は、
「春過ぎて 夏きたるらし」と五音から七音へと言葉が続いていくよね。
 
古今調は、七五調といわれるように、上が長くて下が短いから、軽快感が出てくるんだね。さらに、素朴で力強い万葉集に対して、優雅で繊細な感情を表現しているのが特徴だよ。
この2つの歌を読み比べてもよくわかるよね。
 
さあ、これでわが国初の勅撰和歌集、古今集は終わりだ。
次は、いよいよ、物語文学だ。