オチケン風『日本文学史』近現代Ⅰ【明治中期】(小説・評論)〈3〉【写実主義文学】①坪内逍遥
昨日、センター試験が終わったねえ。君は、受験をしたのだろうか?
僕の知人に、かなり有名な作家がいるよ。彼の作品は、よく、大学入試の問題文に出てくるんだ。
僕は何度か、彼の小説の問題を教材にして、授業をしたことがある。以前、彼に会った時、その事を話題にしたことがあった。僕は、
「微妙な表現の箇所があって、なかなか生徒が正解を出せなかったよ」
と率直に感想を言った。すると彼は、
「そうだろう。自分の書いた文章だけれど、問題になっているところをみると、自分でも解けないよ。こんな問題だったら、特に僕の作品でなくてもよかったと思うね」
と言って、笑ったねえ。
確かに、今年の国語の問題を見ても、筆者の本質について考えさせるような問題は少ないね。大部分が、文章上の枝葉末節の問いだ。センター試験用の勉強すれば、70%くらいは確実にできるようになるね。
明治も18年(1885)近くたつと、真に近代文学といえる流れが出てきたねえ。それまでに出てきていた、翻訳小説や政治小説というものは、確かに伝統的古典文学とは違う、たいへん新鮮味のあるものではあったね。だけど、表面的、形式的なところだけを、目新しく変えたというものだったねえ。
文学の本質論は、江戸戯作(げさく)文学と同じものだったわけだ。
そこで、
「近代における文学とはそんなものじゃない」と声をあげた人がいたんだ。その人が、
《坪内逍遥(つぼうちしょうよう)》さん、この人だ。
坪内逍遥さんが偉かったのは、真の近代文学とはのどのようなものかということを、理論構築したことだね。その文学理論書が、
『小説神髄(しんずい)』これなんだ。
《神髄》というのは、本質というくらいの意味だ。だから、『小説神髄』の題名の意味は、《小説の本質》とでも考えたらいいだろう。
『小説神髄』は、分量的には、1時間ほどで読めるほどのものだけれど、書かれている内容は、実に素晴らしいものだよ。近代文学の本質を明確に述べている。現在、読んでも、十分に説得力のある内容になっているね。
全体的には、《真実の小説の書き方》と言えるようなものになっているねえ。もし君が、小説でも書いてやろうか、と思うなら、『小説神髄』を読んでごらん。
「ヨーシ、これならわたしでも、いい小説が書けるよ」
と思わせるくらい、説得力のあるものなんだ。
さあそれじゃ、『小説神髄』には、何が書いているのか。ポイントだけ見てみよう。
小説の主脳(しゅのう)は人情なり、世態風俗これに次ぐ。人情とはいかなるものをいふや。曰(いわ)く、人情とは人間の情慾にて、いわゆる百八煩悩(ぼんのう)是(こ)れなり。
(中略)
人情を灼然(しゃくぜん)として見えしむるを我が小説家の務めとはするなり。
坪内逍遥さんは、ここで、近代小説の本質とは何かということを、端的に書いているねえ。それは、外面的な姿や行動を書くことではなくて、人間の内面の心理を描くことだと主張しているんだよ。
人の心は様々だねえ。良い心と悪い心、清らかな心と醜い心、愛情と憎悪、悲しみと喜び、欲望と理性、等々、百八煩悩どころか、無限の心の働きがあるよね。近代小説は、それらを明らかに描くところにあるというんだねえ。
さらに、坪内逍遥さんは、深く論じて次のように書いているねえ。
よしや人情を写せばとて、その皮相(ひそう)のみを写したるものは、いまだ之(こ)れを真の小説とはいふべからず。その骨髄(こつずい)を穿(うが)つに及び、はじめて小説の小説たるを見るなり。
ここの部分などは、現代の小説論としても非常に重要な部分であるともいえるねえ。
心理を書いたと言っても、表面的な心の動きを単純に書いたのでは、小説とはいえないというのだねえ。その登場する人物の本質をとらえて表現しなけれはならない、ということだ。
小説を読んでいると登場人物が、まるで、現実に生きている人間のように、そして、その人物の本質が手に取るように分かるように書くこと。これが、近代小説の神髄だというわけだね。
言い換えれば、人間の真実の姿を写す、すなわち、《写実》することによって初めて、近代小説の幕開けになると主張したんだね。
それではここで、坪内逍遥さんが主張している、近世小説と近代小説の本質的な違いについて押さえておこう。
まず、近世小説の本質は何だったのか。
それは、《滑稽本(こっけいぼん)》《洒落本(しゃれぼん)》と言われたように、おもしろ、おかしく、娯楽として書かれ、読まれたわけだね。だから総体的に、小説は、戯作(げさく)と考えられていたんだよ。戯作というのは、面白半分に楽しく作ったもの、という意味だ。
表現においても、画一的、類型的、表面的になったわけだね。
例えば、美人の姿を表す言葉として、
《立てば芍薬(しゃくやく)、座れば牡丹(ぼたん)、歩く姿は百合(ゆり)の花》
などと、花の美しさに例えて、美人というものをひとまとめにして、表現したわけだ。いうまではなく、美人も千差万別で、さまざまな個性があるにもかかわらず、その個別の真の姿を描かずに、平均化して書いたわけだね。
また、登場人物の性格も類型化されていたねえ。
例えば、滝沢馬琴(たきざわばきん)さん作の『南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)』という小説がある。これは、106冊からなる大変な大作だねぇ。
主君に忠実に使える8人の《犬》の文字を姓とする忠臣の活躍する物語だね。構成は雄大で、文章も七五調の和漢混交文で、格調高いものなんだ。
『南総里見八犬伝』は近世文学として、非常に完成度の高い傑作であることには違いない。ところが、全編を通じて貫かれている理念は、勧善懲悪(かんぜんちょうあく)と因果応報(いんがおうほう)なんだねぇ。
勧善懲悪とは、人々に、良い行いをすることを奨励(しょうれい)して、悪い行いをすることを止めさせよう、とする道徳的なものだ。
因果応報とは、良い事をすれば、それにふさわしい良い結果を得ることができ、悪い事をすれば、それにふさわしい悪い結果を受けてしまう、という倫理的なことだ。
いわば、道徳や倫理に根ざした、武士の道を小説化したようなものだね。だから登場する8剣士は、全く迷いも疑いもなく、主君への忠義の一生を送るわけだ。これは、近世の物語としては、よく出来ているわけだ。
ところが、ふと考えると、生涯、主君に忠誠を誓って、全く、迷うことも疑うことも悩むこともない、というような生き方ができる人間が、果たして現実にいるかどうかということだよね。
坪内逍遥さんはこの点について、
斯(し)かれば外面に打いだして、行ふ所はあくまで純正純良なりといえども、その行ひを成すに先きだち幾多劣情の心の中に勃発(ぼっぱつ)することなからずやは。その劣情と道理の力と心のうちにて相闘(あいたたか)ひ、道理劣情に勝つに及びて、はじめて善行をなすを得るなり。
と言っているねえ。
人間の心の中には、愛の心もあれは憎しみもある。正義感もあれば邪悪な心もある。それらの葛藤(かっとう)の結果として、ひとつの行動が現れてくるわけだ。これが実際の人間ではないか。
正義感に、一生涯、貫かれて、何のブレる心もない人間なんて、現実の人間世界にはいない、と坪内逍遥さんは言っているわけだ。
近代小説というのは、8剣士のような現実には存在しないような類型化された人間を描くのではなくして、現実社会の中で存在し得る人間を描くことにあるわけだね。それが、〝実〟を〝写〟す、写実主義というわけだ。
話は変わるけどさあ。新聞に載っていたけれど、
《安岡章太郎(しょうたろう)》さんが亡くなったねえ。安岡章太郎さんは、昭和28年(1953)、
『悪い仲間』を発表して芥川賞を受賞し、活躍を始めたね。
文学主義的には、第1次戦後派、第2次戦後派につづいて、《第三の新人》と言われたよ。文学史の入試問題として取り上げられる作家としては、安岡章太郎さんあたりが、時代的に最後の時期になるだろうねえ。優れた作家が、次々と亡くなっていくねえ。
話を元に戻すよ。
最近の小説の中には、よく、現実生活や人生とは関係性のないような作り物語を書いているものがあるね。それを出版社やマスコミが、新しい時代の小説のように宣伝して、文学賞などを受賞させたりする。
こんな小説は、新時代の小説ではなくして、近代化する前の大昔の江戸戯作文学の物真似なんだよね。文学史の知識が少しでもあれば、すぐに分かることだよ。現代の小説界の、不毛の表れだね。
僕は、定年になってからは、時間を見つけては卒業生の家庭訪問をしているんだ。卒業後、しっかりと生きているのか知りたいことと、もし困ったことがあって、僕でも役に立つことがあれば助けてあげようと思ったからだ。
今は、勤め始めて最初に卒業させた生徒の家を回っているよ。卒業生の年齢は51歳だ。その間、1度も同窓会を開いていないから、30数年ぶりに顔を合わせることになるね。
45名のクラスだったけれど、現在、30名近くの卒業生に会うことができた。本当に素晴らしく感動的な再会を体験させてもらっているよ。つくづくと、教師人生を歩んでよかったなあ、と思っている。
僕は、多くの卒業生の、18歳から51歳という、人生において最も中心的な期間をどのように生きてきたのかという軌跡を見させてもらっている。
そのなかで、ひとつの、驚くべき真実に気がついたねえ。それは、
「まじめにコツコツ努力しても、幸せになるとは限らない」
ということなんだ。
僕は多くの卒業生に会っていくにつれ、この真実が、例外的に少ないのではなくして、かなりの割合で当てはまるということを実感したよ。ほとんどの卒業生が、まじめに30数年間、努力して生きてきたけれど、50歳になって、幸せでない生活をしている人が多いのが現実だね。
もし、分別(ふんべつ)くさい顔をして、
「まじめにコツコツ努力したら、幸せになれる」
という人がいたら、僕は、
「あなたは、人生の不条理が分かっていない。人生を甘く考えてはいけないよ」
と言ってやるね。人生の真実は、僕が実感したごとく、まさに、不条理なんだ。不条理とは道理に合わないことだよね。
これが、近世小説と近代小説の違いだね。分かるかい?
「まじめにコツコツ努力したら、幸せになれる」
このとらえ方は、勧善懲悪、因果応報に通じるものだよ。つまり、近世小説の理念だね。それに対して、
「まじめにコツコツ努力しても、幸せになるとは限らない」
このとらえ方は、坪内逍遥さんが主張した近代小説の基本的な理念だよ。
実際、ちょっと考えてみても、人生は、
「まじめにコツコツ努力しても、幸せになるとは限らないけれども、一生懸命に生きている、というのが現実だ」
とすぐに分かるよね。
近代小説は、現実の不条理の中で、もがき苦しみながら生きてゆく人間の真実の姿を描きだそうとしたものだね。
それでは、近代小説は読者に、近世小説と、どのような違った影響を与えたのだろうか。
昭和23年(1948)、
《太宰治(だざいおさむ)》さんが、
『人間失格』を発表したねえ。
衝撃的な内容で、ベストセラーになったね。
この後、若者の自殺者が増えた。多くの若者が、『人間失格』を持って、自殺行に出かけた。阿蘇山の火口から飛び降りた若者は、靴を脱いでそろえて、そばに単行本『人間失格』を大事そうに置いていたねえ。
また、
《吉川英治(よしかわえいじ)》さんは、昭和10年(1935)より、
『宮本武蔵』の新聞連載を始めたねえ。
大変な人気を博(はく)して長期連載になったけれど、
「生きることが苦しくなって、死に場所を求めてさまよっていた時、ふと、そばに捨ててあった新聞の『宮本武蔵』を読んで、もう1度、生きていこうという勇気をもらって死なずにすんだ」
というような人も出てきたりしたねえ。
この2つの事例は、近代小説は、人生における、生きる、死ぬ、という根本的な命題にまで影響するということをよく表していると思うねえ。
どうしてこれだけの影響力を持ったのか。言うまでもなく、近代小説が生きた人間の真実を表現できたからだね。〝写実〟することができたからだ。
近世小説の本質は〝遊び・娯楽〟だね。今でいえば、TVゲームのようなものだ。TVゲームに影響されて、人生がいやになり自殺した、なんて、聞いたことないものね。
さてと、ここまでしつこく、近世小説と近代小説の違いの話をしてくると、君の頭の中には、しっかりと内容が入ったことだろう。
おそらく君は、近世小説と近代小説の違いを一生涯、忘れることはないと思うよ。
それじゃ、話を次へ進めよう。
坪内逍遥さんが、さらに偉かったところは、近代小説の文学理念だけを提唱したのではなくして、それを元に、具体的な小説を書いたということなんだ。
理屈だけ言っている人間ではなくして、具体的な行動が伴ったわけだなあ。そこで、書き上げた小説が、
『当世書生気質(とうせいしょせいかたぎ)』これだ。
『当世書生気質』は、歴史に残る優れた文学理論から出てきた具体的な作品だから、どんなにか素晴らしいと思うだろう。
ところがだ、これがまったくだめなんだ。面白くないねえ。
第一、題名からして、近代的ではないじゃないかい。書生というのは学生のことだ。気質というのは特性というくらいの意味だね。いかにも古めかしい。
『当世書生気質』という題名は、まさに、近世文学そのもののようだね。僕は、近代文学に目覚めた坪内逍遥さんが、どうしてこんな前時代的な題名をつけたのか、未だに分からないねえ。
題名だけではなくて、文体も、江戸戯作文学の流れをそのまま引き継いでいるんだよね。ただ、確かに内容だけは、当時の学生の自由な新しい生き方を描こうとはしている。けれど、不完全燃焼に終わってしまったねえ。
まあ、なにより、近代小説理論を具体化した作品という意義においては、非常に大きいといえるだろうね。
結論的に言えば、坪内逍遥さんは、作家としての才能よりも、文芸評論家としての才能が優れていた、ということだなあ。