AⅠ上代(大和・奈良時代)(1)【口承文学と記載文学】

やれやれ、毎日、何か、疲れるね。
 
ところで、日本列島に人類が、ごそごそと生活し始めたのは、はるか昔だよね。
そのころは動物と同じように人間も、アー、ウーとか、ほえ声に似たような声を出していたんだろうね。
 
その後の長い進化の中で、人間と動物の違いが大きく出てきたのは、人間のほえ声が、言葉に発展していったことだね。
動物はどれだけ年月がたとうが、吠え声のままで、言葉にはならなかった。
確かに他の動物が言葉を持ったら大変だよね。
朝早くから、屋根の上で年取ったカラスが、他の屋根の上に止まったカラスに対して、なんだかんだと、大声でしゃべられたのでは、うるさくてかなわないよ。
 
犬を散歩に連れて行って、他の犬と出会い、犬がワンワンではなく、言葉でののしり合い出したら、たまったものではないね。
犬のけんかから飼い主のけんかになりそうだよ。ひょっとしたら、犬が飼い主のけんかを止めるかもしれない。
そうすると、街中、森中、言葉が飛び交って、うるさくて仕方がないだろう。
そんな事態ならなくてよかったよ。
 
ほえ声から言葉に発展できたのは人間だけだった。

そのころの言葉が、どんなものだったかは、だれも知らないよね。
当然だけど、録音されているわけでもないから、だれも聞いた者もいない。
それなのに、あたかも、そのころ生きていたかのごとく、解説をする人がいるけれど、空想しているにすぎないよね。
 
ただ、言葉がだんだんと発展していって、さまざまな事柄を表現することができるようになったのは確かだね。
そして、人間の頭の記憶する部分も、他の動物以上に急激に発達したねえ。
 
言葉を身につければ、それを記憶して、他の人へ伝えることができるよね。
こうして、人間は年月を越えて、後世の人間へ知的財産を伝えることができるようになったわけだね。
このように口から耳へ、耳から口へ、人々の間に引き継ぎ、伝えられたものの中には、文学的要素を持ったものも出てきたんだ。
 
母親が子供を寝付かせるために、歌を歌ったり、お話しをしてやったりする。
それを聞いて育った子供がまた、さまざまに内容を付け加えたり、変化させたりしながら、自分の子供に話して聞かせる。子供は感動しながら眠ってゆく。
これは、内容的には、すばらしい文学だよ。

ただ、まだ、このころの日本人は文字を持っていなかったので、書き残しようがないよね。
だから、口から耳へと受け継がれるだけだった。これを、

《口承文学(こうしょうぶんがく)》と言うんだよ。
 
この口承文学の時代は気が遠くなるほど長い。もちろん、いつから始まったなどと言えるわけのものでもないよね。
それは、いつから日本人が言葉を使い出したか、ということと同じだよね。たいへん、徐々に徐々に言葉を使い出したわけだから、年代など分かる訳がないねえ。
 
やがて、長い口承文学の時代を過ぎて、日本人は、文字を使えるようになったんだ。
それで、それまでに長い間、聞き伝えられてきた口承文学を、文字で記録したわけだね。
まあ、今でいえば、テープ起こしのようなものかな。
こうして文字で書かれたものが、
 
《記載文学(きさいぶんがく)》といわれるんだ。
 
文字を使うようになって、今はまだ1500年くらいしかたっていないよ。わずかの期間だね。
口承文学の時代はそれよりもはるかに長いよね。
だから、今の記載文学の時代が、氷山の一角とすれば、海底に沈んでいる膨大な部分は口承文学の時代だね。
日本文学の原点、故郷といえば、この口承文学にあるわけだ。
 
口承文学と記載文学の大きな違いは、だれでも分かると思うけれど、文字で書かれることによって、内容が固定化したことだね。
 
口承文学では、記憶が間違ったり、付け足したり、減らしたりして、内容は少しずつ変わっていくよね。
記載文学となって、初めて、変化せずに、後世に受け継がれるようになったわけだね。
 
まあ、なんというか、文字ちゅうもんは、偉いもんですなぁ、実に。
 
やれやれ、次は、その内容は、どんなものだったのか、について見てみようか。
 
それにしても今日は、暖かいねぇ。
我が家の小さな鉢植えの桜が咲いたよ。
 
年末年始の辺り、君の進路の桜が咲くといいねぇ。