オチケン風『日本文学史』近現代Ⅰ【明治〈終〉大正〈始〉】(小説・評論)〈11〉【反自然主義文学】②余裕派・高踏派(森鴎外)
耽美派と自然主義との対立軸は、自然主義が人間の醜い面ばかりを強調して書いたのに対して、耽美派は、人間の美しい面を強調して書いたんだったねえ。いわば、自然主義の〝醜〟と耽美派の〝美〟との対立が、両者の相違を明確にしていたわけだ。
それでは、今回のテーマの余裕派・高踏(こうとう)派は、どのような点で、反自然主義になるのか考えてみよう。
ところで、高踏というのは、俗世間を超越して、理想を追求する、という意味だよ。
二者の対立軸は、自然主義が、性欲や劣情に振り回される愚かな姿を描くのに対して、余裕・高踏派は、理性的知性的で賢い生き方を表現しようとするものだ。
いわば、自然主義の〝愚〟と余裕・高踏派の〝賢〟が、2者の相違の対立軸になっているわけだねえ。
簡単に言えば、
「人間は、そんなに愚かなボロボロの人生を歩むものではないよ。もっと賢い理知的な人生を歩むものだ。愚かな人生を小説に書いて、どうするんだよ。賢い人生を書くことによって、優れた文学作品になるのは当然のことだろう」
という訳だ。
人生をもっと余裕をもって、理想的な立場から描こうとするものだねえ。
それで、余裕・高踏派の旗手として、絶大な存在感を示した作家は、
《森鴎外》さん。この人だ。
森鴎外さんは、評論雑誌《しがらみ草紙》を刊行したり、また、『舞姫』『うたかたの記』『文づかひ』のドイツ土産の初期三部作で、おおいに浪漫主義を宣揚(せんよう)した人だったねえ。
『舞姫』を発表したのは、明治23年(1890)、28歳の時だけれど、それから、ほぼ、20年経って、今度は、反自然主義の立場で、理知的な小説を書いて、活躍をしたんだねえ。代表作は、
『ヰタ・セクスアリス』明治42年(1909)。これだ。そして、
『青年』明治43年。これもだ。さらに、
『雁(がん)』明治44年。この作品だ。
1年ごとに優れた作品を出しているねえ。とにかく、国家公務員として1人前以上の仕事をしながら、小説を書いたわけだから、その努力はすごいものだよ。
この中で、『ヰタ・セクスアリス』は森鴎外さんの反自然主義の立場を明確にした小説だねえ。
題名がいいねぇ。ラテン語のVita Sexualisをカタカナ書ぎにしたそうだ。〝ヰ〟は、ア行のイではなくして、ワ行の〝ウィ〟という発音だね。
日本語に訳すと〝性生活〟という意味になるらしい。不健全なイメージが付け加わる日本語の訳を書かずに、『ヰタ・セクスアリス』としたのは、いかにも理性的であり、知性的だねえ。
この題名のつけ方にも、反自然主義の立場がはっきりしているよ。
『ヰタ・セクスアリス』は、森鴎外さんの自身の性についての歴史を書いているんだねぇ。医学者でもあるだけに、客観的な冷静な見方で書いているよ。そうすることによって、何が言いたかったのか。
「自然主義の作品を読むと、まるで、男女の関係が人生を狂わせたり、人生のすべてを決定するような内容になっている。しかも大抵、不幸な状態に陥っている。〝性〟の真実の姿はそうではない。人生の構成の1部に過ぎない。そんなに、負の面を大げさに取り上げて、小説にするようなものではない」
と、まあ、こんなところだね。
森鴎外さんは、自然主義の、必要以上の性欲的な表現に対して、性や性欲というものが、人間の生活や人生の中で、どの程度に位置づけられるものかを明確にしたわけだねえ。
同時に、当然、人間には性欲はあるけれども、それをコントロールする理性が存在すること強調したわけだ。
本能に翻弄(ほんろう)された動物のような、人間の姿を描くのが文学ではなくて、理知的な人間性を発揚(はつよう)させるような生き方を描くところに優れた文学作品があるということだねぇ。
この『ヰタ・セクスアリス』は、短篇小説だから、少しの時間で読めるので、興味があれば、君も1度読んでごらん、面白いよ。
次の作品の『青年』は、性欲によって一時は危機的な状態にはなるけれど、理性の力で乗り越えるという話だね。
また、『雁』は、主人公の女性が自我に目覚めたけれど、結局、恋愛は実を結ばず、悲しく生きてゆくというものだ。自然主義の作家が好んで描きそうな材料だけれど、それを見事な反自然主義的立場で描いた名作だよ。
『ヰタ・セクスアリス』『青年』『雁』の3作は、森鴎外さんが中心となって発刊した、文芸雑誌、
《スバル》に掲載されたものだ。
《スバル》の関係者からは、多くのすばらしい文学者が出たねえ。石川啄木、吉井勇(よしいいさむ)、木下杢太郎(もくたろう)、北原白秋、高村光太郎、与謝野鉄幹、与謝野晶子、永井荷風、谷崎潤一郎、佐藤春夫さんなど、有名な文学者がたくさんいるよ。ここでは、名前だけ挙げておくよ。
森鴎外さんは、前にも話しておいたけれど、優れた歴史小説も書いていたねえ。年代順に挙げておくと、
『阿部一族(あべいちぞく)』
『山椒太夫(さんしょうたゆう)』
『寒山拾得(かんざんじっとく)』
『高瀬舟(たかせぶね)』
これらだったねえ。どの作品も、非常に緻密(ちみつ)でスキがなく、いかにも、知性派の書いた歴史小説だ、というのがよく分かるよ。
そのうえ、森鴎外さんは、理性に裏付けされた感動を、読者が充分に感じられ、満足できるように書いているんだよ。このあたりは、天才的なところだね。
君が今読んでも、十分に感動と満足が得られるよ。
その中で、『高瀬舟』は特筆されるべき作品だねぇ。
(梗概)
「時は江戸時代のこと。病弱な弟が、主人公の兄に、生活費などの迷惑をかけてはいけないと自殺をする。カミソリで喉を切ったのだけれど、力が弱くてカミソリが抜けず、のどに刺さったままで苦しんでいる。
その時、帰ってきた兄が、驚いて弟の顔を覗き込むと、喉の切り口から空気が漏れてものが言えない状態になっている。弟の目は必死になって、
「もう助からないから、のどに刺さっているかみそりを引き抜いて、楽にしてください」
と言っているのがわかる。
兄は、弟が死ぬのは時間の問題だ、と思えたので、弟の苦しみを少しでも早く終わらせてやろうと思って、カミソリの刃を引き抜く。やがて弟は息途絶える。
そうしている姿を、近所の者が玄関から見ていて、役人に訴える。役人は、兄を殺人者としてとらえて、高瀬舟に乗せて島流しにする」
こういう内容だよ。僕の記憶に少々の間違いはあると思うけれど、そんな細かいことには、こだわらないでね。
驚くべきはテーマだね。『高瀬舟』は大正5年(1916)に、雑誌に掲載された短編小説だ。この時代に、平成の現在、大きな社会的課題となっている安楽死をテーマに据えて書いたわけだねえ。それも、歴史小説という形をとってだよ。
ところで、歴史小説という形式をとって、現代的なテーマを取り扱うことはよくあることだねぇ。特に優れた作品を書いたのが、
《芥川龍之介》さんだねぇ。代表的なものとしては、
『羅生門(らしょうもん)』があるよね。
『羅生門』は、今昔物語を参考にして書いたのだけれど、テーマには、現代人のエゴイズムを据えているんだ。
芥川龍之介さん以外にも、過去の歴史に素材を求めて、現代的なテーマを新しく解釈しようとする作者や作品は多くあるねえ。
だけど、それらの作品と、森鴎外さんの『高瀬舟』とは大きな違いがあるよ。
それは、『羅生門』などは、その小説が書かれた当時の社会問題をテーマにしているのに対して、『高瀬舟』は、この小説が書かれてから、100年も先に社会問題となる様なことをテーマに据えているところだねぇ。
『高瀬舟』が書かれた大正時代には、安楽死など社会問題として浮上してくる気配さえなかったよね。その中で、未来を見据えたテーマを取り上げるなんて、これも天才的だよねぇ。
それは、反社会的で、いかがわしい性の行動を告白する自然主義が、小説の花形だった時代に、これほど高尚(こうしょう)なテーマを優れた完成度で書き上げることは、森鴎外さんの、当時の小説界に下した反自然主義の鉄槌(てっつい)でもあったわけだね。
『高瀬舟』以外の、『阿部一族』『山椒太夫』『寒山拾得』も単に、高尚な歴史小説というだけではなく、今、君が読んでも素直に感動できる小説だね。森鴎外さんの小説は、優れた文学性を持っている上に、だれが読んでも感動できるような通俗性を持ち合わせていると言えるね。
これは、森鴎外さんが、小説というジャンルの特質を知り尽くしていたということを意味しているよ。
だって、どんなに文学的に優れた小説であったとしても、表現されている内容が、抽象的、形而(けいじ)上学的なものだったら、そんな、退屈で、説教みたいな作品を誰も読まないものね。
『阿部一族』『山椒太夫』『寒山拾得』『高瀬舟』、これらの歴史小説は、後世の歴史小説といわれるジャンルの偉大な典型となったよ。
森鴎外さんは、後年、さらに歴史の研究を進めて、史伝(歴史的伝記)として、
『渋江抽斎(しぶえちゅうさい)』これを書いたんだ。
この『渋江抽斎』という作品は、単に、渋江抽斎という人物の人生行路を単純に書いたものではなくて、まるで、長編小説のような感動を呼び起こせるようなものになっているねえ。だから、研究者によっては『渋江抽斎』を長編小説のジャンルに入れる人もいるよ。
また、《史伝》という新しいジャンルを切り開いた作品であると評価する人もいるねえ。
いずれにしても、森鴎外さんの業績は、驚くべきもの、というしかないねえ。まして、国家公務員として働きながら成し遂げたわけだから、想像を絶する努力の連続だったんだねえ。
こうして見てくると、世の中のサラリーマンから、森鴎外さんが、圧倒的な支持を受け、尊敬されるようになったのが分かるよねぇ。
それは同時に、世の中のサラリーマンは、決して現状に満足しているのではなく、歴史に残るようなことを人生において為したい、と強く思っていることもうかがわせるよね。
僕は、サラリーマンの方が、そんな心意気を持っていることは、素晴らしいと思うし、おおいにエールを送りたい気持ちだよ。
さてこれで、森鴎外さんは終わりだ。
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筆者略歴
高知県に生まれる
花園大学卒業
定年まで教育機関に勤務
専門は仏教文学
第6回問題小説新人賞受賞
(徳間書店)
https://prizesworld.com/prizes/novel/mons.htm
花園大学卒業
定年まで教育機関に勤務
専門は仏教文学
第6回問題小説新人賞受賞
(徳間書店)
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