オチケン風『日本文学史』近現代Ⅱ【明治】(詩)〈2〉【新体詩】②於母影

近代にふさわしい、新しい詩形としての新体詩が『新体詩抄』によって、示されたんだったねぇ。
そして、それを契機に詩歌変革の運動が、世の中に大きな広がりを見せてきたんだ。

やがて、その流れは、形式的なものにとどまらず、文学的内容においても深化させようというものに発展していったねえ。そうしたなかから、出てきた詩集が、明治22年(1889)に発刊された翻訳詩集、

『於母影(おもかげ)』これだ。

中心人物は、《森鴎外(もりおうがい)》さん。そして、

《落合直文》さん。これらの人たちだよ。

森鴎外さんといえば、浪漫主義そして反自然主義の小説家として大活躍をした人だったねぇ。なんと、詩の近代化においても、重要な役割を果たしたんだよ。

『於母影』という表題は、ちょっと不思議な表記だねえ。その由来は、この詩集の始めのところを読めば分かるようになっているよ。

万葉集には、笠女郎(かさのいらつめ)さんの歌として、次のような作品があるねえ。

『みちのくの 真野(まの)の茅原(かやはら)
遠けれど おもかげにして 見ゆといふものを』

(通釈)
「陸奥の真野川の草原は、ずいぶん遠いところですが、面影として心に思い浮かべれば、身近にはっきりと見ることができます。それなのに、もっと近くにいらっしゃるあなたとは、いっこうにお会いすることができません」
《みちのくの真野の茅原》は、《遠い》という言葉を導き出す序詞だね。

この和歌を詩集の始めに引用して、表題は、歌の中の《おもかげ》から取ったものだとしているねえ。
だけど、実際の万葉集の原文の表記では、《面影》となっているんだよね。それを、万葉仮名の《於母》を当てはめるところなど、自尊心のようなものがうかがわれるねえ。

内容は、シェークスピア、ハイネ、ホフマン、バイロン、ゲーテなど、イギリスやドイツの有名な詩人の作品を翻訳したものを中心に掲載しているよ。
数は少なくて、わずか、17編しかないよ。
代表作を見てみよう。

『あまをとめ』

『浦つたひゆくあまをとめ
舟こぎよせてわがたてる
ほとりにきたれわれと汝
手に手とりあひむつびてむ
こゝろゆるしてわが胸に
なが頭をばおしあてよ
浪風あらきわたつみに
まかせたるてふ身ならずや
そのわたつみにわがこゝろ
さもにたりけり風はあれど
塩のみちひはありといへど
こゝらの玉もしづみつゝ』

ついでに、もう1作、見てみよう。

 『わが星』

『おもひをかけしわが星は
光をかくしいつこにて
たれのためにかかゝやげる
心もそらに浮くもの
かゝるおもひをふきはらふ
この夕暮にかぜもがな
すゞしく茂る夏木立
なにをやさしくそよぐらむ
緑色こき大そらは
なにをやさしく見下せる
あるかひもなき世の中の
卯月しりてや天の戸を
鳴てすぎゆくほとゝぎす
しでの山路のしるべせよ』

これらの詩を読むと、完成度の高さに驚きを感じるねえ。
洗練されて格調高い言葉遣いといい、しみじみと感じさせる叙情性といい、語のつながりから出てくるリズム感といい、原詩が持っている香りを、そのまま日本語に置き換えたという感じがするねぇ。

これほど優れた内容の『於母影』だったんだけれども、単独の単行本の詩集として発刊されたものではないんだよ。
『国民之(の)友』という雑誌の、とじ込み付録として発刊されたに過ぎなかったんだよ。いわば、分量も少ないおまけだったんだね。

それが、非常に多くの人々に多大な影響を与えることになったんだよ。

後に有名になる詩人、土井晩翠(どいばんすい)さんもそのうちの1人だよ。
土井晩翠さんの『新詩発生時代の思い出』という随筆の中に次のような箇所があるよ。

『その後、18歳までの独学時代、ならびに、これに続く時代に影響を受けたものの中に、その頃、創刊の「国民之友」がある。
明治22年の文学付録「おもかげ」などは最も好んで読んだ。
「みちのくの 真野の茅原 遠けれど
おもかげにして 見ゆといふものを》
から題を取つたもの。落合直文、森林太郎(鴎外)等諸先生の西詩訳集である』

このように書いているよ。
近代詩は、『新体詩抄』によって、形式の基礎は確立され、『於母影』によって、内容の基礎が確立されたといえるねぇ。