オチケン風『日本文学史』近現代Ⅲ【昭和戦前】(小説・評論)〈5〉【文芸復興】
 
センター試験が行われたねえ。君は受験しただろうか。
国語の問題を見ると、特に奇抜なものはないねえ。パターン化されたと思えるような問題設定の基準に沿ったものだと言えるよね。
だから、センター試験用に勉強した人は、十分に満足できる解答ができたのではないかなぁ。
 
続いて、いよいよ、国公立2次入試、私立一般入試の本番の時期に入るねえ。ヤマ場だね。
君は、ペースを崩さずに、平常心を持って臨んでね。
文学史の問題も、これからが本番だから、受験大学の過去の問題を参考にして、しっかりと頭に入れていこう。
 
さてと、それじゃ、文学史の新しい項目を勉強することにしよう。
その項目は【文芸復興】ということにしたんだけどさぁ。
君の文学史の参考書の中では、この時期の文学状況を文芸復興という言葉で説明しているかなあ?
数社の参考書を調べてみると、文芸復興という言葉を使って説明しているのと、そうでないのとはちょうど半々だよ。
 
ということは、それほど重要な語句ではないと言えるだろうけれど、文学史上の期間を表すのには便利なので使うことにするよ。
まず、文芸復興とは、どのような状況を指しているのか、確認しておこう。
 
昭和6年(1931)、満州事変が起こったねえ。そして翌年には、満州国の建国が宣言されたねえ。これによって、経済恐慌に苦しんでいた日本は、一時的ではあったけれど、回復機運が出てきた。
 
この時期の日本経済についての問題が、センター試験の日本史の中に出ているね。手塚治虫さんの漫画を載せて、
「満州事変以降の軍需産業と経済について述べた文」ということで、
「軍部と結びついた新興財閥は、朝鮮・満州へ活発な投資を行った」という選択文が出されているねえ。
 
文芸復興は、経済的に安定してきた昭和8年(1933)ごろから日中戦争が起こった昭和12年(1937)の、世の中が比較的平穏な期間に、多くの文学者が多くの作品を発表して活躍した時期を言うんだよ。
 
その時期はちょうど、文学界の主流になっていた、プロレタリア文学と近代主義文学の2大潮流が衰退した時期でもあるんだねぇ。
だから一面、文芸復興は、プロレタリア文学などに押さえつけられ、否定されていた既成作家や新人作家が、復活し、新しく登場した時期とも言えるわけだ。
 
さあ、それじゃあ、数年間の間だったけれど、多数出てきた作品を見ていこう。
前にも言ったけれど、何度でも、同じ作者、作品の話をするよ。そうすることによって、君の頭の中にしっかりと記憶に残ることになるからね。
 
また、これも前に言ったけれど、同じ作者が、あるときは〇〇主義に属するけれど、別のときには、△△主義にもなるということだったねえ。
作品によって、分類される文学主義も変わってくるということだよね。
 
例えば、森鴎外さんは、初期の三部作は浪漫主義だけれど、その後、反自然主義を意識して書いた作品があり、さらに、例えば、森鴎外さんは、初期の三部作は浪漫主義だけれど、その後、反自然主義を意識して書いた作品があり、さらに、何々主義という範疇(はんちゅう)に入らない、独自の文学世界を持った作品を書いているんだったねえ。
 
島崎藤村さんも、詩人としては、浪漫主義として人々の喝采(かっさい)を浴び、小説家としては、自然主義として名声を博(はく)したんだったねえ。
 
だから、
「アレッ、この作者は、〇〇主義のときに出てきたのに、どうして、こんなところに顔を出すのだろう、おかしいジャン」
なんて、気にすることはないよ。その時その時の作品と作者の立場で文学流派は変化するんだからさあ。
 
プロレタリア文学とモダニズム文学という時流に乗った2つの潮流から否定されながらも、作家独自の作風を持ち続けながら復活した既成作家がいるねえ。それは、
 
《谷崎潤一郎》さん。この人だ。さらに、
 
《島崎藤村》さんもそうだ。
 
谷崎潤一郎さんは、昭和3年(1928)、
 
『蓼喰(たでく)ふ虫』を発表しているねえ。
 
『蓼喰ふ虫』は、性的な結びつきができない夫婦が、それぞれ自由に不倫をして、お互いに許し合うという内容だ。
モデルになったのは、谷崎潤一郎さんが佐藤春夫さんに譲(ゆず)ったとされる元妻とされる。
 
ほんとうに、嫌悪感しか催させない小説だねぇ。それが、たまに入試問題に顔を出すんだから、あきれたものだよ。
 
次の作品は、昭和8年(1933)に発表された、
 
『春琴抄(しゅんきんしょう)』これだ。
 
(梗概《こうがい》)(あらすじ)
『大阪の裕福な商家の美貌の娘、春琴は、幼いころ病気で失明する。それで琴三味線を習って、師匠となる。
身の回りの世話をさせられていた奉公人の佐助は、春琴を師匠として、琴三味線を習うことになった。やがて春琴は、佐助によく似た子供を産む。
 
だが2人とも、男女の関係を否定して、師匠と弟子として暮らす。
ある時、恋の恨みから春琴は、何者かに眠っている間に顔に熱湯をかけられる。
春琴は、醜くなった顔を佐助に見られないようにと心を砕く。その心を感じた佐助は、自らの両眼を針で刺して盲目となる。
佐助は師匠の春琴と同じ盲目の世界に入り、永遠に美しい春琴を保ち続けることになる』
 
こんなところだよ。
『春琴抄』は、何度も主演が変わって映画化された人気作品だね。
日本の古典的な美が表現され、唯美的な世界が描かれているねえ。またこの頃から、谷崎潤一郎さんは、ライフ・ワークとなった『源氏物語』の現代語訳を手掛けているよ。
 
次に、既成作家の大家、島崎藤村さんの作品は、
『夜明け前』これだ。
 
『夜明け前』は、昭和4年(1929 )から雑誌に連載されて、5年もかけて完成させたものだ。
冒頭部分は有名だね。
 
『木曾路はすべて山の中である。
あるところは岨(そば)づたいに行く崖(がけ)の道であり、あるところは数十間の深さに臨(のぞ)む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。
一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた』
 
内容は、明治維新前後の大きな時代変革の流れを、木曽街道を行き来する人々の変化の中に描き、その中で、愁いを深め
、発狂していく主人公の姿が描かれているねえ。
 
何が『夜明け前』なのか。中央の政治体制は近代化していくけれど、地方の《森林地帯》に、真の近代化が訪れるのはいつのことかわからない、ということだねぇ。
歴史小説の典型とも言えるべき大作だね。
 
さらに、文芸復興期に、復活したベテランの作家には、
 
《永井荷風(かふう)》さんもいるねえ。代表作は、
 
『濹東綺譚(ぼくとうきたん)』これだ。
 
『濹東綺譚』は、昭和12年(1937)に新聞連載として発表されているよ。
濹東というのは、隅田川の東岸ということだ。昔はここに娼婦のいる遊里があった。綺譚というのは、美談というくらいの意味だ。
 
娼婦のお雪と作者自身を思わせる主人公の、出会いから別れまでを淡々と書いているねえ。遊里の人情風俗が感興深く表現されているよ。
昭和12年(1937)といえば、日中戦争が起こった年だね。戦争突入という騒然とした中で、『濹東綺譚』のような作品を書いた永井荷風さんには、どんな意図があったんだろうね。
 
次のベテラン作家は、
 
《徳田秋声(しゅうせい)》さん。この人だ。代表作は、
 
『仮装人物』これだ。
 
徳田秋声さんといえば、自然主義作家の代表格だったねえ。
だけど、プロレタリア文学とモダニズム文学の隆盛期にあっては、活躍する場がなかった。私小説や心境小説が中心の自然主義文学などは、時代遅れのナンセンスなものとして、見向きもされなかったんだ。
それがここにきて、復活したわけだね。
 
『仮装人物』は、老作家と作家志望の女性との愛憎の混じったドロドロとした話で、読んで面白いものではないねえ。
でも、わが国独特の私小説、心境小説という分野を、新しい境地で復活させたという意義は、大きいよ。さらに、ベテラン中のベテラン、《小説の神様》の、
 
《志賀直哉》さんも、
 
『暗夜行路』を完成させたねえ。
 
志賀直哉さんといえば、武者小路実篤さんとともに、白樺派の中心人物だったねえ。
『暗夜行路』は、昭和12年(1937)に、17年近くもかけて書き上げた長編だよ。
 
内容は、父と息子、出生の秘密、などをテーマに据(す)えて書いているねえ。ただ、あまりにも創作期間が長かったので、途中で創作意図が、ぶれていることが分かるよ。
志賀直哉さんは、やはり、短編小説が得意な作家だねえ。
 
次に、詩人の、
 
《室生犀星(むろうさいせい)》さんも、昭和9年(1934)、
 
『あにいもうと』という小説を発表しているねえ。
 
『あにいもうと』は、すさんだ生活を送る妹と、荒っぽい兄や両親の話だよ。抒情詩人の室生犀星さんのイメージとは合わない雰囲気のする作品だねえ。
 
また、『女の一生』を書いた、
 
《山本有三》さんも、昭和12年(1937)に、
 
『路傍(ろぼう)の石』を新聞に連載しているねえ。
 
『路傍の石』は、没落したは貧しい家庭の、頭脳明晰(めいせき)な主人公の話だねえ。戦時体制の思想検閲が厳しくなる中で、結局、途中で書くのをやめたよ。
それなのに、何度も映画化されているんだ。それだけ、感動を呼ぶ作品なわけだ。
 
それじゃ、既成作家の復活はこれでおいて、次は、新人作家だ。
この文芸復興期には、芥川龍之介さんの自殺を惜しんで、親友の菊池寛さんが芥川賞を創設しているねえ。昭和10年(1935)のことだ。
芥川賞は、新人作家の登場の道を大きく開くことになったよ。
 
第1回の芥川賞を受賞したのは、無名の新人だった、
 
《石川達三(たつぞう)》さん。この人だ。作品は、
 
『蒼氓(そうぼう)』これだ。
 
『蒼氓』は、移民の管理者として、ブラジルへ渡ったときの体験をもとに書いているねえ。蒼氓という言葉の意味は、人民とか民衆とかいう意味だ。
その他、新人として活躍した作家と作品には次のようなものがあるよねえ。
 
《高見順(たかみじゅん)》さんの、
 
『故旧(こきゅう)忘れ得(う)べき』(思想転向の悲劇)
 
《太宰治(だざいおさむ)》さんの、
 
『晩年』(短編小説集)
 
《石坂洋次郎》さんの
 
『若い人』(ミッションスクールの教師と生徒の恋)
 
《尾崎一雄(かずお)》さんの、第5回芥川賞作品にもなった、
 
『暢気眼鏡(のんきめがね)』(作家志望の男と陽気な女房)
 
こんなところだね。
これ以外にもたくさんの人が作品を発表しているねえ。まさに、文芸復興の時期だったわけだ。
 
ここで、少し、注意することを言っておくよ。
文芸復興の時期に、2つの文芸雑誌が発刊されているんだよ。
1つは、昭和8年(1933)、小林秀雄さんを中心に発刊された『文学界』だ。もう1つは、昭和10年(1935)、亀井勝一郎さんを中心に発刊された『日本浪曼派』だ。
 
この2つの雑誌については、あまり入試には出てこないので、気にすることはないけれど、もし、試験で目にしたら、明治期の浪漫主義や文芸雑誌『文学界』とは、時期的にも内容的にも違うものだということを頭の隅に置いておいてね。
 
さてと、数年間は文芸復興として、文学が隆盛したけれど、間もなく、日中戦争が起こるねえ。さらに、昭和16 年(1941)には、太平洋戦争も始まったねえ。
 
次の項目は、戦時下において、文学はどのように変貌(へんぼう)していったのかを見ることにしよう。