

オチケン風『日本文学史』シリーズ『古典文学編』
古典文学【目次】
AⅠ上代(大和・奈良時代)
AⅠ(1)口承文学と記載文学
AⅠ(2)万葉仮名
AⅠ(3)古事記、日本書紀、風土記
AⅠ(4)万葉集a
AⅠ(5)万葉集b
AⅠ(6)懐風藻(漢詩集)
AⅡ中古(平安時代)
AⅡ(1)文学状況
AⅡ(2)始めの100年
AⅡ(3)古今和歌集
AⅡ(4)竹取物語・伊勢物語
AⅡ(5)土佐日記・蜻蛉日記
AⅡ(6)枕草子・源氏物語
AⅡ(7)源氏物語以降
AⅡ(8)和歌
AⅡ(9)歴史物語
AⅢ中世(鎌倉・室町時代)
AⅢ(1)末法思想
AⅢ(2)新古今集・方丈記
AⅢ(3)物語
AⅢ(4)徒然草・日記
AⅢ(5)連歌(れんが)
AⅢ(6)軍記物語・庶民文学
AⅣ近世(江戸時代)
AⅣ(1)文学状況・重要度
AⅣ(2)町人文学
AⅣ(3)浮世草子
AⅣ(4)俳諧
AⅣ(5)浄瑠璃・読本
AⅣ(6)国学
参考資料
平仮名と片仮名は発生過程が根本的に違う。片仮名は漢文訓読において、余白へのメモ書きから発生したもの。だから画数が少ない。戦前、漢文訓読体がカナ書きされたのもその淵源を引いたもの。
古事記日本書記の編纂を命じたのは天武天皇だが、西暦686年に崩御。命じたその年にポンと仕上がったのではない。そもそも712年とか720年とかいう年号を書きながらおかしいと思わなかったのか。それとも、天智天武は飛鳥時代とか、「なんと(710)素敵な平城京」程度の基本知識すらないのか。
漢文はかな文字発生以降に衰退したのではない。そもそも明治維新まで日本の公文書はすべて漢文。男性の日記や手紙も漢文。戦前までは漢文の読み書きや漢詩は男性の基本的な教養であった。藤原道長自筆の日記『御堂関白記』が今も残る。明治の漱石や鷗外、そして戦前までそれは続く。
土佐日記の「男もすなる日記」とは当然、それを指す。また冒頭一文の「をとこもす」「をんなもし」に「男文字(=漢字)」「女文字(=かな文字)」を掛けたとの指摘もある。