オチケン風『日本文学史』近現代Ⅰ【明治〈終〉大正〈始〉】(小説・評論)〈10〉【反自然主義文学】①耽美派・三田派
 
あったかくなったねえ。時には、少し暑いとさえ感じることもあるよ。
間もなくゴールデンウイークだねえ。いつも言っているけれど、本当に、時の流れというのは早いねぇ。
 
オチケン風『日本文学史・古典文学編』を書き始めたのが、去年のゴールデンウイーク前だったね。もう、あれから1年たったわけだから、1年間なんて、どんな勉強しようかと、迷っているうちに終わってしまうよ。
 
決めることだよ。「この勉強方法でやる」と決めたら、あれこれと不安にならずに、決めた通りにやり抜く人が、結局、目標を達成することができるんだねえ。
君も、最大のマイナスは、「不安と迷いである」と決めて、自信を持って最後まで着実に勉強することだねぇ。
がんばろう!
 
さてと、今回のテーマの《反自然主義文学》というのは、これまでやってきた文学主義とは内容が少し違うんだよねぇ。
どこが違うのかというと、これまでに、①啓蒙主義文学、②写実主義文学、③擬古典主義文学、④浪漫主義文学、⑤自然主義文学、とをやってきたね。
 
これらの文学主義は、それぞれの主義で、1つのまとまりとなって、大きな流れとして1本の川のようになっていたわけだ。それに対して《反自然主義文学》は、何本もの川があって、それぞれが流れている方向が、反自然主義であったというわけだね。
 
それじゃあ、ここで、どのような流派が、反自然主義になったのか挙げておくよ。
 
《耽美(たんび)派》
 
《三田(みた)派》
 
《余裕派》
 
《俳諧派》
 
《高踏(こうとう)派》
 
《理知派》
 
《新現実派》
 
《白樺(しらかば)派》
 
などだねぇ。いずれも、自然主義のうっとうしい文学に対して、批判的な立場に立っているわけだよ。
自然主義文学の欠点としては、どうしても、現実暴露、露骨な描写、暗いジメジメしたもの、スケールの小さいもの、という傾向が出てきてしまうんだよね。
 
それに対して、反自然主義の作家は、
「そんな、人間の汚い面ばかりを書くのが小説ではないだろう。小説の素晴らしさや可能性は、もっと美的、理知的、知性的なレベルの高い文学世界を創造するところに発現されるものだろう」
というわけだ。
 
簡単に言えば、
「人間は、そんなに醜く劣ったものではなく、もっと美しく、優れたものだ」
という立場になるわけだねえ。
 
さあ、それじゃあ、三田派・耽美派からやっていこう。まず最初の反自然主義作家、その人は、
 
《永井荷風》さん。この人だ。
 
「アレッ、永井荷風さんは、自然主義じゃなかったの?」
と言うかもしれないねえ。それもそうだねぇ。自然主義のところで、永井荷風さんは、『地獄の花』を書いた、ゾライズムの作家だと言って紹介したねえ。
 
その通りだよ。島崎藤村さんが、詩人としては浪漫主義だったけれど、小説家としては自然主義になったと同じように、永井荷風さんも作品を創造しているうちに、文学主義が変わっていったんだねえ。
 
永井荷風さんが、自然主義から反自然主義へと舵を切った作品が、
 
『あめりか物語』と、
 
『ふらんす物語』これだ。
 
これらはいずれも、実際に、アメリカとフランスに渡って体験した異国の生活を題材にしたものなんだよ。帰朝してから、『あめりか物語』は明治41年(1908 )に、『ふらんす物語』は、その翌年に出版されているねえ。

ところで、その次の年の明治43年(1910 )といえば、大変な事件が起きたねえ。
それは、幸徳秋水(こうとくしゅうすい)事件だねぇ。幸徳さんが中心となって、明治天皇を爆発物で暗殺しようとした計画が発覚した事件だったね。
 
逮捕された者のうち、24名に死刑の判決が下ったね。そのうち幸徳さんを含めた12名が死刑執行された。
ところが、その後の事件の検証の結果、暗殺事件にかかわったのは4名にすぎなかったということだったねえ。
 
この事件をきっかけに、反体制派、社会主義者を徹底して弾圧する方向に政府が動き出したことを考えて、そうするための捏造(ねつぞう)であったのではないかとも言われているねえ。
 
永井荷風さんは、この大逆事件のとき、慶応義塾大学に勤めていて、近くの裁判所の方へ、関係した囚人が運ばれているのを見たそうだ。それに、大きな衝撃を受けたんだねえ。
『花火』という随筆に次のように書いているよ。
 
『わたしはこれで見聞した世上の事件の中で、この折程、言うに言われない厭(いや)な心持のした事はなかつた。わたしは文学者たる以上この思想問題について黙していてはならない。
小説家ゾラはドレフュ一事件について正義を叫んだ為め、国外に亡命したではないか。
しかし、わたしは世の文学者と共に何も言はなかつた。私は何となく良心の苦痛に堪えられぬような気がした。わたしは自ら文学者たる事について、はなはだしき羞恥(しゅうち)を感じた』
 
『花火』は、入試には出ないけれど、淡々として、思いの迫ってくる優れた随筆だねぇ。
〝ドレフュー事件〟というのは、現在はドレフェス事件と言われているもので、フランス陸軍参謀本部のユダヤ人、ドレフェスさんがスパイの冤(えん)罪で逮捕され、島流しの終身刑になった事件のことだねえ。
 
この時、ゾラさんは新聞で大々的に、ドレフェスさんを逮捕した軍部を糾弾する記事を載せたんだね。その結果、告発されて有罪になったため、一時、イギリスへと亡命した事件だよ。
明治31年(1898)のことだ。
 
永井荷風さんは、自分の信奉するゾラさんの、社会正義を貫いた行動と、無為に沈黙して何もできない自分の姿とを対比して、自己嫌悪に陥ったわけだね。
 
そして、自分の生きるべき道は、社会に対して責任を持てるような、一流の文学者になるのではなくて、社会の動きなどとは関係のない三流作家となって、これまた、社会正義などとは無関係な小説を書こう、と決めたんだねえ。
 
もちろん、『花火』に書いていることが、すべて真情かというと、それは疑問だけれど、ここから、永井荷風さんの文学が、耽美派の流れをたどっていったわけだよ。
 
そして、社会正義とは無縁な素材として、江戸情緒を選んだねえ。それを表現した作品としては、
 
『すみだ川』これだ。そして、
 
『腕くらべ』さらに、
 
『おかめ笹(ざさ)』これらだ。
 
この3作はいずれも、芸者の世界の色恋を中心に描かれたものだねえ。君が読んでも面白くはないと思うけれど、構想といい文体といい、たいへん、完成度の高い優れたものだよ。

『すみだ川』『腕くらべ』『おかめ笹』は、現実の、外の世界や社会のことなどには、手を触れずに、ひたすら永井荷風さん個人の美的世界に閉じこもった作品だと言えるね。これが耽美派の特徴だよ。
 
〝耽美〟すなわち、美を最高の価値と考え、それのみを追求すること。という漢字の意味の通りの小説だねぇ。
 
永井荷風さんの生き方を通して、1つ気なる事が出できたね。
それは、〝作家と政治社会〟という関係だよね。これは、たいへん複雑でデリケートな問題を孕(はら)んでいるねえ。
 
1つの、対応の大きく違った例を挙げてみると、
永井荷風さんの場合は、政治社会に対して無力な自分を無責任と思い、創作の世界に閉じこもった、と言えるよね。
それとは逆に、三島由紀夫さんは政治社会に対して激しい行動を起こしたねえ。自衛隊の駐屯地に殴り込みをかけ、割腹して自殺したよね。
 
この2人以外の作家にしても、現実の中で生きてゆくわけだから、当然、多かれ少なかれ、政治社会と関わらざるを得ないよね。そこで、どのような関わり方をしたのか、ということを調べることはその作家を理解するうえで、非常に重要だよね。
 
この後、登場する作家の中にも、政治社会との関係をしっかりと押さえなければ、正確な把握ができない人もいるけれど、入試にはほとんど関係ないので、必要最小限の話にしておくよ。
 
ところで、永井荷風さんの大きな業績は、単に、個人の創作活動に限られたことではないんだよ。それ以外に、多くの文学者を育てた文芸雑誌を創刊したことだ。それが、
 
《三田(みた)文学》これだ。
 
三田文学は、慶応義塾大学文科の機関誌として、永井荷風さんが中心になって発刊したものなんだねぇ。三田文学からは、久保田万太郎さん、佐藤春夫さんなど、本当に多くの優れた文学者が出ているねえ。
それで、三田文学で活躍した文学者のことを、
 
《三田派》と言うんだよ。
 
文芸雑誌といえば、浪漫主義・北村透谷さんの《文学界》、擬古典主義・尾崎紅葉さんの硯友社(けんゆうしゃ)の機関誌、《我楽多(がらくた)文庫》などがあったねえ。
これらの機関誌が、それぞれの文学主義を発展させたように、三田文学は、反自然主義の牙城となったんだよ。
 
さあ、それじゃ、永井荷風さんについては、このくらいにしておいて、次の耽美派の作家を見ていこう。その人は、かの有名な、
 
《谷崎潤一郎(じゅんいちろう)》さん。この人だ。
 
僕は、谷崎潤一郎さんが嫌いだよ。どうしてかというと、谷崎潤一郎さんの小説が、ポルノ小説ではなく、文学的に優れた作品だと言われるのに対して、僕の小説はポルノ小説であって低俗だ、というのは納得できないからだよ(笑)。
 
僕は、国語の教師だから、仕事上、知っておく必要があると思って、義務的に、谷崎潤一郎さんの小説はほとんど読んだよ。
読み始めると、嫌悪感が出てきて、読み終えると嫌悪感しか残らなかったね。
 
不思議なことだけれど、谷崎潤一郎さんの多くの小説を読んだ中で、今、その粗筋が思い出されるものは1作もないんだよねぇ。

反対に、20歳のころに、ただ1度だけ読んだ小説で、大変に感動して、今でも内容を克明に覚えている作品が多くあるよ。
いかに僕にとって、谷崎文学が嫌いだったかを表しているねえ。
 
さらに僕が谷崎潤一郎さんを嫌いになった理由を、もう1つ挙げておこう。
それは、谷崎潤一郎さんの社会政治への関わり方だ。谷崎潤一郎さんは、体調不良のため、徴兵検査には不合格となったので、戦争には行っていないねえ。
 
戦争中、原稿をもらいに行った雑誌社の社員が、谷崎さんに次のような質問をしたそうだ。
「戦地では、若い人が、多く戦死していますが、どう思われますか」
これ対して谷崎さんは、次のように答えたという。
「僕には関係ないよ」
こう言って、平然としていたというんだねえ。
 
この逸話は、残念ながら、どこの出版社のどの書物に載っていたのかは忘れてしまったので、僕自身の思い込みや記憶間違いだと言われても仕方のないことなんだ。だから、間違っていたら謝罪するしかないけれど、これによって僕はさらに、谷崎嫌いになったねえ。
 
谷崎潤一郎さんの、この答え方に対して、
「さすが偉大な文豪だ。平凡な作家とは答え方が違う」
などと言う者がいたら、永井荷風さんの爪の垢(あか)でも煎(せん)じて飲ませたいねえ。
 
僕は本当は次のよう言いたいんだよ。
「谷崎潤一郎さんに関しては、教育現場で作者も作品も取り扱うべきものではない」
ということなんだよね。
 
もし今、君が、これから紹介するどの作品でもよいから、実際に読んでみれば、僕の言っていることが納得できるよ。それが、谷崎文学に対する高校生の正当な評価なんだけどさぁ。
信念無き学者や付和雷同(ふわらいどう)する研究者は、評価の高い谷崎潤一郎さんを批判すると、自分に批判の矛先が向けられることを恐れて、言えないんだねぇ。情けないことだよ。
 
だけど、普通に考えればそうかもしれないねえ。だって、谷崎潤一郎さんといえば、海外での評価も高く、ノーベル文学賞候補にも何回かなり、文化勲章を受章し、文化功労者にもなった、作家の巨匠であり、大文豪なんだからねぇ。
だから、入試には定番のようによく出てくるから、しっかり覚えておこう。
 
谷崎潤一郎さんは、明治19年(1886)に生まれて、昭和40年(1965)まで、長年にわたって活躍した人だねぇ。だから作品はたくさんあるよ。まずは、反自然主義の耽美派として出世作になったのが、
 
『刺青(しせい)』これだ。さらに、
 
『痴人(ちじん)の愛』これらだ。
 
『刺青』は明治43年(1910)に発表されているねえ。内容は、美肌の少女の背中いっぱいに、蜘蛛(くも)の入れ墨を彫りつけて、妖艶な美しさを表現する、というものだよ。
 
また、『痴人の愛』は大正13年(1924)に発表されたねえ。内容は、淫乱な女性の肉体に魅せられて、官能に服従されて生きていく男性の話だねぇ。

谷崎潤一郎さんの活躍は、昭和に入ってからが中心になってくるよ。それらについての説明は、昭和の時代に入ってから、話をするけれど、題名だけ、年代順に挙げておくよ。
まず昭和3年(1928)に発表した、
 
『蓼喰(たでく)ふ虫』これからだ。続いて、
 
『春琴抄(しゅんきんしょう)』
 
『細雪(ささめゆき)』
 
『少将滋幹(しょうしょうしげもと)の母』
 
『鍵』などが、精力的に書かれているねえ。
 
僕には、これらの小説が教科書に掲載されていた記憶はないねえ。どの作品も、教科書に載せるような内容ではないからだよ。ただ、映画になったり、歌舞伎になったり、演劇になったりした作品も多くあるね。中には、宝塚歌劇場で演じられたものもあるよ。
谷崎潤一郎さんの作品で、教科書に載っていたといえば、
 
『陰翳礼讃(いんえいらいさん)』これくらいだね。
 
『陰翳礼讃』は、日本の伝統的美意識をとらえた作品だといわれているけれど、もったいぶった雰囲気のする短い随筆にすぎないよ。
どうも、世の中には、谷崎潤一郎さんを本尊にして、それを拝んでいる不健康な信者と賛同者が多いようだねえ。
 
それじゃあ、谷崎潤一郎さんの小説の、入試用の特徴を書いておくから、頭に入れておこう。
 
《女性の病的な官能美を表現した》
 
《官能的な女性美を表現し、享楽的な態度や生き方を追及した》
 
まあ、こんなところだね。表現の仕方はいろいろあるだろうけれど、これに似たようなところがあれば、谷崎潤一郎さんのことだと考えていいよ。
 
さあ、それじゃ、耽美派の最後の作家をやろう。その人は、
 
《佐藤春夫》さん。この人だ。
 
前にも書いておいたけれど、慶応義塾大学関係の三田派から出てきた作家だねぇ。
代表作品は、
 
『田園の憂鬱(ゆううつ)』と、
 
『都会の憂鬱』これらだ。
 
この2つの作品は、両方とも、主人公が、田園や都会に精神的安住の地を求めて住み着くけれども、結局、満足ができずに憂うつに陥ってしまうという話だねえ。
おそらく君が読んだら、退屈この上のない作品だろうよ。ただ、自然主義に対立する文学作品としては、間違いなく、意義あるものだね。
 
ところで、どうでもいいような話だけれどさあ。
谷崎潤一郎さんと佐藤春夫さんは、親しい友人なんだよ。ある時、谷崎潤一郎さんが自分の奥さんを、佐藤春夫さんに譲ると約束してしまうんだねぇ。これが世間で騒がれた〝妻君譲渡事件〟というものだ。
結果的に、これが原因で、2人は一時絶交することにもなるんだね。
 
実にくだらないことだねぇ。こんなくだらないことをする作家の書いたものを、君は読む気がするかい?
 
やれやれ、これで、耽美派・三田派は終了だ。