オチケン風『日本文学史』近現代Ⅲ【昭和戦後】(小説・評論)〈8〉【既成作家・ベテラン作家の復活】
 
戦前、戦中と厳しい思想統制が続く中で、沈黙せざるを得なかったベテラン作家の人たちは、敗戦を契機に、一気に活動を始めたねえ。
多くの作家が、戦争が終わる時のことを考えて、原稿を書きためていたんだよ。
 
この作家たちの活躍の場を大きく広げたのは、出版業界だったねえ。
昭和20年(1945)からわずか2年間の間に復刊、創刊された雑誌には、次のようなものがあるよ。覚える必要はないけれどね。
『文芸春秋』『新潮』『中央公論』『改造』『展望』『近代文学』『世界』『群像』『文学界』『小説新潮』こんなにもあるよ。これでも代表的な雑誌だけだよ。
どれほど、戦争が自由な出版を阻害していたかが分かるね。
 
小説の大家として、活躍したのは、まず、
 
《永井荷風(かふう)》さん。この人だ。
 
永井荷風さんは、耽美派の立場で、反自然主義作家として活躍した人だったねえ。
昭和21年(1946)、早々と雑誌『展望』に発表したは作品は、
 
『踊子(おどりこ)』これだ。
 
(梗概)
『舞台の楽団でバイオリンを弾いていた主人公は、踊り子と仲良くなり同棲することになる。やがて、踊り子の妹も一緒に生活をするようになる。
主人公は妹とも肉体関係ができる。やがて妹は、子供を産む。ただ、妹は男関係が多かったので、だれが父親か分からなかった。妹は、芸者として働くために家を出る。
主人公と妻である姉は、妹の産んだ子供を育てる。やがて、子供が亡くなる。
生家の寺に帰り、過去を懐かしみながらも、信仰と自然の中で生きる現在の生活に満足を覚える』
 
こんな内容だねぇ。
『踊子』は戦時中から構想を練り書き続けていた作品だよ。
ところで、今も昔も、舞台に立つダンサーにはあこがれを持つようだね。小説の主人公にもよく登場する。
森鴎外さんの、初期浪漫主義の作品『舞姫』もそうだし、川端康成さんの『伊豆の踊子』もそうだねぇ。
 
これらの作品がどうして人気があるのかというと、読めばすぐわかるね。読者自身が主人公に、また、踊り子にと、自分を小説世界の中へ同化させ、虚構だけれど、現実味を帯びた感動を味わうことができるわけだね。
これは、限りないロマンだねえ。
 
さあ、次に活躍した作家は、
 
《谷崎潤一郎》さん。この人だ。
 
戦時中、中止させられていた『細雪』もこの時期に完成させているね。さらに、たいへん人気が出た作品に、

『少将滋幹(しょうしょうしげもと)の母』これがあるよ。
 
内容は、平安時代の古典に素材をとって、官能的な執念を描いたものだねえ。
これまでに、舞台化やドラマ化は数多くなされているよ。

次に登場するのは、反自然主義の立場で、白樺派として活躍した超ベテランの、
 
《志賀直哉》さん。この人だ。作品は、
 
『灰色の月』これだ。
 
『灰色の月』は、主人公が、山手線電車に乗ったとき、偶然、乗り合わせた乗客の姿を描くことによって、その背後にある人間模様、社会状況を炙(あぶ)り出そうとしたものだねぇ。これと同じ構成は、短編小説『網走まで』にも使われているよ。
 
『網走まで』は、列車の中で、語り手の〝自分〟の隣に座ってきた母子のことを書いているねえ。
『灰色の月』では、終戦後の荒廃を象徴するような工員と思える少年の姿を描いているね。
どちらも短編の名手らしい志賀直哉さんの傑作だねえ。
 
さて次は、
 
《川端康成》さんだ。作品は、
 
『雪国』これだ。
 
『雪国』は、昭和10年(1935)に始めの部分を発表して、後は断続的に掲載をして、昭和22年(1947)に完結させているよね。
これ以外の作品で、
 
『千羽鶴』(亡き不倫相手の息子に愛した男の姿を見る女)
 
『山の音』
 
なども終戦後に発表した作品だよ。

同じくベテランの作家として、
 
《井伏鱒二》さんも活躍をしたねえ。作品に、
 
『本日休診』があるよ。
 
『本日休診』は昭和24年(1949)から連載を始めた作品だよ。時間軸としての位置を、頭の中に入れておこうね。
 
敗戦後、まず、このように既成作家・ベテラン作家が復活して、文芸興隆の機運を大いに高めたわけだねえ。