オチケン風『日本文学史』近現代Ⅲ【昭和戦後】(小説・評論)〈14〉【第3の新人】
いよいよ、この項目で、小説・評論については終わりにするよ。
全体の流れを頭の中に描いた上で、個々の文学流派、作者作品をその流れの中に位置づけるようにして覚えれば、分かりやすいねえ。
さて、《第3の新人》が出て来て、活躍を始めたのは、昭和30年(1955)前後なんだよ。
昭和30年代というのは、戦後の日本の社会において、大きな転換期だったねえ。
昭和25年(1950)、朝鮮戦争が勃発(ぼっぱつ)したんだったね。
その軍用品が大量に日本に発注された。そのおかげで、国内産業は飛躍的に発展をすることになったねえ。
〝糸へん景気〟〝金へん景気〟などと言って、特に、繊維関係や工業関係の企業が恩恵を受けた。それが日本経済全体を大きく底上げすることにつながったねえ。
昭和26年(1951)サンフランシスコ講和条約締結。
昭和28年(1953)奄美群島本土復帰。
昭和31年(1956)ソビエト連邦と国交回復。
昭和35年(1960)日米安全保障条約発効。
昭和39年(1964)東海道新幹線・名神高速道路開通。東京オリンピック開催。
このように、戦後処理が進み、アメリカへの依存関係が安定する中で、政府は高度経済成長を押し進めたねえ。
このころ僕は、小学校高学年から中学生だったよ。父は田舎町で薬店を開いていたけれど、子供心にも年々、景気が良くなり、商売が繁盛してくるのが分かったねえ。
そして、多くの田舎の人が、金もうけのよい都会へと移転していったのもこの時期だね。
地方の中学新卒の生徒も集団就職で、都市部へと流入していったねえ。〝集団就職列車〟などという言葉も使われたよ。
就職のため、生まれて初めて、親元や故郷を離れる若者たちの不安や夢をテーマにした歌謡曲もできたね。
伊沢八郎さんという歌手が歌った『あゝ上野駅』もその1つだよ。
同じ体験を持つ多くの人々の共感を得て、大ヒットしたねえ。君のおじいちゃん、おばあちゃんなら、知っているよ。
人々は、電気洗濯機、電気冷蔵庫、テレビを〝3種の神器〟と呼んで、急激に普及したねえ。
僕の好きな真空管がトランジスタ(半導体)に取って代わったのもこの時期だよ。
また、週刊誌や雑誌が多数発刊され、全国に普及していったねえ。
こうして、世の中は都市化、大衆化の社会へと進んでいったんだ。
〝戦後〟という言葉が、感覚的に現実から離れたものになり、〝戦後の終焉(しゅうえん)〟が人々の心に広く実感されるようになっていった。
「もはや戦後ではない」
という言葉がよく使われるようになったねえ。
当然、この社会状況の変化は、文学にも色濃く影響を与えたねえ。
文学界における〝戦後の終了〟とはどのようなものなのか。
《暗く、重く、うっとうしい文学は嫌われ、明るく、軽く、楽しい文学が好まれる》
簡単に言えば、こういうことだ。
《暗く、重く、うっとうしい》テーマは、国家、戦争、思想弾圧、権力闘争、共産主義などが挙(あ)げられるだろうねえ。
それに対して、《明るく、軽く、楽しい》テーマは、大衆化社会に受け入れられ、日常生活の中で安心して取り上げられるものだろうね。
もちろん、こういう大衆化、安定化の中で、見失われがちな個性の発揮や、虚無感の拡大などをテーマにした作品も多く出てきたよ。
だけど、それによって戦前戦中のように、我が身に危害が及ぶような時代ではないよね。
平和の中で安心して創作できる作品であり、また、興味深く気軽に読める内容になっているわけだ。
この文学傾向にさらに拍車(はくしゃ)をかけたのが、出版業界だったねえ。
大衆受けのする売れる作品は、大量に出版する。逆に、内容的に優れている作品でも、売れないものは出版しない。という方針をとったねえ。
出版社は作品の質よりも、目先の利益追求を優先して、優れた作家たちが育つ土壌を痩(や)せたものにしてしまったねえ。
中間小説、エンターテイメント小説などという言葉も出てきたよ。
「純文学と大衆小説の違いなど、どうでもいいんだ。とにかく、面白く楽しく読めて、売れればいいんだ」というわけだねえ。
こういう状況の中でも、文学性の高さを守ろうとした、信念のある出版社があったねえ。あまり売れないけれど、文学性の優れた作品を中心に出版していたよ。
残念だけれど、この出版社は資金的に行き詰まり、倒産したねえ。
僕の好きな出版社だったけれどねえ。
ところで、近代文学と現代文学の時代区分だけどさぁ。
研究者がそれぞれ勝手なことを言っているけれど、ほぼ、太平洋戦争を境と考えていいだろうねえ。
だけど僕は、作品の内容から判断するならば、《第3の新人》の出現を現代文学の始まりとするのが適当ではないかと思うねえ。
その《第3の新人》というのは、昭和28年(1953)から昭和30年(1955)に相次いで芥川賞を受賞した、同じような傾向を持つ作家のことだよ。
戦後派作家よりも一回り若い世代になるねえ。
代表作家は次のような人たちだよ。
《安岡章太郎(しょうたろう)》さん。
《吉行淳之介(よしゆきじゅんのすけ)》さん。
《小島信夫》さん。
《庄野潤三(しょうのじゅんぞう)》さん。
《遠藤周作(しゅうさく)》さん。
これらの人たちだ。
文芸評論家の山本健吉さんが、戦後派とは作風が大きく変わったこれらの作家に対して、《第3の新人》と命名したんだよ。
安岡章太郎さんの代表作としては、
『悪い仲間』これだ。吉行淳之介さんの代表作は、
『驟雨(しゅうう)』これだ。遠藤周作さんの代表作は、
『沈黙』これだ。
安岡章太郎、吉行淳之介、小島信夫、庄野潤三、遠藤周作の皆さんは、どなたも最近まで活躍をなされていた方だねえ。
特に、安岡章太郎さんは、昨年、亡くなられたところだよ。
《第3の新人》が出た後からも、個性的で優れた作家が次々と登場したねえ。
現代文学が、戦後文学から脱却して、大きく翼を広げる時代になったといえるだろうねえ。
その作家と代表作は次のようなものだ。
《石原慎太郎》さん。代表作は、
『太陽の季節』これだ。
《大江健三郎》さん。代表作は、
『飼育』これだ。
《開高健(かいこうたけし)》さん。代表作は、
『裸の王様』これだ。
開高健さんは、58歳で若くして亡くなったけれど、石原慎太郎さんは現役の政治家として、今も頑張っているし、大江健三郎さんは10年前にノーベル文学賞を受賞して、現在も活躍をされているねえ。
このあたりの文学史になると、現役で活動されている方の話になってくるわけだねえ。
さてと、《第3の新人》で紹介した作品を読むと、僕の言っていることに疑問が湧くのではないかと思うねえ。
それは、現代文学を、《明るく、軽く、楽しい文学》と言ったけれど、そうは思えないということだねぇ。
遠藤周作さんの『沈黙』は、宗教と信仰というものを人間の本質から見直したものであり、非常に重いテーマだね。
また、大江健三郎さんの『飼育』は、戦争末期に主人公の父親が監禁していた黒人兵を撲殺するという暗いテーマだ。
その他の作者の作品も、テーマとして、重大で深刻なものを見据えているものが多いよ。
確かに、ここに文学史資料としてあげた作品は、現代文学の特徴である《明るく、軽く、楽しい》ものではないねえ。
だけど、実はこの状況こそ、現代文学を取り巻く特性を表しているんだよね。
簡単に、逆説的な言い方をすれば、
「現代文学の状況は、文学史として実体を把握できない様相を示している」ということだねえ。
ここに取り上げた文学史資料としての作品は、当時の人々が読みたいと思って買った本の主流ではないんだよ。
最もよく売れたのは、中間小説だねえ。それは、文学史に出てくる作品とは比べものにならないほど大量の作品が出版され、そして購入されたんだよ。
まるで読み捨て冊子のように、次々と新しいものが出てきて、一読されては古紙になった。
感銘を受けた1冊の本を大切に持ち続けて、年齢を重ねてまた読み返す、そうして生涯の座右(ざゆう)の書にする。という時代ではなくなったんだね。
文学作品も大量生産の大量消費の時代に入ったと言えるねえ。
だから、人気作家は〝印税成り金〟といわれるほど儲(もう)けたね。印税というのは、1冊売れるごとに著者に払われるお金のことだよ。
〝印税成り金〟になるような作品や作者は、文学史として取り上げる性質のものではないんだよね。
そうすると文学史と実際の文学状況とは乖離(かいり)してしまうことになるねえ。
文学史を研究する意味がなくなるわけだ。
現在の文学を文学史的に研究する人が、少ないのは、こんな理由によるものだよ。
さて、現代文学の時代に入って、作品の質的変化については今、話をしたけれど、もう1つ、大きく変わったことがあるんだよ。
それは、作家という職業人についての見方だ。
君と一緒にここまで『日本文学史・近現代文学編』を勉強してきてさあ、君は作家というものについて、ある事に気がついただろう。
それは、
「作家といわれる人は、異常な人生を歩んで、不幸な人だね」ということではないかい。
そうなんだ。これまで見てきた作家の人生を思い出してみよう。
貧困、病気、薬物中毒、投獄、獄死、心中など、不幸の見本のような人生を歩んだ人が多いねえ。
特に、自殺が多いのには驚かされるねえ。おそらく、こんな統計はないけれど、職業別自殺者の比率を出せば、作家がいちばん高いだろうねえ。
小説家が、どうして不幸なのか、と考えてみると、根っこのところで共通した要因があると思えるねえ。
それは、その時々の小説家を取り巻いている社会との関係性だねぇ。
現代文学が出てくるまでの小説家は、社会を受け入れがたいものとして批判的に捉えていたねえ。
小説家というのは、反社会的な立場、社会を拒絶する立場に立って、一般の人が見抜くことのできない社会の矛盾や不正を白日のもとにさらす作品を書くものだと思われていたねえ。
だから、自然のなりゆきとして、小説家自身の実人生も反社会的、あるいは犯罪者的なものになった訳だね。
僕が青年のころの芥川賞受賞者というのは、社会からの脱落者、現実社会の中でうまく生きていけない者、というイメージがあったよ。
受賞者が自宅から出てくる写真などを見ると、ボロボロの木造のアパートが写っていたりしたねえ。
そんな、その時の社会に適応できない人間だからこそ、ハッとさせられるような優れた小説が書けるのだと思っていたねえ。
家にはお金もあって生活に困ることはなく、名門大学を出て、大企業に就職し、生きがいを感じて働いているような、そんな幸せいっぱいの人に、小説が書ける訳がないと思った。
もし書いたとしても、まったく面白くない小説になるだろうと思えたねえ。
「不幸な人生は、優れた小説を書くための必要条件」
こう言えるくらい小説家というのは、一般の職業人とは違って、苦しい生涯を歩まなければならないものだったねえ。
小説家として有名になり、名誉や地位を得たとしても、実際の人生は不幸な人が多かったわけだ。
ところが、この作家像は、世の中が現代文学の時代に入ってくると、大きく様変わりしたねえ。
出版社やマスコミによってベストセラー作家が次々とつくり出されるようになったねえ。そして〝印税成り金〟の作家が出てきて、高額所得者に名前を連ねる人もいたねえ。
それまでの作家が、人生に悩み、社会に苦しみながら生きていたのに対し、現代作家は、経済的に豊かになり、マスコミなどにもよく登場してきて、幸福な人生の成功者の姿を見せるようになったねえ。
もはや、世の中の拗(す)ね者ではなく、憧れの的となり、社会の反抗者ではなく、先導者となったのだねえ。
作家像の、近代から現代への変化は、簡単に言えば、
「小説家が不幸な時代は終わり、幸福な時代になった」ということだね。
このことは、作家が、
《悲惨な歴史や現実から目を逸(そ)らして、小さな世界の平和や幸福を求めようとする今の風潮》に迎合することであり、したがって作品も当然、
《暗く、重く、うっとうしい文学は嫌われ、明るく、軽く、楽しい文学》を創作することになったわけだねえ。
まさに、《スマホ主義文学の時代》になったのだよ。
余談になるけどさあ。これからの日本文学は、どういう方向を目指すのが再生への道になるのか、ちょっとだけ考えてみようよ。
結論的に言えば、
《スマホ主義文学の時代》から、
《人間主義文学の時代》に転換すべきだと思う。
人間主義文学というのは、文学の表現方法は無限にあるけれど、その根底に、どこまでも人間を置くことだよ。人間を方法論にするのではなく、目的論にすることだよ。
人間主義を確立するためには、当然ながら、人間に対する深くて普遍的な洞察、哲学が必要だよね。
考えてみると、優れた文学、文化が興隆する背景には、必ず優れた宗教的土壌があるねえ。
世界文学に名を残している西欧の作品は、ほとんどがキリスト教の影響のもとに生まれているよ。信仰が、人々の生活の中に根差し、息付いているところに創作の原点があるわけだねえ。
同じように東洋には仏教が発生し、優れた仏教美術や仏教文学が隆盛したわけだね。そう考えると今の、宗教も哲学もなき日本文学を人間主義文学に転換させるためには、人々の心の中に、深い人間性を取り戻させる宗教なり哲学なりが必要だということだねえ。
その契機になるような文学作品が、これからの文壇には必要なのではないかねえ。
僕は、そういう創作活動ができる作家を《第4の新人》と呼びたいねえ。
君には、ぜひとも、《第4の新人》になってもらいたいよ。
さてと、これで、《第3の新人》についての話は終わりにしよう。
そして、同時に、近現代の小説・評論についての話も終わりということになるねえ。
ここまで、お互いに、「ご苦労さん」というところだねえ。
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筆者略歴
高知県に生まれる
花園大学卒業
定年まで教育機関に勤務
専門は仏教文学
第6回問題小説新人賞受賞
(徳間書店)
https://prizesworld.com/prizes/novel/mons.htm
花園大学卒業
定年まで教育機関に勤務
専門は仏教文学
第6回問題小説新人賞受賞
(徳間書店)
https://prizesworld.com/prizes/novel/mons.htm
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