オチケン風『日本文学史』近現代Ⅰ【明治中期】(小説・評論)〈6〉【擬古典主義文学】②幸田露伴
センター試験の平均点が正式に発表されたねえ。全体的に平均点は低くなっているけれど、特に、国語が昨年に比べてずいぶん、落ちたね。過去最低になった。
原因は、現代文の評論にあったようだ。
センター試験が終わった後、知人の塾経営者といろいろと話をする機会があったんだよ。塾生の感想はどうだったのかと聞いてみると、やはり、最初の問題の評論でつまずいた者が多かったということだったねえ。言葉遣いが古めかしくて、理解に苦しむ用語などがあったようだ。
僕は、その有名な著者の評論の問題を読んでみて、全く、違和感は感じなかったけれどね。世代の差なんだろうね。君が読むと、言葉の感覚が、古くてスンナリと頭の中に入って来ないのだろうね。
さてと、そこでだよ。本稿は当然、僕が書いているわけだから、僕の世代の言葉遣いが出てくるよね。それは、今回のような問題文を理解するうえでは、ずいぶん、役立つと思うよ。
だから、少々、古めかしい表現や言葉があったとしても、嫌がらずに読んでいってちょうだい。
君にとって、読みづらいと思える漢字には、ほとんど読みがなを振っているだろう。そうして、意味が分かりづらい語があったとしても、いちいち辞書を引かなくても、前後の言葉の使い方から、意味が予想できるように書いているつもりだからさあ。頑張って読んでいこう。
そうすると、世代の古い問題文が出たとしても、違和感を感じなくなるからねえ。一石二鳥だよ。
さあ、それじゃあ、擬古典主義文学者の、もう1人の偉大な作家について話をしよう。その人の名は、
《幸田露伴(こうだろはん)》さん。この人だ。
幸田露伴さんは、東京生まれだったけれど、通信技術者養成の学校を卒業して、北海道で技術者として仕事をしていたんだよ。ところが、東京での、尾崎紅葉さんなどの文芸活動を伝え聞くにつけ、居ても立ってもいられずに、仕事を辞めて、小説家を目指して東京へ戻ってきたんだね。
もともと、少年のころから文学が好きで、漢文学や仏教書を読み、さらに、井原西鶴さんの文学にも心酔(しんすい)していたんだよ。本人としては、若いころから小説家を目指していたんだけれど、父親の反対で、仕方なく、技術者になっていたんだね。
ところが、少年のころから抱いた文学への夢が捨て切れず、人生を夢の実現に賭けようと決めて、文芸活動の中心地に帰ってきたわけだね。
そして、最初に出した作品が、
『露団々(つゆだんだん)』これだ。
内容は、ニューヨークの富豪が、娘の婿を世界中から応募して、1人の日本人を選ぶが、娘には別の好きな人がいたという話だ。
これは、発想が奇抜すぎて、おとぎ話のようなものになっているねえ。幸田露伴さんの本来の小説とは、違ったものだ。
だけど、珍しい内容だったので、かなりの評判になったよ。初出は、明治22年(1889)雑誌に発表されたものだけれど、その後、単行本になってからも、よく売れたねえ。
幸田露伴さんの露伴さんらしい作風が確立された作品は、
『風流仏(ふうりゅうぶつ)』これだ。
(梗概)
主人公の若い彫刻家は、修行のために奈良へ行くことになる。途中、木曽の宿で、いじめられていた1人の娘を救った。そして、宿を出発しようとしていた時、運悪く病に倒れてしまう。
彫刻家は、娘から手厚い看病を受ける。やがて、2人の間に恋愛が芽生えて、宿の主人の仲人で、結婚式を挙げようということになった。
ところが、その娘は実は、非常に身分の高い方の子供であるというのが分かり、父親がやってきて娘を引き取ってしまう。
主人公は激しい恋情に耐えられずして、1枚の木に娘の像を彫刻する。ある日、その娘が結婚したことを新聞で見て知る。主人公は怒りにまかせて、娘の像を破壊しようとする。その瞬間、娘の像に自分がお抱き抱えられるような不思議な感覚を味わう。
まあ、こんな内容だね。『風流仏』は、幸田露伴さんの、露伴らしさが確立された作品だ。代表的作品であるといえるよ。多くの読者から、幸田露伴という作家の文学的評価を高められるきっかけになった作品だねぇ。
さらに、注目すべき別の作品に、
『五重塔』があるねえ。
(梗概)
主人公は、職人一筋、頑固一徹(がんこいってつ)の宮大工だ。ある年、有名な寺の境内に、五重塔建設の計画が持ち上がった。主人公は、大工職人の信念から、他の大工たちを差し置いて、どうしても五重塔の建設を請け負いたいと、寺の高僧に泣いて頼む。
高僧は、彼の熱意に打たれて、主人公に五重塔建設を依頼する。
主人公は、妥協の無い自らの職人の信念に基づいて、完ぺきな状態で五重の塔を作り上げてゆく。いよいよ、落成式を翌日に迎えることになった夜、猛烈な嵐が襲ってくる。
彼は、自分の大工としての技術には絶対な自信を持っていた。どんな強烈な嵐にも五重塔は耐えられると思った。しかし、もしも塔に少しでも異変があれば、自分は生きていられないと考える。
それで、一晩中、五重塔の最上階に立ち続ける。嵐のために倒壊するようなことは絶対にないとは思ったが、もし倒れたならば自分も一緒に死ぬことを決意していた。
白々と夜が明けた。嵐に微動だにもせず、五重塔は厳然と立っていた。
まあ、こんなあらすじだね。自らの仕事に、命をかける職人の姿が描かれているね。職人気質(かたぎ)の代表作といえる。
理想主義的、芸術至上主義的な、幸田露伴さんらしい傑作だね。
『五重塔』は大変なベストセラーになり、幸田露伴さんの、作家としての地位を確固たるものにしたよ。
人気作家となった幸田露伴さんは、次々と作品を書いていったねえ。
『一口剣(いっこうけん)』刀鍛冶(かじ)の話。
『風流微塵蔵(ふうりゅうみじんぞう)』2人の少年少女の運命。
『天うつ浪(そらうつなみ)』恋愛や男の友情や女の情熱。
『一口剣』は雑誌に、『風流微塵蔵』と『天うつ浪』は新聞に、それぞれ連載されたものだ。いずれも、大人気を博して、多くの人々に好んで読まれたねえ。
ところで、平成2年(1990)まで活躍していた女性作家の幸田文(あや)さんは、幸田露伴さんの娘さんだね。幸田文さんの文章は、入試によく出てくるよ。
それでは、ここで、チェックすべき言葉を覚えよう。それは、
《紅露(こうろ)時代》この語だ。
明治20年代、あまりにも尾崎紅葉さんと幸田露伴さんの活躍が大きく、当時の小説界は、2人によって発展させられている感があったね。それで、この時代のことを、紅露時代と呼んだんだねぇ。この言葉は、どういう訳か、入試によく出てくるねえ。
また、活躍した2人は、似たような作品を書いたのではなくして、対照的なものだったところから、2人の違いがよく比較して出されるよ。ここで、尾崎紅葉さんと幸田露伴さんの小説の比較を書いておくから、頭に入れておこう。
《尾崎紅葉》
女性的・風俗小説的・人情の機微を表現
写実派・女性の所作や言動を描くのに優れる
《幸田露伴》
男性的・理想小説的・信念や生きがいを表現
理想派・男性の意地や精神を描くのに優れる
こんなところかねえ。
どちらの作家も、本格的な近代文学の幕開けに、大きく貢献をしたことは間違いないねえ。なによりも、小説の楽しさというものを、広く大衆に普及させた功績は大きいねえ。
さてと、擬古典主義の最後に取り上げる作家は、
《樋口一葉(ひぐちいちよう)》さん。この人だ。
樋口一葉さんは、幸田露伴さんの小説に感動し、文学的影響を受けているねえ。
経済的に貧しい中、ずいぶん苦労しながらも小説を書いたねえ。原稿料ではまだ生活ができずに、下谷龍泉寺(したやりゅうせんじ)という寺の門前で、駄菓子屋などをやりながら、小説を書いていったんだよ。
代表作は、
『たけくらべ』
『にごりえ』
『十三夜(じゅうさんや)』これらだ。
この3つの作品は、樋口一葉さんの3部作といわれる名作だよ。
いずれの作品も、ロマン的な悲恋物語りだねえ。読むと読者の心に、限りないロマンとやるせない恋愛感情が湧き上がってくるね。
僕は、樋口一葉さんの作品を読むと、一時的な文学的才能がある作家というよりも、末永く活躍できる才能のある作家だという思いを強くしたよ。それこそ、80歳90歳になっても、まだ十分に優れた作品を書き続けられる有能な作家だと思ったね。
ところが残念ながら、当時の不治の病である、肺結核に冒されて、わずか24歳で亡くなったねえ。《佳人博命(かじんはくめい)》というけれど《才媛(さいえん)博命》だね。
今は、五千円札の肖像画になっているからさあ、じっくりと見てごらん。樋口一葉さんの肖像や写真は、どれを見ても若いよね。当たり前だねえ。
ところで、僕は、樋口一葉さんの作品で特に感動を覚えたのは、『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』よりも、小説ではないけれど、
『一葉日記』これだ。
生活苦にあえいでいた谷龍泉寺時代の日記には、
落ちぶれて 袖に涙のかかる時 人の心の奥ぞ知らるる
とは、げに、言ひける言葉かな。
という書き出しで始まる部分があるねえ。実に率直な心情があふれていて、心にしみる文章になっているよ。
『一葉日記』全体が、日記というよりも日記文学と言った方が的確な、優れた文学作品だね。
樋口一葉さんは、魅力的な文学者であったけれども、残念ながら夭逝(ようせい)してしまった。だけど逆に、それだからこそ現在でも、非常に多くの樋口一葉フアンがいるんだよね。また、研究者も多いね。中には、今も、樋口一葉さんに恋いをしている者がいるんだから驚きだね。
ところで、生徒からよく質問された事柄に、
「樋口一葉は、擬古典主義ですか、浪漫主義ですか、どちらですか?」
ということがあったね。
小説の形状や、雅俗折衷(がぞくせっちゅう)の名文は、まさに、井原西鶴さんの流れをくんだもので、擬古典主義といえるね。
ただ、内容的には、見事な浪漫が描かれているね。
だから、何主義かと問われれば、擬古典主義だ。そして表現された文学世界は、たいへんロマンチックなものだ、と覚えればいいよ。
やれやれ、これで、擬古典主義は終わりだ。次は、浪漫主義をやっていこう。