オチケン風『日本文学史』近現代Ⅲ【昭和戦後】(小説・評論)〈11〉【民主主義文学】
 
まず、プロレタリア文学の復活から見ていこうかねえ。
戦前、戦中と徹底して弾圧されたプロレタリア文学は、戦後の解放を受けて、新しい文学の創造を目指して活動を始めたねえ。
それで、〝プロレタリアート〟無産階級という幅の狭い文学から、もっと広く、一般民衆に広がるものを考えたわけだ。
それが、
 
《民主主義文学》これだ。機関誌としては、
 
『新日本文学』を昭和21年(1946 )に創刊したねえ。
 
『新日本文学』の目的は、
《民主主義文学の創造とその普及》ということになっているねえ。
代表的な作家は、
 
《宮本百合子(ゆりこ)》さん。この人だ。代表作は、
 
『播州(ばんしゅう)平野』これだ。
 
『播州平野』は、『新日本文学』の創刊号から連載されたねえ。
播州平野とは、兵庫県南西部の姫路市を中心にした肥沃(ひよく)な平野のことだ。題名にはなっているけれど、この場所を舞台に小説の筋が進むというわけではないよ。
最後の場面では、播州平野が印象的に描かれているよ。
 
内容は、敗戦の日から書き起こされたて、思想犯として網走刑務所に服役していた夫が、釈放され、会いに行くまでのことが書かれているねえ。
敗戦直後の各地の様子や、人々の混乱と希望も見える姿が写実的に描かれているよ。
宮本百合子さん自身の体験を元にして書かれたものだ。
 
さらに、昭和22年(1947)に発表された作品は、
 
『道標(どうひょう)』これだ。
 
『道標』は、400字詰め原稿用紙2000枚近い、長編大作だよ。


内容は、ソビエト、ヨーロッパの社会主義運動を目の当たりにした主人公が、思想弾圧の渦巻く日本に帰国する決意をするという話だねえ。
『道標』も、宮本百合子さんの体験が基本になっているよ。
 
宮本百合子さんは、『新日本文学』の中心的な作家だったけれど、『道標』を完成させた翌年、51歳で急逝(きゅうせい)してしまったねえ。
 
『新日本文学』で活躍した次の作家は、『太陽のない街』の作者で、プロレタリア作家だった、
 
《徳永直(すなお)》さん。この人だ。戦後の代表作は、
 
『妻よねむれ』これだ。
 
『妻よねむれ』は、戦時中に亡くした妻への思いを書くことによって、戦争批判をしたものだよ。
 
次の作家は、
 
《中野重治(しげはる)》さん。この人だ。代表作は、
 
『五勺(しゃく)の酒』(天皇制批判の平凡化を愚痴る)
 
『むらぎも』(初めて共産主義に関わる学生)
 
こんなところかなぁ。
中野重治さんは、プロレタリア文学者ではあったけれど、警察に検挙されて転向したねえ。だから転向文学者となっていた。
それが戦後になって、再び、民主主義文学を目指したわけだねえ。
 
雑誌『新日本文学』を中心に運動を推進した民主主義文学の流れは、その後どうなったのか。
プロレタリア文学のところでも話をしたけれど、結局、解決しないままの課題が『新日本文学』にも引き継がれてしまっていたということだね。
 
それは、
《政治の優位性と文学の自立性》
これだねえ。そこにはいつも、政治がからんできたことも問題を複雑にしていたねえ。
そのうえ、戦後ということで、戦争責任をどう扱うのかということも論議に加わってきたわけだ。
 
当然のパターンとして、
考え方の相違→対立→抗争→分裂となるわけだ。
『新日本文学』は、確かに、多くの作家、評論家、詩人の活躍の場を与えだけれど、常に内部紛争を起こす要因を持っていたねえ。だから、戦後の文学界を主導するほどの力にはならなかったんだよ。
 
それでも、後年は、政党との関係を断ち切り、さまざまな文化運動や社会運動と連携をしながら活動を続けてきたねえ。
そして、平成17年(2005)に廃刊となっているよ。