AⅡ中古(平安時代)(8)【最後の100年a】『和歌』

この時期からは、政治的に激変の時代に入ってゆくことになるね。
いよいよ、平安時代も終わりに近づくということになる。ほぼ、平穏に、400年近く続いた、天皇中心にした朝廷の権力基盤が崩れてゆくことになるねえ。
それに取って代わって武士が実質的な政権を握ることになるよね。
 
朝廷内で、天皇と上皇が分裂し衝突した《保元(ほうげん)の乱》、また、平清盛さんが力を持つきっかけとなった《平治の乱》などと、皇室とそれを取り巻くさまざまな勢力が入り乱れて、それぞれの利害でぶつかり合うという内戦状態のような政治状況になってしまったねえ。
そして、平清盛さんが権力を掌握して、太政大臣になった。

だけど、また、《治承・寿永の内乱》、いわゆる、源平の戦いが始まってしまう。
結局、平清盛さんが亡き後、源氏は平氏を朝廷から追い出し、さらに、西へと逃げて行く平氏を追いかけて追討の戦を続けたね。
最後は、関門海峡の壇の浦で、源氏に追い詰められた平氏は、幼い安徳天皇を抱いて、清盛さんの正室であった二位尼が、船から海中へと入水して、平氏滅亡し、源平合戦は幕を閉じたよね。
 
その後も、今度は、源頼朝さんと弟である義経さんとが、骨肉の権力闘争をすることになったね。
そして、義経さんを滅ぼした頼朝さんは、征夷大将軍となって鎌倉幕府を設立した。
ここで、平安時代は終りを告げることになったねえ。
 
このように平安時代の終りの時期は、戦乱に明け暮れた世の中だったといえるね。
世の中の社会状況や政治状況は、そのまま、文学状況にも影響するものなんだ。作品を創作している作者が、その時代の中で生きているわけだから、当然といえば当然だけれどね。

これは現代でも同じだよ。どんなに、現在の時代状況から全く関係のないような文学世界を構築したような小説があったとしても、必ず、作者の生きている時代をさまざまな次元で反映するものなんだよね。
 
それで、平安時代の終りの文学状況というのは、
 
「この戦乱の、殺すか殺されるかの時に、何が文学だい。文学が何の役に立つというんだい。世の中を動かすのは、力だよ、武力だよ。文学なんかは、吹けば飛ぶチリのようなものだ」

「夢物語のような作り物語を読む暇などあるわけないだろう。現実から離れたロマンスなんか、もの笑いのタネでしかないよ」
 
というくらいの状態なんだよね。
だから、もう、源氏物語の模倣作品さえも出てこなくなるよ。長い作り話なんか読む状況ではないんだよね。
それで、物語や日記文学というものに変わって、勅撰和歌集が多くでてきた。そして時代が乱れ苦しい状態であるだけに、それを慰めるかのように歴史物語が書かれているねえ。
 
この時期の文学作品は、細かく年代順に覚える必要もないので、ジャンル別にまとめておくよ。ただ、ジャンルごとには年代順に出しておくので、頭に入れておいてね。
 
まずは勅撰和歌集だ。
 
前回の勅撰和歌集は、白河天皇の勅命により藤原道俊(みちとし)さんが撰者を務めた『後拾遺和歌集』だったよね。それから、40年ほどたってから、5つ目の勅撰和歌集、

『金葉(きんよう)和歌集』が出できたね。

命令を下したのは同じく白河さんなんだけれど、この時には白河法皇になっていたよ。そして撰者は、
 
《源俊頼(としより)》さん。この人だ。
 
題名の金葉集の《金》は、すぐれているという意味だ。《葉》は、紀貫之さんの古今集仮名序に「よろづのことのは」とあったように、言葉という意味だ。だから「優れた歌の集」というくらいの意味だね。
 
この金葉集は、これまでに出てきた、古今集、後撰集、拾遺集、後拾遺集とは大きく違った内容になっているよ。この4つの歌集は、大きな目から見れば、古今集とその仲間、という一つのグループとしてまとめられる歌風になっているね。
ところが金葉集は、非常に革新的な内容のものになっているよ。一番大きな特徴は、ほとんどの歌が、当時、和歌の革新を進めていた新しい歌人のものが選ばれているということだね。
 
その中から、百人一首にも入っている有名な歌を一つ挙げておくよ。
 
『夕されば 門田(かどた)の稲葉(いなば)おとずれて
葦(あし)のまろやに 秋風ぞ吹く』 
  (源経信・つねのぶ)
 
「夕方になると、家の門の前に広がっている田んぼの稲穂が揺れて、ザッザッと音がする。屋根を芦で作った、この質素な別荘に秋風が吹き、昼間の暑さを忘れさせるような快い涼しさだ」
 
というくらいの意味だ。新鮮な写実感がよく出ている、素晴らしい歌だね。
作者の経信さんは、撰者の俊頼さんのお父さんだ。金葉集には、この父と息子の歌が多く載っているね。親子で、和歌の革新をなそうとしていたんだね。

金葉集が出てきた後、次の勅撰和歌集が出てくるまでに17年ほどたったね。6番目に出てきた歌集は、

 『詩花(しか)和歌集』これだ。崇徳(すとく)上皇の命令で、選者は、
 
《藤原顕輔(あきすけ)》さん。この人だ。
 
和歌の流れからいくと、詞花集は、改革的な金葉集の流れをさらに、進めたのではないかと思われるけれども、そうでもなかったね。

掲載されている歌人には、金葉集の撰者である源俊頼(としより)さんの歌も多くあって、革新的なところもある。ただ、もう一方で、ずいぶん昔の、和泉式部日記の作者、和泉式部さんの歌も俊頼さんよりもたくさん載っているよ。
ということは、詞花集の撰者、藤原顕輔さんは、古い叙情的な歌と新しい叙景的な歌を調和させた歌集を作ろうとしたことが分かるね。
 
詞花集の中でよく知られている歌には、院宣を下した崇徳上皇自身の歌があるね。
 
『瀬(せ)を早(はや)み 岩にせかるる 
滝川の われても末に あはむとぞ思ふ』
 
「今は、川の流れが速いので、途中の大きな岩に遮られて2つに分かれて流れたとしても、少し下流ではまた一緒になって流れるように、今は、あなたと一時的にお別れしてしまいますが、後のちには、必ずまた、お会いしたいと思います」
 
というくらいの意味だね。
この歌は、古典落語の『崇徳院』が上演されてから、広く多くの人々に知られるようになったね。実に面白い落語だよ。長いけれども全く退屈をさせない、聴く人を引き付ける力のある落語だね。
君も、気分転換に、聞いてごらん。落語の中で、崇徳院のこの歌がどのように、話の筋の中で扱われているのか、面白いよ。

それじゃ、次に、第7番目の平安時代最後の勅撰和歌集を見てみよう。

『千載(せんざい)和歌集』これだ。後白河法皇の院宣、命令で、撰者は、
 
《藤原俊成(しゅんぜい)》さん。この人だ。
 
俊成をトシナリと読んだって構わない。当時、録音機があって実際にどのように名前を呼んだのか、録音したものは誰もいないのだから。
 
千載集は、平安時代の勅撰和歌集の最後を飾るにせわしい大作だね。千載集は、《千載》というように、長い過去の年月の歌も収録し、また、当代の歌人の歌も多く載せて、未来へも長く残る歌集を目指した訳だね。

題名にふさわしく、約1300首の歌が載せられているよ。
撰者の藤原俊成さんは、これは有名な実力派歌人だ。名前はしっかり覚えておこう。

俊成さんは、千載集を編さんするにあたり、新しい文学理念をうち立てたねえ。それが、
《幽玄》という理念だ。

千載集は、古今集の伝統的な歌風と、金葉集の革新的な歌風、さらにそれを調和させようとした詞花集の流れを、独自の文学理念「幽玄」で深く融合させ、哀感と寂寥(せきりょう)感(ひっそりとしてものさびしい様)を表現することに成功しているよ。
それで、歌体としては、
《幽玄体》を主張したわけだ。
 
一首だけ紹介しておくよ。撰者自身の藤原俊成さんの歌だ。
 
『夕されば 野辺の秋風 身にしみて
鶉(うずら)なくなり 深草の里』
 
まさに哀感と寂寥感だね。ウズラの声というのは、ニワトリと違って、濁って自然の中に沈み込むような鳴き声なんだ。
これが千載和歌集の歌風の特徴だよ。
 
ところで、崇徳上皇から千載集編さんの命令が下された時は、平家が京の都から落ちてゆく、わずか5カ月ほど前だ。平家の滅亡へと急速に進んでいく社会状況にあったわけだね。平家の滅亡は、そのまま貴族社会の没落を意味しているよ。
だから、先にも言ったように、このような社会、政治状況の激変が千載集の中に、色濃く出てきていることは間違いないねえ。
 
さあこれで、平安時代の勅撰和歌集は終了だ。ここで、勅撰和歌集について、頭の中を整理整頓しておこう。
 
1.古今集
2.後撰集
3.拾遺集
4.後拾遺集
5.金葉集
6.詞花集
7.千載集
8.新古今集(鎌倉時代)
 
はじめの3つを《三代集》と言ったね。次に、最後の新古今集は、成立は鎌倉時代だけれど、これを含めて《八代集》というんだよ。
しっかりと覚えておこう。

和歌の最後に、もう1人偉大な歌人を紹介しておくよ。それは、

『西行法師』この人だ。

西行さんは、平安末期から鎌倉時代にかけて活躍した歌人だ。
西行さんの歌は千載集にも20首近く載っているけれど、家集として、有名なのは、

『山家(さんか)集』これだ。

そうそう、勅撰和歌集に対して、個人の歌を集めて作った歌集のことを家集というんだ。
 
西行さんといえば、蓑笠(みのかさ)をつけて、つえをつき、山を旅する姿がよく描かれたりしているね。確かに、西行さんは、東北地方、和歌山、四国、九州にまでも行脚(あんぎゃ)の旅を続けているよ。
そして、この汚れた俗世間を離れて、自然の中に我が身を置いて悟りを開こうとするなかで、山家集を創作していったんだね。

山家集は、歌数が非常に多いけれど、その中で、超有名な二首だけ書いておくよ。
 
『寂しさに 堪へたる人の またもあれな 
庵(いおり)並べむ 冬の山里』
 
「寂しさを堪え忍んでいる人が、私以外にも居てほしいものだ。そんな方がおられたら、庵を並べて、この冬の山里で一緒に過ごすものを」
 
『心なき 身にも哀れは 知られけり
鴫(しぎ)立つ沢の 秋の夕暮』
 
「出家して僧侶となり、仏道修行し、悟りを開くためには、世間の物事に心を動かされてはいけない。そんな私にも、あまりにも趣が深く、しみじみとした哀れさが身にしみて感じられることだ。渡り鳥のシギが、飛び去った後の、秋の夕暮れの谷川には」
 
まさに、絶品の歌としか言いようがないねえ。幽玄、哀感、寂寥感など、見事に文学世界として表出しているね。

後世、西行さんは、上代の万葉集第2期で活躍した歌人、柿本人麿さん、近世江戸時代に俳人として活躍した松尾芭蕉さん、とともに、日本の三大詩人とも言われるようになった歌人なんだ。
 
さあ、これで和歌関係は終了だ。次は、歴史物語にゆこう。