オチケン風『日本文学史』近現代Ⅱ【明治・大正】(詩)〈6〉【文語自由詩】

先日(9月3日)、詩人の田中健太郎さんから、丈夫な封筒が送られてきてねえ。開けてみると、1冊の詩集が出できたよ。題名は、『犬釘(いぬくぎ)』と書いてあるんだ。
カバーも帯(表紙に巻きつけた帯状の紙)も付いた、感じの良い装丁(そうてい)だ。

健太郎さんとは、もう、何十年もお付き合いをさせてもらっているよ。これまでに、3冊の詩集を出版しているねえ。
だから今回で第4詩集ということになるね。
その都度、詩集をいただいているけれど、やはり、今回のものが、最も表現世界が深化されているような気がするねえ。

『犬釘』の中から1編だけ紹介しておくよ。最初に書かれている詩で、題名の由来にもなっているものだねぇ。

『犬釘』(終りの部分)
     田中健太郎

『もう汽車は来ません
道の形の長い空虚と
誰もいないプラットホーム
いかなる問いも発せられないまま
終わってしまった交通

誰も顧みない線路は
長い時を経て
獣道に変わるのか
地中に規則正しく埋められた犬たちが
ある日一斉(いっせい)に吼(ほ)え始めたと言う』

犬釘というのは、レールを枕木に固定するために打ち込んでいた大きなクギのことだ。クギの頭が犬の頭に似ていたところからついた名前だよ。

この詩は、豊かな発想に叙情性も備なわっていて、素晴らしいねえ。
田中健太郎さんや、そのほか、何人かの詩人の方と、長い付き合いをさせてもらっているけれど、そのなかで、しみじみと感じることがあるねえ。

それは、詩人というのは、少年の心、少女の心を一生涯、持ち続ける人に違いない、ということだよ。ほんとうに、詩人の人と話をしていると、こちらが感化されて、僕自身が少年に返ってような感動を覚えるねえ。

だから、浪漫詩人の島崎藤村さんが、自然主義作家に転向したのは、経済的な理由や自己表現にふさわしい形式を選んだ、ということはあるにしても、なによりも、島崎藤村さん自身が、この時期に少年の心を失ったということを意味しているねえ。
 
さて、田中健太郎さんの詩は、紛れもなく、現代詩だね。
現代詩というのは、見ればわかるように、口語自由詩だよね。

厳(おごそ)かな雰囲気のする文語を使っているわけでもないねえ。5音や7音の文字数を使った五七調や七五調でもないよねぇ。また、文字数や行数を各連によってそろえたりして、形を整えているわけでもないねえ。
詩を表現形式上の制約から、解放させているよね。

日常語で、自由に、散文のように書かれている。これが口語自由詩であり、現代詩の基本になっているものだね。
このような詩が、出てきたのは、明治の終わりから大正にかけてのことなんだよ。

そして、口語自由詩が出てくる背景には、自然主義文学の圧倒的な流れの影響があったんだよ。
小説の分野で、ありのままの人間を、倫理的制約もなく暴露しようとした自然主義は、詩の分野においても、形式や表現の制約をいっさい排して、自由に書いていこうという流れを作っていったんだねえ。

この口語自由詩の先陣(せんじん)を切ったのが、

《川路柳虹(かわじりゅうこう)》さん。この人だ。

詩集は、明治40年(1907 )に『塵溜(はきだめ)』というのを出したねえ。入試には出ないけれど、詩集の題名ともなった詩の1部を紹介しておくよ。

『塵溜』
   川路柳虹

『隣の家の穀倉(こめぐら)の裏手に
臭い塵溜が蒸されたにおひ、
塵溜のうちにはこもる
いろいろの芥(ごみ)の臭み、
梅雨晴れの夕をながれ漂つて
空はかっかっと爛(ただ)れてる。
  (中略)
そこにも絶えぬ苦しみの世界があつて
呻(うめ)くもの死するもの、秒刻(きざみ)に
かぎりも知れぬ生命の苦悶を現じ、
闘つてゆく悲哀がさもあるらしく、
をりをりは悪臭にまじる蟲螻(むしけら)が
種々のをたけび、泣声もきかれる。』

この詩は面白いねえ。ゴミを山のように溜(た)めているゴミ捨て場の情景だね。中には生ごみなどもたくさんあるんだ。そこに、蛆虫(うじむし)もいっぱい湧(わ)いている。
その蛆虫が、なにか競争でもするように、必死になって動き回っているんだねえ。

僕は、こういう情景をよく田舎で見かけたよ。
《闘つてゆく悲哀がさもあるらしく》なんて、つい、微笑んでしまうねえ。
この詩は、作者が20歳のごろの作品だから、若々しい情熱と感性がうかがえるよね。

『塵溜』は、口語自由詩として、内容、形式ともに衝撃的なものではあったけれど、詩壇(しだん)の大きな流れとはならなかったんだよ。
ただ、自由詩という形式は、その後の本流となっていったねえ。だから、しばらくの間は、文語自由詩が詩壇の中心になったんだよ。

文語自由詩で、この頃にたいへん活躍した人は、

《北原白秋(はくしゅう)》さん。この人だ。代表的な詩集は、

『邪宗門(じゃしゅうもん)』これだ。

『邪宗門』は、明治42年(1909)に発刊されているね。どの参考書でも、よく引用されている詩は、『邪宗門』の冒頭にある詩だねぇ。始めの部分だけ、書き出しておくよ。

『邪宗門秘曲』
       北原白秋

『われは思ふ、末世(まっせ)の邪宗、
切支丹(きりしたん)でうすの魔法。
黒船の加比丹(かびたん)を、紅毛(こうもう)の不可思議国を、
色赤きびいどろを、匂(におい)鋭(と)きあんじやべいいる、
南蛮の桟留縞(さんとめじま)を、
はた、阿刺吉(あらき)、珍酡(ちんだ)の酒を。』

これは、強烈な特徴のある詩だねぇ。
1つ1つの言葉の意味は分からなくてもいいけれど、概略だけ書いておくよ。
《末世》世の中の終わりの時代
《加比丹》船長
《紅毛》オランダ
《びいどろ》ガラス
《あんじやべいいる》カーネーション
《桟留縞・阿刺吉・珍酡》外国の珍しい布・酒・ワイン
この程度の意味だよ。

異国情緒にあふれた、刺激と空想を、外国製の品物の名前によって強烈に表現しているねえ。詩全体に、見事に異国の情感を醸(かも)し出しているねえ。
読む人には、幻想的で耽美的な世界が、少々、病的な雰囲気を伴って心に広がってくるね。

『邪宗門』は、北原白秋さんの詩の独自性を確立した詩集となったんだよ。
北原白秋さんは、『邪宗門秘曲』を読んだだけでも分かるように、非常に、個性の強い作品で、人々の心を捕まえて、詩人として中心的な人物になったよ。

その後、明治44年(1911)に、詩集、

『思い出』を出版したねえ。

『思い出』は、少年時代の故郷での思い出を叙情的に表現したものだ。『思い出』も非常に人気を博して、北原白秋さんを人気詩人にさせたねえ。

ここでは、北原白秋さんを詩人の面から見たけれど、それ以外に、短歌、童謡、民謡、作詞などの幅広い面で、大変に活躍した人だねぇ。
『ペチカ』『砂山』『待ちぼうけ』『ちゃっきり節』など、あげると切りがないほどあるよ。
また、大変多くの学校の校歌の作詞もされているねえ。
人気詩人は大活躍をしたわけだねえ。

北原白秋さんと仲が良かった詩人に、

《木下杢太郎(もくたろう)》さんがいるねえ。

北原白秋さんも木下杢太郎さんも、耽美的な詩風だけれど、木下杢太郎さんの方が少々理知的だねぇ。
大正8年(1919)に発刊された詩集が、

『食後の唄(うた)』これだ。

『食後の唄』は、読んで、北原白秋さんのように衝撃を受けるようなものではないけれど、感覚的な表現が、知的に綴(つづ)られているよ。
おとなしい雰囲気の所為(せい)か、北原白秋さんほど人気は出なかったねえ。

北原白秋さんの詩風とは逆に、沈着冷静な詩で、人気があったのは、

《三木露風(みきろふう)》さん。この人だ。

北原白秋さんと三木露風さんは、対照的な詩風の2人として、当時、最も活躍していた詩人といっていいだろうねえ。だから、《白露時代》というような呼び方もあるくらいだ。
代表的な詩集は、明治42年(1909)に出版された、

『廃園』これだ。さらに、大正2年(1913)に出版された、

『白き手の猟人(かりうど)』これだねぇ。

『廃園』も『白き手の猟人』も、華やかで刺激的な北原白秋さんの詩風に好みが合わない人に、好感を持って受け入れられたねえ。

代表的な詩を紹介しようと思ったけれど、三木露風さんが亡くなったのは、昭和39年(1964)で、まだ、著作権保護期間中だねえ。来年になれば、50年を過ぎるので、いくらでも書き写すことができるけど。

『廃園』は、少し沈んだような雰囲気の中に、叙情味あふれる世界を表現しているねえ。『廃園』によって、三木露風さんは、詩人としての人気を定着させたといえるよ。
『白き手の猟人』になると、叙情詩から象徴詩へと詩風が変わってきているね。三木露風さん独自の冷静で暗示に満ちた詩の世界が確立されているよ。

三木露風さんも北原白秋さんと同じように、詩以外のジャンルでも大いに活躍したねえ。
誰でも知っている、童謡『赤とんぼ』は、三木露風さんの作詞だ。

出身地が兵庫県たつの市で、地元の人々の誇りになっているよ。たつの市には、生家跡もあるし、市のいたる所に赤とんぼのデザインマークがあったりするよ。

それではここで、翻訳詩集を1つ、覚えておこう。
訳者は、耽美派作家として活躍した、

《永井荷風(ながいかふう)》さん。この人だ。詩集は、

『珊瑚(さんご)集』これだ。

『珊瑚集』は、大正2年(1913)に刊行されているねえ。
永井荷風さんは、アメリカやフランスに留学をして、海外文学に、新しい日本の文学の行く末を見いだしたんだ。
特に、フランスの詩に対しては、心酔(しんすい)していたよ。

『珊瑚集』も、フランスの詩人であるボードレールやヴェルレーヌの作品が多く訳されているよ。

表現的には、まだ、口語自由詩の流れではなく、文語自由詩だねぇ。
それでも、多くの人々に、特に詩人には大変な影響を与えた詩集だよ。
上田敏さんの象徴翻訳詩集『海潮音』と並び称される詩集になっているねえ。