オチケン風『日本文学史』近現代Ⅰ【明治】(小説・評論)【【はじめに】

前座【空箱の文学史】

さあ、いよいよ新しい年が開けたねえ。
君は、年末年始をどんな過ごし方をしただろうか。
いろいろな状況があるにしても、僕らの心の中にも、新しく勇気を湧(わ)き上がらせて、希望を持って進もうじゃないかい。
 
風立ちぬ、いざ生きめやも。(ポール・ヴァレリー 堀辰雄訳)
 
この一文は、
 
《堀辰雄(たつお)》さんの小説、
 
『風立ちぬ』の冒頭部分に書かれているものだよ。
 
フランスの文学者バァレリーさんの詩の一節を訳したものだね。口語訳すれば、
《風が吹いてきた、さあ、生きようではないか》となるね。
原文を直訳すると、
《風が吹く、生きることを試さなければならない》
というくらいの意味になるようだ。とすると、堀辰雄さんの訳は、本当に素晴らしいものだと言えるね。
 
素晴らしい翻訳といえば、
 
《森鴎外(おうがい)》さんの翻訳で、
 
『即興詩人(そっきょうしじん)』があるね。
 
原作は、デンマークの童話作家アンデルセンが書いたものだよ。
これなどは、名文の翻訳で、原作以上の文学的に優れた作品になっているということで、当時、評判になったね。
実際に読むと、退屈な作品だけどさあ、名訳であることに間違いはないねえ。
《風立ちぬ、いざ生きめやも。》も原作を超えた名訳だろうね。
 
ところで、君は、《風が吹く》ということと《生きよう》ということとは、どんな関係があると思う?
普通に考えると、《風が吹く》というのは自然現象であり、《生きよう》というのは、人間の人為的なことだから、関連性はないような気がするよね。
 
でも、一見、関係がないように思える、自然と人為とを関連付けることは、ずいぶん効果的な表現になることがあるんだよ。
 
例えば、ミュージカルや映画にもなっている『屋根の上のヴァイオリン弾き』の中で歌われる曲に『Sunrise,Sunset』というのがあるねえ。
『日は昇り、日は沈み』ということだけれど、太陽が昇ったり沈んだりを繰り返すというのは、宇宙の決められた運行であって、人間を感動させるためのものではないよね。
 
だけど、深い悲しみや喜び、憎しみや愛情など、心にあふれるような感情のうねりを感じる日々を過ごしている中で、《太陽は昇り、沈んでいく。けれどまた必ず、いつも変わらず昇ってくる》という情景は、人の心に深い感慨と、確実に経過して行く時の流れをしみじみと感じさせるものだよね。
 
『Sunrise,Sunset』は、まだ、時の経過と関連付けやすいけれど、思いもかけないような、自然と人為の関連付けの作品もあるよ。
それは、松尾芭蕉さんの『奥の細道』の中にある次の句だ。
 
夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡
 
芭蕉さんが、奥州平泉の藤原泰衡(やすひら)さんの屋敷跡を訪ねたときの句だねぇ。
その昔、この屋敷は、藤原家一族の人たちが、戦を前にして、勝って手柄(てがら)を挙げ、栄華を手に入れようと夢見た場所であった。ところが逆に一時に滅ぼされて、その思いは《一炊(いっすい)の夢》となってしまった。
 
今、芭蕉さんの目の前には、勢いよく青々と夏草が茂っている。それを眺めていると、多くの武士たちの、はかなく消え去ってしまった無量の無念の思いが感じられ、哀れさに心が打たれる。
 
この句も、植物である夏草と武士の夢とは、全く関係がないと思えるけれど、芭蕉さんの手にかかると、見事に関連付けられて、読む人の心にひしひしと感動が伝わってくるね。
この句を読めば、自然現象と人為との関連が、かけ離れていればいるほど、結びついたときに感動が大きくなるのがよく分かるよね。
 
《風立ちぬ、いざ生きめやも。》
《風も吹いてきたよ、さあ、人生にさまざまな困難はあるけれど、前を向いて生きて行こうよ》
原作とは少々違うかもしれないけれど、こんなとらえ方ができれば、素晴らしいねえ。
 
君も、受験勉強真っ最中の新年だけれど、
「さあ、新年がやってきた。いよいよ、わたしの年だ。勉強は大変かもしれないけれど、自分に勝って必ず目標を手に入れるんだ」
という気持ちで頑張ってね。
新年と君の人生とを関連付けて、前向きに、何があろうが前向きに頑張って行こうよ。
 
そうそう、何年前だったか、マスコミが現役の大学生におもしろいアンケートを取っていたよ。
その中の質問事項に次のようなものがあったねえ。
 
小説『雪国』について次の問いに答えてください。
①作者を知っていますか。
②書き出し部分を知っていますか。
③主人公の名前を知っていますか。
④全文を実際に読みましたか。
 
およそ、こんなものだったねえ。それで、アンケートの結果はどうだったか。
 
①作者の川端康成さんは、全員、知っていたね。
②書き出し部分《国境の長いトンネルを抜けると雪国であった》を知っていたのは、80%ほどだったね。
③主人公《島村》の名前を知っていたのは、30%ほどだったね。
④実際に全文を読んだことがある人は、なんとゼロだったよ。
 
この結果を僕はずいぶん、興味深く見たよ。
君も分かったと思うけれど、この結果には、受験生の日本文学史に対する学習の仕方が、明瞭に表れているよね。
 
入試に対応するために、作品と作者を暗記し、さらに時々、入試に出てくる冒頭文や主人公の名前も続けて丸暗記をするんだよね。
衝撃的なのは、かなり多人数の学生にアンケートを取ったにもかかわらず、実際に読んだ人は、全くいないということだね。
 
いったい、入試や受験勉強というのは、何なんだろうねえ!
いったい、受験生の人生にとって何の役に立つと言うんだろうか?
 
こんな中身のない空箱のような入試問題を作る大学、それに対応する、これまた空箱のような受験勉強。こんなことを押し付けるような入試制度の中では、優れた人物は育たないよね。
次の時代の日本を背負って立ってもらわなければならない若者が、こんな、まやかしの教育制度の中で、どれほど多くつぶれてしまっていることか、教育関係者は厳しく反省する必要があるねえ。
 
今の日本に最も不足し、また、必要なものは、世界に通用する人材だよね。日本の国力が年を追うごとに衰退している1つの原因が、人材を育てることができない教育制度にあることに早く気がつくべきだよね。
 
「そんなことより、現実には、目の前の入試問題ができなければ、大学に行けないんだよ。今のわたしにとっては、そっちの方が大事よ」
こういう君の声が聞こえてきたよ。
そうだ、その通りだねえ。愚痴ったって仕方がないねえ。
 
それじゃあ、文学史を最も効果的に覚えるポイントを話そう。
 
《最大のポイントは、各事項を自分の人生と関連付けて覚えること》
 
これだね。一見すると、丸暗記の方が、よほど簡単そうに思えるけれど、実は、丸暗記が最も効率が悪く、無駄骨になることが多いんだよ。何せ、忘れやすいものね。
人生と関連付けて覚えれば、簡単には忘れないものね。これほど効率的なことはないよ。
 
その良い例が、堀辰雄さんの『風立ちぬ』だ。君は、《風立ちぬ、いざ生きめやも。》で、自分の人生と関連付けたかい?そうできれば、これは、忘れようとしたって忘れられないよ。ひょっとしたら、一生涯、忘れないかもしれない。これこそ、人生にとって有意義な学習の仕方だと言えるよね。
 
実は、人生にとって有意義な入試勉強こそ、もっとも効率的で効果的な学習方法なんだよ。
本稿において、僕が話をする最も重要なポイントは、ここにあることを頭に入れておいてちょうだいね。
 
アインシュタインは、教育について次のように書いていたと記憶しているよ。
「本当の教育とは、学校で習ったことをすべて忘れ去った後に残るものである」
素晴らしい言葉だねぇ。これを文学史に置き換えてみよう。
「本当の文学史の学習とは、覚えたことを全部忘れ去った後にも残っているものである」
こんなところかなぁ。
 
実は、これが僕の自慢の文学史観なんだ。まだ文学史観を持つに至っていない教員は、どんなに一生懸命になって教えたとしても、結局は、丸暗記と知識の切り売りの解説になってしまうんだよね。
 
覚えたことを一時、忘れたとしても、入試問題を見た時に、意識の底に残っていた記憶をよみがえらせて、正解を書くことができる。
目指すはこれだよ。本稿は、この事ができるようになるための入試用学習教材なんだ。
 
だから、君の意識の底に定着させるために、同じことを何回でも繰り返して話したりするよ。
「時間が無駄になるのに、同じことを何回も言わないでよ」
なんて、不機嫌にならないでさぁ、楽しく聞いてよ。
 
ここで、ちょっと君の得になることを言っておくよ。
それは、本稿を楽しく読んでいると、知らず知らずのうちに、現代文の問題の解答力がつくということだよ。現代文で扱われるテーマの多くを、本稿においても、君が気がつかないうちに提示し、解答力が身につくように話をしておくからね。楽しみにしておいてちょうだい。
 
ああ、そうそう、言い忘れていたけれど、僕は心臓が悪いんだ。普通の人の29%の機能しか残っていないんだよ。だから、いつ止まるか分からない。
止まった時には、そこで本稿も終わりとなるよ。もしそうなったら、残りは君が自分の力でやり通してね。
 
でも、なかなか止まらないと思うよ。前作の《オチケン風『日本文学史・古典文学編』》も、不安を抱えながら話していったけれどさあ、結局、8カ月かかって完成できたものねえ。
その間、2週間入院しただけで、体力を保つことができたよ。
 
さあそれじゃ、いよいよ、本題に入っていこう。
君が、最後まで付き合ってくれて、その上、目標通りの進路を手にすることができることを祈っているよ。