オチケン風『日本文学史』近現代Ⅲ【昭和初期】(小説・評論)【近代主義文学】〈4〉新心理主義派
 
新興芸術派が、短期間で流れを断絶させてしまった後を引き継ぐような形で活動を始めたのが、
 
《新心理主義派》これだ。
 
もちろん新心理主義派もヨーロッパ、特にフランスの小説家、プルーストさんやラディゲさんなどの影響を受けて出てきているんだよ。
新しい心理描写の方法を取り入れて、これまでの表現では明らかにすることができなかった、人間心理の奥底を描きあげようとするものだねえ。
 
中心的な作家は、
 
《堀辰雄(たつお)》さんこの人だ。
 
堀辰雄さんの文学上の師匠は、芥川龍之介さんなんだよ。師匠は、弟子の12歳年上だった。
 
堀辰雄さんが芥川龍之介さんを師匠と仰いでからわずか4年後、昭和2年(1927 )芥川龍之介さんは35歳で自殺したんだったねえ。
師匠の自殺は、弟子の堀辰雄さんに大変な衝撃を与えた。
その精神的なショックを超克(ちょうこく)しようとして書いた小説があるんだよ。それが、昭和5年(1930)に発表された、
 
『聖家族(せいかぞく)』これだ。
 
『聖家族』の出版にあたって、堀辰雄さんは、
「私はこの書を芥川龍之介先生の霊前にささげたい」と書かれていたようだ。
書き出しは、
 
『死があたかも1つの季節を開いたかのようだった』
 
という印象的な言葉から始まっているねえ。
内容は、主人公が師匠としていた作家の死と、それを取り巻く3人の人々の愛情の心理情景を描写したものだ。
主人公には、堀辰雄さん自身をあてはめ、師匠の作家には芥川龍之介さんを二重写しにしているねえ。
 
堀辰雄さんと芥川龍之介さんは、師匠と弟子だから、文学の立脚点は同じであるといえる。だけど、進んだ方向は全く違ったねえ。
芥川龍之介さんは、死の文学へ、堀辰雄さんは、生の文学へと進んだわけだ。
 
『聖家族』の初版本には、新感覚派の横光利一さんが序を書いているんだよ。どういう訳か、次の版からは無くなっているけどね。
短いに序文なので、全文を書き出してみるよ。
 
『聖家族は、内部が外部と同樣に、あたかも肉眼で見得られる対象であるかのごとく明瞭に、わたくし達に現実の内部を示してくれた最初の新しい作品の一つである。
してくれた最初の新しい作品の一つである。
それは譬へば、海底が典雅(てんが)な未知の世界にあふれているのと等しく、聖家族の構造も端整(たんせい)妍美(けんび)馨香(けいこう)、時にあふれるともいうべき雍容(ようよう)をもつて姿勢の妙をつくしている。
確にこれは堀氏の一時代の頂点を示す作品であつて、堅密(けんみつ)非常、暗移漸轉(ぜんてん)、綿密廻環(かいかん)、まことに得難い逸品(いっぴん)である』
 
こんなものだ。
この横光利一さんの序文には、新心理主義というのは、どういうものなのかが、簡潔に書かれているよ。古い言葉の意味は分からなくても、大まかなところは分かるよねえ。
 
登場人物の見えない内面の心理を、綿密な計算のもとに、深く、しかも美しく書き上げたんだねえ。そこには、ラディゲさんの影響が大きく働いているといわれているねえ。
この技法は、日本の文学界の心理描写の方法としては、今までにないものだったんだ。
ここに、新心理主義文学の特徴がある。
 
『聖家族』は、横光利一さんに限らず、多くの人々から高い評価を受けたねえ。
 
次の作品は、昭和11年(1936)に発表された、
 
『風立ちぬ』これだ。
 
内容は、重い結核により死ぬことを運命付けられた婚約者に付き添う《私》の物語だね。確定されている死を乗り越えて、永遠の生への幸福を確立していく感動的なものだよ。
 
だけど今は、堀辰雄さんの『風立ちぬ』よりも、宮崎駿さん監督のアニメーション『風立ちぬ』の方が、有名だねぇ。
ちょうど、先日、次のような見出しの新聞記事があったよ。
 
『風立ちぬ』受賞を逃すゴールデン・グローブ賞
 
この数日後、アメリカ映画界最大の祭典、《アカデミー賞》に、『風立ちぬ』がノミネートされた、という記事が出ていたね。
結果がどうなるのか楽しみだ。
 
僕の長女も、『風立ちぬ』の映画を見に行ったよ。感想は、
「『風の谷のナウシカ』のように、空想の世界をリアルに描いて、感動させるのと違って、現実のことを現実的に描いているので、あまり面白くなかった」ということだったよ。
 
ところで、『風の谷のナウシカ』も同じ宮崎駿さん監督の作品だけれど、製作記事を見ると、制作会社:徳間書店
製作総指揮:徳間康快(やすよし)と書いているね。
 
僕が受賞した《問題小説新人賞》は、徳間書店の出版する月刊文芸雑誌の賞だったんだよ。授賞式の時、社長の徳間康快さんから賞状をいただいたねえ。
式後の食事会で、いろいろと話をしたけれど、誠実で企業家としての能力の大きい人だと感じたよ。あまり有名でなかった宮崎駿さんを『風の谷のナウシカ』で、一躍、人気アニメーション作家にしたのも徳間さんなんだよ。
 
堀辰雄さんのその他の作品としては、
 
『かげろふの日記』(古典文学の新しい発見)
 
『菜穂子(なおこ)』(愛情の無い結婚と幼馴染の青年)
 
『大和路・信濃路』
 
などが挙げられるねえ。

僕が初めて、堀辰雄さんの作品を読んだのは、教科書に載っていた『浄瑠璃寺の春』(『大和路・信濃路』所収)なんだよ。
この作品を読んだとき、僕は、かなりショックを受けたねえ。洗練された清新さ、近代的で高貴な感性など、僕には無いものが、プンプンと匂っていた。その感覚にあこがれたよ。
 
その後、大学進学のために大阪に出てきてから、すぐに、浄瑠璃寺を訪れたよ。
 
堀辰雄さんの新鮮な文学は、多くの人々に感動を与えたねえ。今もなお、アニメーションの題名にも使われるくらいなんだからねえ。
また、フランス文学の手法を取り入れた、的確な心理描写の方法は、川端康成さんや横光利一さんにも影響を与えたんだよ。
 
ただ、残念なことは早死であったことだねえ。
師匠の芥川龍之介さんは、まだ生き続けることのできる肉体を持ちながら、35歳で自殺をしてしまった。
弟子の堀辰雄さんは、まだ生き続けたいと強く思っていたにもかかわらず、結核によって48歳で亡くなったねえ。
なにか、人生の不条理を感じるねえ。
 
葬式の時、葬儀委員長を務めたのは、川端康成さんだったよ。
 
次に、堀辰雄さん以外の新心理主義の文学者としては、
 
《伊藤整(いとうひとし)》さん。この人があげられるねえ。
 
伊藤整さんは、新心理主義を早くから提唱し、評論集『新心理主義文学』を発表して、新心理主義の理論的な構築をなした人だねえ。
さらに、理論を実験証明するための小説も書いているよ。
 
さてと、ここで新心理主義についての話を終えるけれど、新心理主義派も、新興芸術派と同じように、文学流派としては、社会的に大きな流れとなることはなかったねえ。
だけど、日本の近代文学の新たな手法を、フランス文学から移入した功績は大きいと言えるねえ。
 
それじゃあ、これで、近代主義文学・モダニズム文学の3つの流派、新感覚派、新興芸術派、新心理主義派についての説明を終えるよ。ところで、プロレタリア文学と近代主義文学が文学界の主流を競い合っていた時期にも、それらと距離を置いて、創作活動をしていた作家もいるよ。
 
大衆作家として、文学論争には関わらなかった作家として、吉川英二(えいじ)さんがいるねえ。吉川英二さんは、その後、長く活躍されて、膨大な量の作品を残しているね。今でもフアンは多いよ。
また、直木賞として名前が顕彰されている、直木三十五(さんじゅうご)さんも、この時期に活躍した人だ。
女性作家もいるよ。その人は、
 
《佐多稲子(さたいねこ)》さん。この人だ。作品は、
 
『キャラメル工場から』これだ。昭和3年(1928)発表だ。
 
『キャラメル工場から』は、佐多稲子さんが小学校もまともに行けずに、過酷なキャラメル工場で働かされた体験を書いたものだよ。
内容的に、労働者と資本家という階級闘争を意識したものではないけれど、プロレタリア文学の中に入れられているねえ。
 
《林芙美子(ふみこ)》さんは、同年に、
 
『放浪記(ほうろうき)』を発表しているねえ。
 
『放浪記』は林芙美子さん自身の体験をもとに書いた小説だ。
プロレタリア文学にも近代主義文学にも属さないよ。
何度も映画化やテレビドラマ化がなされたねえ。なによりも、最近亡くなられたは森光子さん主演の演劇は、2017回も行われたということだったねえ。
 
評論の分野では、非常に優れた人が出てきたねえ。それは、
 
《小林秀雄(ひでお)》さん。この人だ。作品に、
 
『様々なる意匠(いしょう)』これだ。さらに、
 
『私(わたくし)小説論』これだ。
 
小林秀雄さんは『様々なる意匠』で、プロレタリア文学を批判し、『私小説論』では、文学の社会性と芸術性の融合を論じているねえ。
「評論を近代文学のひとつのジャンルとして確立した」と言われるほど評価の高い評論家だよ。
 
昨年のセンター試験の評論の問題が、小林秀雄さんの作品であったのは記憶に新しいね。まあ、よく入試問題には登場してくる評論家だよ。
 
さあ、これで【近代主義文学】の項目を終えるとしよう。