オチケン風『日本文学史』近現代Ⅰ【明治中期】(小説・評論)〈4〉【写実主義文学】②二葉亭四迷
 
坪内逍遥さんの提唱した写実主義に賛同し、さらに徹底させた人が出てきたねえ。その人が、
 
《二葉亭四迷(ふたばていしめい)》さん、この人だ。
 
この、変わったペンネームの由来にはいろいろ伝えられているよ。その1つは、彼が父親に、将来、小説家になると言ったとき、父親から、
「小説で飯が食っていけるか、馬鹿者、お前みたいなやつは、くたばってしまえ」
と言われたことからきているらしい。「くたばってしまえ」をもじったわけだねえ。
 
まあ、当時は、文学などというものは、1人前の男が、仕事として選ぶような値打ちのあるものではないと思われていた時代だからねぇ。実際、僕の幼いころにはまだ、小説家といえば、社会で認められない堕落者、というイメージがあったよ。
だから、逆に、そういう人の書いたものを読んでみたいという気が起こったね。
 
このごろはどうだい。○○文学賞を受賞したということで、大きな顔をしてテレビに出る。単行本が何十万冊売れたなどと言って、高額所得者になる。小説家がこんな扱われ方をするようになったのは、つい最近なんだよ。
だけど、逆に、世の中に媚(こ)びるような小説家の書いた作品など読む気がなくなるね。
 
それはそれとして、坪内逍遥さんの『小説神髄』の理論をさらに深めた文学論として、二葉亭四迷さんは、明治19年(1886 )、
 
『小説総論』これを書いたねえ。
 
坪内逍遥さんと二葉亭四迷さんは、親友なんだ。『小説総論』の《はしがき》に、友人のために書いた坪内逍遥さんの文章も入っているよ。

『小説総論』は、短い論文だね。20分ほどで読み終えられるよ。内容的には、写実小説のリアリズムをさらに徹底したものだね。『小説神髄』と並んで、近代小説論の双璧(そうへき)と評価されているものだ。
ただ、僕は読んでみて、あまりにも総論すぎると思うねえ。もっと、各論で、インパクトの強い論陣がなされなければ、面白くないねえ。
 
二葉亭四迷さんは、坪内逍遥さんが自分の文学論『小説神髄』を元に『当世書生気質』を書いたのと同じように、『小説総論』を元に小説を書いたんだ。それが、明治20年(1887 )に出た、
 
『浮雲』これだ。

実は、坪内逍遥さんが『当世書生気質』を出したとき、二葉亭四迷さんは、
「『当世書生気質』は、君自身の書いた『小説神髄』の主張する近代小説理論の内容に合致したものではなく、前時代的ではないか」
と批判をしていたんだね。
 
だから、今度、自らが書くことになった『浮雲』は、『当世書生気質』に対して自分が為した批判に、十分に耐えられるようにすることを意識して書いたんだねえ。
 
果たして、作品の出来栄えはどうだったのか。
これは大成功だったねえ。勧善懲悪や因果応報にとらわれない庶民の生活を淡々と描いて、写実主義、リアリズムの模範のような作品になっているよ。第一、題名が『浮雲』とは近代的だよね。『当世書生気質』とは大変な違いだ。
 
そして、『浮雲』の何よりも大きな特徴は、
 
《言文一致体》これだ。
 
日本の伝統的文学は言うまでもなく、文語体で書かれていたね。だって、日本語は、書き言葉と、話し言葉と2種類があったわけだから当たり前だよね。
文語というのは、古文ということだけではなくて、《文章として書く言語》という意味がある。同じように、口語というのは、現代語というだけではなく、《口で話す言語》という意味がある。だから、平安時代にも文語と口語があったわけだ。
 
時々、勘違いしている生徒がいてねえ、平安時代の人間が、日常の会話の中でも古文のような言語をしゃべっていると思っていたらしい。あんな、優雅な言葉で、話をしていたらすぐに日が暮れてしまうよ。
実際にはもっと簡単な、会話体すなわち口語が話されていたわけだね。
 
日本の伝統的な小説の文体を、本格的に、初めて話し言葉と同じような文体に変革し、書かれたのが『浮雲』だったわけだ。
これは、写実主義すなわち真実の人間の姿を描く、という観点から考えても、的確な変革だったね。言文一致の口語体で書くことによって、より現実の人間の姿を表現するのに適した文体になったことは言うまでもないね。
 
ここで、どんな文体だったのか、『浮雲』の1部を見てみよう。
 
 表の格子戸(こうしど)をガラリと開けて、案内もせず入って来て、隔(へだて)の障子の彼方(あなた)からヌッと顔を差出して、
「こんにちは」
 とあいさつをした男を見れば、チトくたびれた博多の帯に、たもと時計の紐(ひも)をまきつけて、手にトルコ形の帽子をたずさえている。
「オヤ、どなたかと思ったらお珍らしいこと、この間は、さっぱりお見限りですネ。マア、お入んなさいナ、それともババアばかりじゃあ、お厭(いや)かネ、オホホホホホ」
「イヤ結構・・・結構も、おかしい、アハハハハハ。ときに、何は、内海(うつみ)は居ますか」
「ハア居ますヨ」
 
こんな調子の文体なんだねえ。伝統的古典文学と比べてみると、実に、革命的な文体といえるよね。近代小説の文体の夜明けを告げた作品と言えるね。
 
二葉亭四迷さんはもともとは、東京外国語学校ロシア語学科に入学して、翻訳家として活躍していたんだ。その語学力を生かして、ツルゲーネフの作品を見事に言文一致体で訳しているねえ。それが、
 
『あひびき』であり、
 
『めぐりあひ』これだ。
 
これらの作品は、今、読んでも、翻訳文独特のギクシャクした雰囲気は全くないねえ。まるで、初めから日本語で書かれたような錯覚さえ起こさせるよ。明治21年(1888)に、こんな優れた翻訳文学があるなんて驚きだねえ。
 
さてと、同じころに、同じように言文一致体の小説を書いた人がいるんだ。それが、
 
《山田美妙(びみょう)》さん、この人だ。代表作は、
『夏木立(こだち)』これだ。

二葉亭四迷さんと山田美妙さんは、日本の言文一致体の先駆者だね。ただ、2人には微妙な違いがあるんだよねぇ。
ここで、『夏木立』の1部を見てみよう。
 
 客はしきりに 主人の容體(ようだい)を見てたが、やがて身を低くして、ちよっと、その顏を仰(あお)ぎ、
 「はなはだ、差出(さしで)がましい言葉ではございますが、どうも、先刻(せんこく)からお見受もうしまするに お顔つきがなにやら・・・」
 言いかけたまま、しばらくは 氣色(けしき)をうかゞっていると、主人も少し笑い掛ける。例の齒ぐきをあらわにして。
 
こんな感じだねえ。読み比べて分かることは、確かに雰囲気が違うということだねえ。それで、二葉亭四迷さんと山田美妙さんの言文一致体の違いを次のように言うんだ。
 
《だ調》二葉亭四迷
 
《です調》山田美妙
 
こういう事になっている。難易度の高い入試なんかには時々出てくるね。だけど、誰が、こんな違いの表現を言い出したのか知らないけれど、的確とはいえないよね。むしろ、二葉亭四迷さんの文章は、飾り気のないもの。山田美妙さんの文章は、飾り気のあるもの。と言ったくらいの方が正確だよね。
しかし、入試では、《だ調・です調》の違いということになるから、覚えておこう。
 
さあ、これで写実主義は終わりだ。明治20年代、いよいよ本格的な近代文学の流れが生まれ、発展してゆくことになるねえ。