オチケン風『日本文学史』近現代Ⅱ【明治】(詩)〈5〉【象徴詩】

ここで、日本の詩の近代化において、また、一大事が起きることになるよ。
新体詩は、古い日本の詩歌の形式、外形に大変革をもたらすことになったねえ。

今度は、外形ではなくして、詩の表現方法、技法に一大革命をもたらすことが出てきたんだよ。
それをなした代表的な詩人が、

《上田敏(びん)》さん。この人だ。作品は、

『海潮音(かいちょうおん)』これだ。

『海潮音』は、明治38年(1905)に発刊された、翻訳詩集だよ。
どんな詩人が中心に翻訳されているかというと、ヴェルレーヌ、ボードレール、マラルメ、といったような人たちだねぇ。
これらの詩人は、いずれも、フランスの象徴派を代表する人たちなんだ。

上田敏さんは、『海潮音』を発表することによって、日本で初めてとなる、新たな詩の技法を紹介したかったんだねえ。その技法とは、

《象徴詩》これだ。

象徴詩とは一体どのようなものなのか。
上田敏さんは、象徴詩の特徴について、序で次のように書いているねえ。

『海潮音 序』
   上田敏 
『象徴の用は、これが助けを借りて、詩人の観想に類似したる一の心状を読者に与へるにありて、必らずしも同一の概念を伝えん、とつとめるにあらず。
されば、静かに象徴詩を味う者は、自己の感興(かんきょう)に応じて、詩人も、いまだ説き及ぼさざる言語道断の妙趣を翫賞(がんしょう)し得べし。
ゆえに、一篇の詩に対する解釈は人それぞれ、あるいは見(けん)を異にすべく、要は、ただ、類似の心状を喚起(かんき)するにありとす』

このように、象徴詩の働きを説明しているよ。翫賞というのは、心行くまで良さを味わう、というくらいの意味だね。
おおよその内容は、理解できると思うけれど、わかりやすい例を挙げて、簡単に説明しておくよ。

鳩の例を挙げて考えてみよう。鳩は、平和の象徴だといわれるよね。
この時までの詩は、鳩の姿を描くのに、鳩そのものの様子やそれから感じられるものを表現することを目的にしていたねえ。

全体的に上品な外形、首をヒョコヒョコ動かせながら歩く姿、小作りな顔に円(つぶら)な瞳、そして、これらの様子から感じられる、優しいとか可愛(かわい)いとか、心が慰められる、とか言った感情を詩文を通して読者は想像し、感じ取ることができたわけだね。

それでは、象徴詩はどうなのか。
それまでの詩と同じように鳩の姿は描くけれど、鳩そのものを描くのが目的ではないんだねぇ。鳩の姿を通して、鳩に象徴されている平和という概念を描くのが目的なんだよ。

例えば、鳩が、戦争で廃虚と化した街の空を飛んでいる姿が書かれているとする。そうすると、読者は、その鳩の中に、戦争と対比される平和という概念を見いだすだろう。
鳩そのものではなく、それに込められた詩人の概念が、読者の心に広がってくるわけだね。

そして、読者が描く概念は、詩人の概念と一致するとは限らないよね。鳩を見て、感じる平和の内容は、人それぞれの人生経験によっても大きく変わるよね。

そのことを上田敏さんは、
《詩人も、いまだ説き及ぼさざる言語道断の妙趣を翫賞し得べし》
と表現したわけだね。

象徴詩を読む読者は、自らが詩人となって、作者さえも気がつかなかったような詩の世界を創造し、楽しむことにもなるんだねえ。
象徴詩というのは、水槽の中の、象徴された言葉という水を通して、見えてくる世界が、見る人の心を反映するようになっているんだねぇ。

この技法は、当時の人々に大きな衝撃となったねえ。未(いま)だかつてない、言葉の働きを知って、驚愕(きょうがく)したわけだ。

このような象徴主義は、1800年代、フランスを中心に起こった文学主義なんだよ。それを上田敏さんがいち早く、日本に紹介したわけだ。
しかも、『海潮音』は、名訳中の名訳と言えるくらい素晴らしいものだねえ。
この功績はたいへん大きいといえるね。

それじゃ、『海潮音』の中から、教科書にもよく掲載される代表的な詩を引用しておくよ。

『落葉』        
  ヴェルレーヌ(上田敏訳)
『秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。

鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。

げにわれは
うらぶれて
こゝかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな』

ヴィオロンというのは、バイオリンのことだね。
うら悲しい秋の日に散る落葉に、落ちぶれて苦悩に沈む自らの人生を象徴させたわけだねえ。

この詩には、何が悲しいのか、どのように落ちぶれたのか、具体的なことは全く書いていないねえ。
だから、君がこの詩を読めば、無常に飛び散る落葉に、自分自身の人生を重ねて鑑賞することができるんだねえ。

上田敏さんは、『海潮音』を出した後も、次々と優れた訳詩を発表して、詩壇に大きな影響与えたよ。
 
それでは、次の象徴派詩人に進んでいこう。

上田敏さんが、象徴派の外国詩を翻訳して、業績を積んだのに対して、自らの創作詩で、象徴詩の発展に尽力(じんりょく)した詩人がいるよ。その人の名前は、

《蒲原有明(かんばらありあけ)》さん。この人だ。

蒲原有明さんは、初めは、『明星』などに、浪漫的な新体詩を発表していたねえ。
そのうち、フランス象徴派の詩人、特に、ヴェルレーヌやボードレールに接することによって、独自の象徴詩を創作するようになったんだよ。
代表詩集は、明治38年(1905)に発刊された、

『春鳥集(しゅんちょうしゅう)』これだ。

『春鳥集』には、創作詩34編とヴェルレーヌの3編の訳詩が収録されているねえ。
『春鳥集』の中の作品から、1つの詩だけ紹介しておくよ。この詩は、ほとんど取り上げられることのない詩だけれど、蒲原有明さんの詩を理解するうえでは、大変わかりやすいので引用しておくよ。

『今宵のあるじ』
    蒲原有明

『名器〈今宵のあるじ〉、友の家に
珍蔵(ちんぞう)する古銅の花びんなり

古代なる花がめ、
花のつゆしづきて、
みどりなる古銅の
さびや、いと、うるはし。

たとふれば静寂(しじま)の
谷のおく、垂(た)れてぞ
さきぬべき夕月、
その青き一瓣(ひとよ)か。

こだいなる花がめ、
花にこそ四季あれ、
人にこそさかりの
栄(はえ)、くらきおとろへ。

人の世は、ああ、これ
『宿命』の花がめ、
ここにしてしをるる
にほひ、日にまた夜に。

よろこびの、愁(うれ)ひの
雫(しずく)したたり添ひ、
そのおもに残せる
痕(あと)をだに、見よ、いざ。

いと古き花がめ、
花の魂(たま)やどりて
誰を招(まね)く『今宵の
あるじ』―ああ、まらうど。』

この詩は、蒲原有明さん自身が、「古い銅の花びんを見て作った詩」と説明しているので、分かりやすいねえ。
この詩を読めば、象徴詩の特徴や日本の本格的な近代詩の出発がどのようなものだったのか、理解できて面白いね。

全体的に、当時としては平易な言葉で書かれている詩だけれど、特に、分かりづらいところはあるかな?
「みどりなる古銅のさび」というのは、古い銅に出くる、緑色のさびのことだね。緑青(ろくしょう)というものだね。緑色の絵の具に使われたりしたこともあったけれど、有毒な物質だねぇ。

第2連は、古い銅の花びんの姿は、まるで、静寂な谷の奥の方に、夕方、傾いて出ている月が下りてきて、青く光っている、ひとつの花びらのようなものだ、と表現しているんだねぇ。

特に、正確な解釈とはどんなものか、なんて考える必要もないよ。君がこの詩を読んで、言葉の連なりの中から引き出してきたイメージを、大切にすればいいんだ。

それにしても、古い花びんとお客である人間を対比させ、人間を「宿命の花びん」と表現するところなどは、実に面白いねえ。

古い1つの花びんを見て、これほどの観念を象徴させて表現するというのは、伝統的な日本の詩歌では、考えも及ばなかったことだったわけだねえ。
この新鮮さは、当時の人々に、大変な賛意(さんい)をもって受け入れることになったねえ。

その後、明治41年(1908 )には、さらに、蒲原有明さんの詩の世界を深化させる作品が出てきたね。それが、

『有明(ありあけ)集』これだ。

『有明集』が出版されることによって、蒲原有明さんは名実ともに、日本の近代詩の完成者の1人になったわけだよ。

ただ残念なのは、少々、難解だったということだ。確かに読んでみると、ある表現について、それが、どのような事象について述べたものか、理解に苦しむような箇所が所々にあるね。

大衆から離れた難解なものは、やがて、衰亡していく。

これが文化の鉄則だねえ。この鉄則に従って、蒲原有明さんも、自然主義が世の中で、もてはやされるようになるとともに、忘れられていったねえ。