AⅠ上代(大和・奈良時代)(5)【万葉集b】

ああ、暖かくなったね。今日は暑いくらいだ。
上代の人々も、暑い、とか、寒い、とか言いながら暮らしていたことだろうね。
 
さあ、それじゃあ、万葉集の1期から、見ていこう。
 
第1期
【歌風】和歌の出来始めで、素朴で力強い。

【代表歌人】
 
舒明(じょめい)天皇
天智(てんち)天皇
額田王(ぬかたのおおきみ)さん
 
舒明天皇の息子さんが天智天皇だよ。そこに仕えていたのが額田王さんなんだよ。
このころは、皇室中心の、集中的な権力で国家が建設されていたのに従って、和歌の世界も皇室が中心になって、活躍をしているねえ。
舒明天皇の歌には、
 
『夕されば 小倉(おぐら)の山に鳴く鹿は
今夜(こよい)は鳴かず いねにけらしも』
 
というのがあるね。君は、山で野生の鹿の鳴き声を聞いたことがある?僕は何回も聞いたけど、びっくりするよ。あんな可愛い顔で、カーン、とまるで、金属バットでボールを打ったような声なんだ。初めは、僕は、誰かが道路のガードレールを棒切れでたたいているのか、と思ったよ。
 
澄み切った空気の中、静かな晩秋の山に、甲高(かんだか)い声が、鋭くこだまするんだよね。それが、紅葉の進んだ木々を背景に、もの悲しく響くんだ。
この時期に鳴いているのは雄だね。雄が、ひたむきに、雌をもとめて、いつまでも鳴いている。だから、もの悲しく感じるんだね。
 
舒明天皇は、ふと、気づいたんだね。
「アレッ、いつも夕方になると、鳴いている鹿が、今夜は鳴かないね。そうか、きっと、いいガールフレンドができて、もう、いっしょに寝てしまっているんだろうねえ」
説明するまでもなく、分かりやすく素朴な歌だね。天皇らしく、すべての生き物に対する慈(いつく)しみのようなものが、温かく感じられる歌だね。
 
天智天皇の歌には、次のようなものがあるよ。
 
『秋の田の かりほの庵(いお)の苫(とま)をあらみ 
我が衣手(ころもで)は 露にぬれつつ』
 
秋の稲の取り入れの季節に、田んぼのそばに立っている小屋に入って休んでいると、屋根にしている草が、すき間が多いので、露が落ちてきて私の袖を濡らし続けることだよ。
 
というもので、大変に分かりやすい情景の中に、季節感があふれているね。
この期は、純朴で生き生きとしたものが多いけれど、
額田王さんには次のような歌もあるよ。
 
『君待つと わが恋ひ居れば わが屋戸(やど)の
すだれ動かし 秋の風吹く』
 
恋しい人が来てくれるのを今か今かと待っていると、物悲しい秋の風がその人の代わりに、すだれを動かして入ってきたことだ。
 
いかにも、単純明快だけれども、上代の女性の心が感じられるようで、楽しいね。
 
さあ、それじゃあ、続いて、第2期だ。
 
第2期
【歌風】表現技巧が少しずつ発達し、素朴な感情と調和して、厚みのあるものとなる。

【代表歌人】
 
持統(じとう)天皇
柿本人麿(かきのもとひとまろ)さん
 
この第2期は、第1期の、初めて和歌を作るという段階から、本格的に、文学としての和歌の技巧をさまざまに創り出しているね。
ただ、技巧をもてあそぶようなところはなく、軽薄にならずに、文学的な深さを持たしているね。
 
持統天皇は天智天皇の娘さんだね。おじいちゃんの舒明天皇の代からずっと、天皇家として万葉集の完成に力を入れていたんだよ。
時々、間違う人がいるけれど、持統天皇は女性だよ。
彼女の有名な一首。
 
『春過ぎて 夏きたるらし 白(しろ)たえの 
衣ほしたり 天(あま)の香具山(かぐやま)』
 
宮殿から香具山の方を見ると、庶民が夏になると、洗濯をして干す白い布が見える。ああ、もう春が過ぎて、夏が来ているようね。
 
持統天皇の民衆に対する暖かい思いやりのようなものが感じられる歌だね。
ところで、文学史には、作品の細かい解釈は必要ないけど、この持統天皇の歌の解釈を、今書いたようにすると、無理があるかなぁ、と思うね。

なぜかというと、「春過ぎて 夏きたるらし」というのが、いかにもおかしいよね。
ずっと、都に住んでいるのに、暖かい夏の季節になったことに気がつかず、「夏が来たらしい」なんて、おかしいよね。
 
だからある人は、持統天皇は、たいへんな権力闘争の中で季節の変わり目などに気がつくような、余裕のある生活はしていなかった。毎日毎日、身を削るような闘争の中で、何時、春になって、何時、暑い夏になったのか、というのことが分からなかった。
その中でふと、香具山の白布を見て、季節が変わったことに気がついた。
こういう解釈をする人がいるけれど、こちら方が、納得できるね。いつの時代も、見苦しい権力闘争というのは、あるものだねえ。
 
そんなことより、こういう叙景歌(風景画のようなもの)が、この第2期には出てきているのが特徴、という方が大事だよ。
それとこの歌は、典型的な、五七調だね。重厚で安定感があるよね。五音から七音へとと続いて、一つのまとまった内容になっているねえ。
 
この時期で、超有名な歌人である柿本人麿(かきのもとひとまろ)さんには、次のようなものがあるよ。
 
『淡海(おうみ)の海(み) 夕波(ゆうなみ)千鳥 
汝(な)が鳴けば 情(こころ)もしのに 古(いにしえ)思ほゆ』
 
夕暮れの琵琶湖の波間で、千鳥が鳴いている。その声を聞いていると、もの悲しくなり、しみじみと昔の都のことが思い出される。
 
この歌は、第2期の特徴をよく表しているね。繊細な悲しさではなくして、何か、太くておおらかな心が感じられるよ。
万葉人の素朴な力強さがうらやましいね。
 
第3期
【歌風】個性的な作品も多く、完成期。さまざまな歌風のものが出てきた。

【代表歌人】
 
山部赤人(やまべのあかひと)さん
山上憶良(やまのうえのおくら)さん
大伴旅人(おおとものたびと)さん
 
この時期は、多くの歌人がそれぞれの個性を生かした歌をたくさん作っているね。代表歌人の中に、皇室歌人が減ってきて、知識人たちが、宮廷を離れたところで、歌を作りだしたのも大きな特徴だね。
代表歌人の3人はあまりにも有名なので、それぞれの歌風の特徴を少しだけ押さえておこうかい。
 
まず、山部赤人(やまべのあかひと)さんだ。
 
『田子の浦ゆ うち出(い)でて見れば 真白にぞ 
ふじの高嶺(たかね)に 雪はふりける』
 
田子の浦から舟を漕ぎ出して沖に出て、振り返ってみると、富士山の頂上は真っ白になり、雪が降っていることだ。
 
というようなところだね。ここで頭に入れておいて欲しいのは、これはまるで、自然の美しさを描いた絵画のように、詠まれた歌ということだよ。
このように山部赤人さんは、叙景歌を生き生きとを詠った歌人なんだよ。
 
次に、山上憶良(やまのうえのおくら)さんは、
 
『憶良らは 今は罷(まか)らむ 子泣くらむ 
そを負ふ母も わを待つらむそ』
 
宴会は、たけなわですけれども、私はもう帰ります。私の幼い子も、その子を背負っている妻も、いつ帰るのか、いつ帰るかと私を待っているでしょうから。
 
という超有名な歌だね。表記には若干、漢字の読み方の違いによって差異があったりするね。
この歌は、僕の父が、異常なほど好きな歌だったよ。何回も何回も、僕に、この歌を節をつけて詠んでから、父というものの心情を感動したような面持ちで話していたものだよ。
 
ただまあ、歌の背景にはいろんな説があって、例えばこの時、山上憶良さんには、幼い子供などはいなかった、ということもあったりするけれど、どちらにしても、壮年の心をひきつけるよね。
このように、山上憶良(やまのうえのおくら)さんは、人生問題、社会問題を詠わせれば、天下一品だったんだよ。
 
また、大伴旅人(おおとものたびと)さんは、
 
『験(しるし)なき 物を思はずは 一坏(ひとつき)の
濁れる酒を 飲むべくあるらし』
 
考えても考えなくても同じようなことを、ああだ、こうだ、といろいろ考えるよりも、1杯の酒を飲んだほうがいいよ
 
というものだ。大伴旅人さんには、風流な叙情歌が多いね。そこに流れる情感は、現代にも通じる素晴らしいものだね。
このように第3期は、万葉集の素晴らしい歌の花々が咲き競ったといえる時期だねえ。
 
第4期
【歌風】熟しすぎて、素朴さや力強さを失ない、繊細な華麗さが出てくる。

【代表歌人】
 
大伴家持(おおとものやかもち)さん
笠女郎(かさのいらつめ)さん
防人(さきもり)たち
 
この時期は、政治的に、政権争いが激しくなり、政治の不安定さが、文学者にも感じられる時期になったよ。そして、万葉文学のひとつの大きな流れの終わりのころで、純粋な、生命力にあふれた力強さはなくなり、感傷的な繊細な都会的な傾向を表しているね。
 
大伴家持(おおとものやかもち)さんの歌には、
 
『うらうらに 照れる春日に ひばり上がり 
こころ悲しも ひとりし思へば』
 
うららかに晴れた春の日に、青い空に高くひばりが上がってさえずっている。ひとりで孤独な思いにふけっていると、何か物悲しい気持ちに心が覆われることだ。
 
なんと、現代の青年の心情を歌ったようなものだね。はっきりと、第一期とは違うことがわかるよね。
ここまでくると、何か万葉らしさがなくなるね。
 
笠女郎(かさのいらつめ)さんの歌には、
 
『夕されば 物思ひまさる 見し人の 
言問(ことと)ふ姿 面影にして』
 
夕方になると、恋しいあの人が、私に話しかけてくれた姿が思い浮かばれて、つのる思いがますます深まっていきます。
 
この歌などは、解説する必要などもなく、今の僕たちの心にもしみじみと感じさせるものがあるよねえ。
上代人といっても、人の心に変わりはないんだね。
 
この第四期には、爛熟な歌風とは無関係に、素朴な庶民の人間性を歌った『防人の歌』があるのが大きな特徴だよ。
 
『父母が 頭(かしら)かきなで 幸(さ)くあれて 
言ひし言葉(けとば)ぜ 忘れかねつる』
 
防人というのは現在の徴兵制だね。九州の国境の守りに就くために、多くは東国人を任期3年で、出兵させたものだ。
その時に、父母が、出兵する自分の頭をなでながら、無事でおれよ、と言ってくれた愛情深い言葉が忘れられない。
 
というものだ。方言をそのまま、万葉仮名に表しているところなどに、純朴な親子の愛情がひしひしと1200年の時を隔てても、伝わってくるね。素晴らしい。
 
こうして、万葉集を第1期から第4期まで調べてみると、この130年間に、人々の心がどのように変わっていったのかがわかるような気がして楽しいね。
それじゃあ、万葉集はこれで終わりだよ。