オチケン風『日本文学史』近現代Ⅱ【明治】(短歌)〈8〉【短歌の革新】

さてと、10月になったねえ。
今、窓越しに、校舎やグランドは、マンションの陰になって見えないけれど、近くの学校のスピーカーから、体育祭のにぎやかな放送が、揺れるような響きで聞こえているよ。

あれだけ暑かったのに、朝晩は涼しくなったねえ。今朝などは、涼しいというよりも、肌寒くさえ感じたよ。
それに、夕方6時には、もう、暗くなったね。つい先日まで、7時でもまだ明るかったのにねえ。
季節の変化は早いねぇ。

結局、この夏も、仕事部屋のつぶれたクーラーはそのままで、購入せずに辛抱したよ。
このごろの新聞チラシを見ると、クーラーが随分、安くなったので、買い時のようだけどさぁ。なんか、もう、面倒くさくなってしまった。

昼と夜の寒暖の差の激しい季節だから、君も、服装などで、うまく温度調節をしてさあ、鼻水など流さないようにするんだよ。
センター試験の受付も始まったことだし、体調を整えながら、空も澄み、頭も冴(さ)えるこの時期、新たな気持ちで、勉強に取り組もう。

それじゃあ、近代に入って、短歌がどのように変革していったのかを見ていこう。

短歌革新の様相は、小説などとは少々、違ったところがあるので最初に押さえておこうね。
それは、小説の近代化は、段階を踏みながら、時の経過とともに新しい文学主義が起こってきたねえ。

それに対して短歌の近代化は、ほぼ同じ時期に、複数の個人や団体が、そろって、変革への活動を始動させた、ということだよ。
だから、時系列での見方をポイントにする必要はあまりないねえ。

どのような人や団体が変革に立ち上がったのか。初めに、大まかな流れだけ見ておこう。

その流れの形態は、文学結社というグループを作っての活動となっているんだよ。ちょうど、小説の分野で、尾崎紅葉さんが、擬古典主義の文学結社として《硯友社(けんゆうしゃ)》を作り、機関誌には、《我楽多(がらくた)文庫》を発刊したようなものだねぇ。

1人が、短歌革新の烽火(のろし)を上げると、それに志を同じくする歌人たちが集まって、同人となり、集団で革新運動を行っていったわけだよ。

革新、というからには、革新されるべき元の短歌があるわけだねえ。それは、当然、上代、中古、中世、近世と続いている日本の伝統的な和歌となるわけだ。
明治の初期、近世からの伝統的な短歌を守ろうとする人々は、

《桂園(けいえん)派》といわれるグループだった。

桂園派は、京都の人気歌人、香川景樹(かがわかげき)さんを中心にしたグループだ。香川景樹さんは、最盛期には、1000人を超える門人を持っていたともいわれているねえ。
桂園派は、江戸の後期に隆盛をしたけれど、その勢いは、明治に入っても続いていたんだよ。

明治も20年代を過ぎると、短歌の世界にも、《旧派》といわれるようになった桂園派の歌風では、新しい時代の心を表現できない、という人が多く出てきたねえ。
それで、いよいよ、短歌の革新がなされていくわけだ。

その流れは、大きくは次の3つ短歌結社に分けることができるよ。
1つ目は、

《落合直文(おちあいなおぶみ)》さんを中心に結成された、

《あさ香(か)社》これだ。明治26年(1893)のことだ。

2つ目は、

《佐々木信綱(のぶつな)》さんを中心に結成された、

《竹柏(ちくはく)会》これだ。明治30年(1897)のことだ。

3つ目は、

《正岡子規》さんを中心に結成された、

《根岸(ねぎし)短歌会》これだ。明治32年(1899)のことだ。

この、落合直文、佐々木信綱、正岡子規さんの3人の歌人、そして、あさ香社、竹柏会、根岸短歌会の3つの短歌結社が、革新の原動力となって活躍をしていったわけだねえ。

その後、時代が進むにつれて、さまざまな歌風の短歌が出てきたけれど、基本的には、この3つの流れの延長線上に位置づけられるものが多いよ。

あさ香社からは、その後、

《浪漫派》与謝野晶子さん、などが出てきたねえ。さらに、

《耽美派》北原白秋さん、なども出ている。

根岸短歌会からは,その後、

《アララギ派》伊藤左千夫(さちお)さん、などが出ているねえ。

また、自然主義文学の隆盛とともに、

《自然派》石川啄木さん、などが出ているよ。

このように、歌壇は、伝統的な旧派(桂園派)を多くの新派が批判しながら、新しい時代へと発展していった訳だねぇ。
それでは、旧派と新派は何が違うのか。基本的なところだけ押さえておこう。

《旧派》
(1)歌の材料として、歌題を決め、それにしたがって作る。
(2)歌作の対象は花鳥風月が中心。
(3)一部の特権階級や上層階級の人が中心となる。
(4)用語、歌調など、言葉や作り方に規制が多くある。
(5)学問や教養としてとらえる事が多い。

《新派》
(1)お題など決めずに、作者の趣向の趣(おもむ)くままに作る。
(2)歌材は、具体的なものでも抽象的なことでもすべて対象にする。
(3)興味のある人は誰でも作歌に参加することができる。
(4)作り方に規制はなく、個性尊重で、自由に作ればよい。
(5)現実社会に生きる文学としてとらえる。

対比すると、こんなところだねぇ。
これだけ見ても予想できるように、近代になり、旧派はほとんど人々から顧みられなくなったねえ。
それに対して新派は、人々の心をとらえ、作歌意欲も増幅させて、生活の中に根付き、息付いていったわけだよ。