オチケン風『日本文学史』近現代Ⅲ【昭和戦後】(小説・評論)〈7〉【概観】
 
さあ、それじゃあ、いよいよ、時代区分としては、最後の太平洋戦争敗戦後の文学を見てゆくことにしよう。
 
この時代は、僕が生きてきた時代でもあるので、直接、見聞きしたものが多くあるねえ。だけど、できるだけ、簡潔に話をすることにするよ。
君が覚えやすいようにするのが、いちばん大事だからね。覚えやすくするためには、複雑なものも単純化して、ポイントを押さえることが大切だねぇ。
 
昭和20年(1845)8月14日、御前会議において、日本はポツダム宣言を受諾し、無条件降伏を受け入れることを決めたねえ。
そして、翌日の8月15日正午、昭和天皇による終戦の詔勅(しょうちょく)がラジオ放送されたんだね。
一般の人は、天皇の生の声(録音)を聞くこと自体も衝撃ではあったけれど、その内容は、さらに、天動説が当たり前の時代に地動説を聞くようなものだったわけだ。
 
それもそのはずだねえ。日本の国は、天皇という現人神(あらひとがみ)を中心にした神の国であり、世界の中心になるべき存在で、他の国に負けるはずがない、と信じていたわけだからね。
終戦の詔勅は、社会にも個人にも、計り知れないショックを与えた。
 
ただ、その一方で、権力による厳しい言論統制の終りを歓迎する人も、もちろん、多くいたよ。
発禁の恐れも無くなった出版関係では、この時期、非常に多くの書籍の復刊や、創刊がなされているねえ。
それに伴って、文学関連も、活況(かっきょう)を示すことになるねえ。
 
ここで初めに、戦後の文学状況の概略を見てみよう。
まず、出てきたのは、戦前、戦中と息をひそめていた、
 
《既成作家・ベテラン作家》の人たちだ。
 
これらの人たちは、息を吹き返すように活躍を始めたねえ。
次に新しい流れを作ったのは、
 
《新戯作派・無頼派》
 
新戯作(げさく)派という名称は、江戸時代の戯作文学から取ったものだね。内容的には、無頼(ぶらい)派と同じ意味に使われるよ。
無頼というのは、法を無視した行動をすることだね。
新戯作派・無頼派は、戦後の混乱期を、これまでの倫理や道徳などといったものに反逆して、自虐的、退廃的な文学を創作したねえ。
 
同じように、敗戦後の秩序の混乱した中で、世の中には、それまでには無かったさまざまな生態風俗が出てきたねえ。
それらを描いたのが、
 
《風俗小説》これだ。
 
敗戦になったがゆえに、風俗小説のような作品も、国家権力が検閲して、発刊禁止にすることもなかったわけだ。また、弾圧されて壊滅状態であったプロレタリア文学も、新たな文学を目指して出発したねえ。それが、
 
《民主主義文学》これだ。
 
民主主義文学は、当然の成り行きとして、戦中戦前の文学者の戦争肯定に対する批判を持ち続けていたねえ。
 
ここまで述べたそれぞれの文学流派は、社会的な1つの大きな文学潮流とまではならなかったねえ。
戦後の新しい文学の本格的な潮流となったのは、
 
《第1次戦後派》これだ。さらに続いた、
 
《第2次戦後派》といわれるものだ。
 
さらにこの後には、
 
《第3の新人》といわれる作家たちが出てきたね。
 
この戦後派、第3の新人たちによって、戦後文学は本格的な復興と発展を遂げることになったねえ。
 
そして昭和30年代になると、急激な経済発展に伴う物質的繁栄の時代に入り、人々の価値観は複雑化、多様化したねえ。
それに従うように、文学の世界も作家の個性を中心にした、多種多様な作品が出てくることになるね。
 
そうすると、もはや、〇〇主義といったような単純な基準で文学を分類したり、流れを系統化することは不可能になったんだねえ。
そして、文学史として、文学の流れを法則的にとらえ、学問的な体系を考えるための対象とはなりづらくなったわけだ。
 
だから、まあ、昭和30年代に入ると、戦後文学の時代は終わったと言ってもいいだろうねえ。
そして、それ以降、現代に至るまでは、文学不毛時代と、僕には思えるよ。
 
それで、僕は《スマホ主義文学の時代》としたんだ。
 
もちろん、現代文学界を、多くの作家の多彩で、特異な文学世界が開花した時代だ、と評価する人がいてもよいけれど、それにしても、読みたくなるような作品がすくないねえ。