オチケン風『日本文学史』近現代Ⅰ【明治前期】〈1〉【社会体制と文学】
ずいぶん寒いねえ。それでも、冬至(とうじ)は過ぎて、少しずつだけれど、夜が明けるのが早くなり、夕方は5時ごろでも明るくなってきたねえ。間違いなく季節は、春に向かっているよ。
《冬は必ず春となる》
踏ん張るしかないねえ。
さてと、徳川家康さんが、江戸幕府開設(1603年)から265年間続いた封建社会だったけれど、いよいよ、終わりを迎えることになったねえ。
1867年、15代将軍、徳川慶喜(よしのぶ)さんが大政奉還を為して江戸幕府は崩壊し、翌、1868年、明治新政府が発足したねえ。
明治維新が遂行(すいこう)された大きな原因のひとつは、やはり、開国だね。
長く守り続けていた鎖国政策もアメリカの黒船、ペリーの来航によって維持できなくなり、結局、日米和親条約・日米修好通商条約を結んだねえ。その後は、オランダ、ロシア、イギリス、フランスとも同じような条約を結ぶことになったね。
結果的にこの貿易によって、薩摩藩(鹿児島)と長州藩(山口)は多くの武器を蓄えることができたわけだ。この2藩が土佐(高知)の坂本竜馬さんの仲介で、薩長同盟が結ばれて倒幕へと進んだんだったねえ。そして、明治維新となった。
これにより日本は、古い封建制から新しい近代的体制へと一大変革を為していったわけだね。同時に、外国との交流が本格的に進んでいくことにもなったね。
それじゃ、ここで、社会体制の変化は、文学の変化にどのように連動するのか、ということについて、原理原則的なところを話しておくよ。
誰でも分かると思うけれど、社会体制が、革命やクーデター、戦争などによって、急に変わったとしても、文学が一夜にしてコロリと変わるなどということはあり得ないよね。
ある一時期に、共産主義が資本主義になったり、封建社会が民主主義社会になって、社会体制や政治体制は、目に見える制度として明らかに変化するのは当然だけれど、文学などという文化に属する性質を持ったものは、じわじわと後になって変化が現れてくるものなんだね。
例えてみれば、お腹がすいた時にご飯を食べて満腹になるのは、社会体制の変化といえる。それに対して、食べたものが消化され、体の中のさまざまな働きによって食べ物が化学変化し、身体の栄養となって身についていくのは、文学・文化に例えられるだろうね。
当然、満腹から栄養の間には、タイムラグ(現象と反応の時間差)があるよね。同じように、社会体制の変革と文学の変革の間にもタイムラグがある。
そのタイムラグは、どのくらいの期間になるのだろうか。
結論的には、近代文学においては、ほぼ、20年間だねぇ。
それではここで、20年間の各期間の特徴を考えてみよう。
第1期・・・啓蒙期
第2期・・・発達期
第3期・・・完成期
第4期・・・爛熟(らんじゅく)期
こんなものだろうね。これを明治以降の文学に当てはめてみるよ。
明治維新となり、封建社会から近代社会に変わったといっても、すぐに、時代にふさわしい近代文学が出てくるわけはないよね。それで、明治20年(1887)頃までは、啓蒙期と言えるよね。
第1期啓蒙期というのは、世の中が、社会体制が、大きく変わったことに対して、いったい、どのように変わったのかということを文学を通じて多くの人々に知らせようという時期だね。いわゆる、
《啓蒙主義文学》といわれるものだよ。
社会体制が変わり、外国文化も入ってくる中で、20年間を過ぎると、それを借り物のようなメッキではなくして、自分たちのものとして消化して、新たな文学が創造される時期に入るね。それが第2期発達期ということになる。文学主義的には、
《擬(ぎ)古典主義》
《写実主義》さらに、
《浪漫(ろまん)主義》が挙(あ)げられるねえ。
これらの文学主義が、明治40年ごろまで活躍することになるよ。そして、社会体制が変革してから40年を超えてくると、文明開化として違和感を持って取り入れられた海外文学も、しっかりと日本文学と融合し、日本独自の完成度の高い文学が出現することになるね。それが第3期完成期だ。時期的には明治の終わりから大正時代だね。文学主義としては、
《自然主義》
《耽美(たんび)派》
《白樺(しらかば)派》などがあげられるよ。
まあ、この時期は、近代日本文学の素晴らしい花がいっぱいに咲いた頃だねぇ。
やがて、第3期を過ぎて第4期爛熟期に突入するわけだけれど、ちょうどこの時期には、昭和16年(1941)、第二次世界大戦(太平洋戦争)が入ってくるねえ。その影響で、文学の流れとしては爛熟期という時期になるのだけれど、十分な爛熟は果たすことができなかったね。文学主義としては、
《新感覚派》
《プロレタリア文学》
《転向文学》などが中心となったね。
太平洋戦争敗戦は、言うまでもなく、明治維新と同じような、社会体制の大変革をもたらしたねえ。
文学史の、第1期から第4期の流れも、ここで途切れたといってよい。敗戦は、文学史の流れもリセット(再設定)させることになったんだねえ。
それで、近現代文学史を見る場合、太平洋戦争を境に、前期と後期と2つに大きく分けることができるよ。
戦後はまた、新たな文学の流れを歩み始めたわけだね。
降る雪や 明治は 遠くなりにけり (中村草田男)
この句は、俳人の中村草田男(くさたお)さんが、雪の中、母校に佇(たたず)んで詠んだ句だねえ。草田男さんは、
「明治は 遠くなりにけり」と言ったけどさあ、世界最高齢でギネスに認定された人は、現在は日本人で、115歳だよ。京都府在住の木村次郎右衛門(じろうえもん)さんだ。
次郎右衛門さんは、明治30年(1897)生まれだ。明治30年といえば、第2期発達期で、
《尾崎紅葉(こうよう)》さんの、
『金色夜叉(こんじきやしゃ)』
《国木田独歩(くにきだどっぽ)》さんの、
『源叔父(げんおじ)』
《島崎藤村(とうそん)》さんの、
『若菜集(わかなしゅう)』
などという、明治文学の代表的な作品が発表された年だよ。
次郎右衛門さんにとっては、明治維新といっても、生まれるちょっと前の話だねぇ。
君にとっても、今から145年ほど前の明治維新なんて、長生きをした曽祖父母(ひいお爺さん、お婆さん)の時代のことなんだから、別世界の話ではなくして、身近なものだよ。
そんなふうに、我が身のことだと思って、勉強していこうよ。
ずいぶん寒いねえ。それでも、冬至(とうじ)は過ぎて、少しずつだけれど、夜が明けるのが早くなり、夕方は5時ごろでも明るくなってきたねえ。間違いなく季節は、春に向かっているよ。
《冬は必ず春となる》
踏ん張るしかないねえ。
さてと、徳川家康さんが、江戸幕府開設(1603年)から265年間続いた封建社会だったけれど、いよいよ、終わりを迎えることになったねえ。
1867年、15代将軍、徳川慶喜(よしのぶ)さんが大政奉還を為して江戸幕府は崩壊し、翌、1868年、明治新政府が発足したねえ。
明治維新が遂行(すいこう)された大きな原因のひとつは、やはり、開国だね。
長く守り続けていた鎖国政策もアメリカの黒船、ペリーの来航によって維持できなくなり、結局、日米和親条約・日米修好通商条約を結んだねえ。その後は、オランダ、ロシア、イギリス、フランスとも同じような条約を結ぶことになったね。
結果的にこの貿易によって、薩摩藩(鹿児島)と長州藩(山口)は多くの武器を蓄えることができたわけだ。この2藩が土佐(高知)の坂本竜馬さんの仲介で、薩長同盟が結ばれて倒幕へと進んだんだったねえ。そして、明治維新となった。
これにより日本は、古い封建制から新しい近代的体制へと一大変革を為していったわけだね。同時に、外国との交流が本格的に進んでいくことにもなったね。
それじゃ、ここで、社会体制の変化は、文学の変化にどのように連動するのか、ということについて、原理原則的なところを話しておくよ。
誰でも分かると思うけれど、社会体制が、革命やクーデター、戦争などによって、急に変わったとしても、文学が一夜にしてコロリと変わるなどということはあり得ないよね。
ある一時期に、共産主義が資本主義になったり、封建社会が民主主義社会になって、社会体制や政治体制は、目に見える制度として明らかに変化するのは当然だけれど、文学などという文化に属する性質を持ったものは、じわじわと後になって変化が現れてくるものなんだね。
例えてみれば、お腹がすいた時にご飯を食べて満腹になるのは、社会体制の変化といえる。それに対して、食べたものが消化され、体の中のさまざまな働きによって食べ物が化学変化し、身体の栄養となって身についていくのは、文学・文化に例えられるだろうね。
当然、満腹から栄養の間には、タイムラグ(現象と反応の時間差)があるよね。同じように、社会体制の変革と文学の変革の間にもタイムラグがある。
そのタイムラグは、どのくらいの期間になるのだろうか。
結論的には、近代文学においては、ほぼ、20年間だねぇ。
それではここで、20年間の各期間の特徴を考えてみよう。
第1期・・・啓蒙期
第2期・・・発達期
第3期・・・完成期
第4期・・・爛熟(らんじゅく)期
こんなものだろうね。これを明治以降の文学に当てはめてみるよ。
明治維新となり、封建社会から近代社会に変わったといっても、すぐに、時代にふさわしい近代文学が出てくるわけはないよね。それで、明治20年(1887)頃までは、啓蒙期と言えるよね。
第1期啓蒙期というのは、世の中が、社会体制が、大きく変わったことに対して、いったい、どのように変わったのかということを文学を通じて多くの人々に知らせようという時期だね。いわゆる、
《啓蒙主義文学》といわれるものだよ。
社会体制が変わり、外国文化も入ってくる中で、20年間を過ぎると、それを借り物のようなメッキではなくして、自分たちのものとして消化して、新たな文学が創造される時期に入るね。それが第2期発達期ということになる。文学主義的には、
《擬(ぎ)古典主義》
《写実主義》さらに、
《浪漫(ろまん)主義》が挙(あ)げられるねえ。
これらの文学主義が、明治40年ごろまで活躍することになるよ。そして、社会体制が変革してから40年を超えてくると、文明開化として違和感を持って取り入れられた海外文学も、しっかりと日本文学と融合し、日本独自の完成度の高い文学が出現することになるね。それが第3期完成期だ。時期的には明治の終わりから大正時代だね。文学主義としては、
《自然主義》
《耽美(たんび)派》
《白樺(しらかば)派》などがあげられるよ。
まあ、この時期は、近代日本文学の素晴らしい花がいっぱいに咲いた頃だねぇ。
やがて、第3期を過ぎて第4期爛熟期に突入するわけだけれど、ちょうどこの時期には、昭和16年(1941)、第二次世界大戦(太平洋戦争)が入ってくるねえ。その影響で、文学の流れとしては爛熟期という時期になるのだけれど、十分な爛熟は果たすことができなかったね。文学主義としては、
《新感覚派》
《プロレタリア文学》
《転向文学》などが中心となったね。
太平洋戦争敗戦は、言うまでもなく、明治維新と同じような、社会体制の大変革をもたらしたねえ。
文学史の、第1期から第4期の流れも、ここで途切れたといってよい。敗戦は、文学史の流れもリセット(再設定)させることになったんだねえ。
それで、近現代文学史を見る場合、太平洋戦争を境に、前期と後期と2つに大きく分けることができるよ。
戦後はまた、新たな文学の流れを歩み始めたわけだね。
降る雪や 明治は 遠くなりにけり (中村草田男)
この句は、俳人の中村草田男(くさたお)さんが、雪の中、母校に佇(たたず)んで詠んだ句だねえ。草田男さんは、
「明治は 遠くなりにけり」と言ったけどさあ、世界最高齢でギネスに認定された人は、現在は日本人で、115歳だよ。京都府在住の木村次郎右衛門(じろうえもん)さんだ。
次郎右衛門さんは、明治30年(1897)生まれだ。明治30年といえば、第2期発達期で、
《尾崎紅葉(こうよう)》さんの、
『金色夜叉(こんじきやしゃ)』
《国木田独歩(くにきだどっぽ)》さんの、
『源叔父(げんおじ)』
《島崎藤村(とうそん)》さんの、
『若菜集(わかなしゅう)』
などという、明治文学の代表的な作品が発表された年だよ。
次郎右衛門さんにとっては、明治維新といっても、生まれるちょっと前の話だねぇ。
君にとっても、今から145年ほど前の明治維新なんて、長生きをした曽祖父母(ひいお爺さん、お婆さん)の時代のことなんだから、別世界の話ではなくして、身近なものだよ。
そんなふうに、我が身のことだと思って、勉強していこうよ。